2014年4月15日火曜日

2014.04.15 藤原智美 『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

書名 ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
著者 藤原智美
発行所 文藝春秋
発行年月日 2014.01.30
価格(税別) 1,100円

● 深刻な問題提起なのか,壮大な取り越し苦労なのか。
 政治も司法も教育も国家も,「書きことば」によって成立している。その「書きことば」が「ネットことば」に駆逐されようとしている。そのことの影響は甚大なものになるだろう。個人は個として中空に放りだされるかもしれないし,日本語が消滅することだって考えられる。
 著者の問題意識はそのようなものだ。
 インターネットで人は言語的な活動範囲を爆発的に拡大したといわれています。しかしその代償として,言語の自由が制限されはじめていて,思考が見えない壁でかこまれ,ひどく窮屈になっているのではないか。そう思えてしかたがないのです。(p22)
 人の認知力というのは案外あやふやで,ことばによっても変更されたり,創造されたりするものだということです。認知も思考も,ことばとひと続きにつながっている。(中略)ことばが変化すれば,認知の仕方や思考方法も変わってくる。(p28)
 日本語の土台の上に接ぎ木するようにして得た道具程度の英語力は,しょせんそれを母語とする人たちにはかなわない。英語という土俵に上がるまえに決着がついています。つまりその土俵とは思考そのものであり,日本語で考える人は圧倒的に不利なわけです。(中略) グローバルネットワーク拡大のもうひとつの側面は「英語」対「他の母語」という言語間の戦争なのです。それは静かに,しかし急速に進行しています。(p33)
 これまで社会は,書きことばを話しことばの上位に位置づけてきました。なぜなら書きことばは,印刷することで世の中に広範に伝播し,なおかつ時間をこえて未来に受け渡される記録性をもっていたからです。だからこそ社会は,書きことばの教育に力を入れてきた。しかし話しことばが,デジタル化しネットにのせることができるようになり,状況は一変しました。(p58)
● 印刷技術が歴史を作ったという視点から,西欧や日本の歴史を概観する。骨太で読みごたえがある。
 明治期に日本語をローマ字化してしまえとか,英語やフランス語を移植しろといった議論が真面目に検討された。そんなエピソードを紹介して,「言語を国家の政策として発言する文学者を,あまり信用しないほうがいいようです」(p136)という。
 坪内逍遙に始まる言文一致運動を生んだのも,近代国家建設に向かうエネルギー。

● 著者の結論は次のようなもの。 
 いま社会にあふれている「絆」「つながる」ということばに,ぼくは欺瞞の臭いを感じてしまいます。それは自己の思考力や自立をネット的な,あるいは情報的な場に回収する動きのようにも見えます。現代はむしろ他者との対話より,書きことばによる自己との対話こそがたいせつなのです。 書きことばとは突き詰めると,自己との対話であり,思考です。 他者との上っ面の会話や技術としてのコミュニケーション力で,自分を支えることはできません。(p227)
● 以下,いくつかを転載。
 現代人は読書から遠ざかり読む力が衰える傾向にあります。しかしそれを自覚しあらためようとするよりもむしろ,文書=書きことばがメッセージを伝えるものとしては不十分であり,信頼性にかけるものとみなすようになっています。(p53)
 文章では内容を評価しますが,プレゼンでは顔が見えるプレゼンターを聴衆が身近に感じるがゆえに,評価は話の内容よりもプレゼンター本人にむかいます。プレゼンの成功は話者そのものの評価になります。(p54)
 元旦に郵便ポストに届く年賀状は,そこに書かれている「明けましておめでとうございます」という紋切り型のメッセージよりも,元旦に届けられた郵便物であるということに大きな意味があります。一月一日に届いたハガキであるということで,メッセージも説明されつくしている。メディアがメッセージを規定している。つまりメディアはメッセージなのです。(p182)
 ネット社会ではだれもが「つながることができる」という幻想がふりまかれています。現在のコミュニケーション至上主義,対話絶対の人間論が,むしろ安易なネットのつながりに人を追いこむことになっているともいえます。(p213)
● 著者は,高校3年のとき,受験に備えて日本国憲法を暗記しようとした。ところがこれが難しい。「憲法作成当時の書きことばは戦前までの権威主義の衣を着たままでしたから,このような分かりにくいいいまわしを好んで使用しています。それは,現在でも官僚的な独特の表現形式として残っています」(p87)というわけだ。
 じつは,ぼくも中3のときに,日本国憲法の全文を暗記した。社会科の教科書の巻末に載っていたので,何気に読み始めて,よし憶えてやろう,と。
 前文を含めて,わりと楽に憶えることができたと記憶している。中3という年齢がよかったんだろう。「指示代名詞のオンパレードの文を」官僚的と感じるよりは,今まで見たことのない斬新な文章だと思っていたから。大人の世界を感じていたんだと思う。
 もっとも,「官僚的な」文章感覚をわざわざ自分に植えつけるような愚行だったかもしれないけれど。

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