2014年7月7日月曜日

2014.07.07 隈 研吾・清野由美 『新・都市論TOKYO』

書名 新・都市論TOKYO
著者 隈 研吾
    清野由美
発行所 集英社新書
発行年月日 2008.01.22
価格(税別) 720円

● 東京の都市シーンを5つ巡りながら,著者二人が都市論,建築論を展開する。その5つとは,汐留,丸の内,六本木ヒルズ,代官山,町田。最後にカウンターとして北京が登場する。

● 自分が当事者として都市再開発や建築に関わることは絶対にないという安心感と,東京に住むこともまずないという部外者意識から,読みものとして楽しく読むことができた。
 やっぱり頭のいい人っているもんだなぁ,ってなものだ。都市は失敗の集積で,失敗を抱えていない都市なんてつまらないというくだりがある。ほほぅと思う。

● 以下にいくつか転載。
 ネットショッピングか,さもなくば老舗の本店まで足を伸ばそうかという時代に,中途半端な店が集積した大規模商業施設は本当に必要だろうか。(p33)
 大きな都市開発プロジェクトほど,クリエイティビティではなくリスク管理が求められる。その意味では世界が日本化している,といえるんですね。(p44)
 ナポレオン三世がどうしてパリの大改造をなしえたか--それはパリに住んでいなかったからという説があります。(中略)都市計画なんて個人の生活や都合を理解したらできない。(p50)
 一つの企業の内部だけでなら,この国の潜在能力はきわめて高い。『プロジェクトX』程度の話は,実はそこら中の企業の内部にころがっている。しかし,複数の主体が調整に調整を重ねて大きな計画を実行するとなると,この国は個の企業の優秀さとは比較にならない未熟さを示すのである。(p69)
 いいにしろ,悪いにしろ,三菱は己をよく知っていますよね。突出したデザインなんて街区には無駄だと,ちゃんと分かっている。(p73)
 建築や都市再開発が成立するには,上に建てるハードだけではなく,そもそもそこにある「場所」の力が不可欠なんです。(p147)
 ある時期,日本人は必死になって都市から「村」を排除してきたわけですが,それがきわまった時代には,逆に「村」が持つノスタルジーこそが余裕の証となります。(p159)
 六本木ヒルズを悪く言う「良心的都市計画家」の,その良心っていうものをいざ実現させてみると,結局「良心的テーマパーク」程度のものでしかなかったりする。(p198)
 汐留は,バブル崩壊後というネガティブな時代に計画が進んでしまった不幸もあります。ネガティブな時代の計画は,結局,資産にならないんですよね。逆に,どんなに反感が多くても,ポジティブな時代の計画は成功する。(p223)
 街並みに対する感受性は,教養の中でも一番上位にくるものです。日本人は歴史的にもその教養,感受性が高い人々でしたが,ここにきていかにそれを失ったか。東京を歩きまわると,日本人の教養の断絶をひしひしと感じます。(p231)

0 件のコメント:

コメントを投稿