2014年3月10日月曜日

2014.03.08 鹿毛康司 『愛されるアイデアのつくり方』

書名 愛されるアイデアのつくり方
著者 鹿毛康司
発行所 WAVE出版
発行年月日 2012.04.30
価格(税別) 1,400円

● 副題は「ヒットCMを生み続けるエステー式『究極の発想法』」。ぼくがテレビを見るのは,原則,週に3時間。でも,エステーのCMはもちろん知っている。

● 著者が言いたいことは,最後のエピローグで語られる。
 だから,僕は思う。 優れたアイデアとは,特別な才能のある人の頭のなかにあるのではない,と。 自分の「想い」に正直に,まっすぐにカベにぶつかる。 「だけど,やる」という言葉を胸に精一杯突き進む。 そこにドラマが生まれたとき,アイデアは生まれる。 それは,生き方次第で,誰にでもできることなのだ。(p225)
 著者には,こう語る資格がある。雪印事件のときには渦中で対応に追われた。そうした事態に逃げることなく対峙してきたわけだから。そのときのことは本書でも具体的に語られる。が,言うわけにはいかない出来事もあまたあったに違いない。

● 「生き方次第で,誰にでもできること」には違いない。問題はその「生き方」ですよね。これが「誰にでもできる」とは限らない。
 逃げちゃう人もいるだろうし,欝に沈んでしまう人だっているに違いない。

● 東日本大震災が発生したとき,著者は沖縄にいた。そこから本書の叙述は始まる。
 何が起こっているのか,どれほどの被害なのか--。その事実を確認できなければ,「企業として何をすべきか」「企業として震災にどう向き合うか」を決定することはできない。その決定ができない限り,CMを流すことはできない。(p20)
● こうしたCMに対する著者の真摯な思いは,次のような表現をもって何度も登場する。
 そもそも,CMとは暴力的なコミュニケーションである。そのCMを観たいと思っていない人々の目に,突然飛び込んでくるものだからだ。 テレビ番組,映画,本など多くのメディアでは,しばしば暴力的な表現がされる。しかし,それらは,メディアのあり方としては「暴力的」とは言えない。なぜなら,「観たい」「読みたい」という受け手の合意が事前にあるからだ。 しかし,CMは違う。(p22)
 CMには,常に「偽善」が含まれている。 クスッと笑ってもらいたい,ほんの少し心温まる15秒間を届けたい・・・・・・。本気でそう思っていたとしても,結局のところ,商品を買ってもらいたいからCMをつくっているのだ。そこから,逃げることはできない。(中略) その「偽善」を意識せずにCMをつくるのは,僕に言わせれば「酔っている」だけのこと。それは,どうしようもなく気持ちの悪い行為だ。(p40)
 ひとつだけ,はっきりしていた。とにかく「無難なアイデアではダメ」ということだ。たった15秒で人々に記憶してもらうためには,強く惹きつける何かがなければならない。陳腐な言い方ではあるが,「突き抜けたアイデア」がそこになければならない。 ただし,そこに「押し付けがましさ」があってはいけないと思った。 なぜなら,視聴者の皆様にとって,CMとはテレビ番組の間に訪れる“休憩時間”だからだ。(p61)
● 言葉を転がすこと,理屈に絡めとられることを,著者は入念に点検して排除しようとする。
 成功したとされる広告は,すべて「感情」にボールを投げているのだ。言葉で説明するのは難しいのだが,どこか論理では説明しきれないところで他の広告に勝っているのだ。(中略) そう考えると,ブランド論を説明する難しい本を読みあさっても,とにかく難解で,腹の底に落ちなかったのも合点がいった。「説明のつかない恋愛のような感情」を後付で論理的に説明しているから,そう感じられるのだ。当たり前のことだが,人間は感情で生きている。その感情に,論理の力だけでアプローチできるはずがない。(p57)
 なかには,使っている「調査手法」が最新のものであることを自慢するような人もいる。完全にピントがずれている。「現実」はそんなに甘くない。「お客様を理解する」ことは,表面上の手法だけで歯が立つようは生やさしいものではないのだ。 だから,現場に行け。現実に触れろ。そして,五感を研ぎ澄ませて,お客様の声を全身で感じるのだ。(p97)
 論理や理屈はあくまで,ものごとを一般化するためのツールにすぎない。(中略)それだけで「目線あわせ」ができるほど,お客様という存在は甘くない。(p129)
 というわけだから,著者は「基本的に企画コンペはやらない」。「なぜなら,僕の頭のなかにあるアイデアを「言葉」だけで伝えることはできないからだ」。(p37)

● その他,著者の流儀がるる語られる。ビジネス書を超えて,読みものとしても一級品。いい本に出遭えたと思った。
 「やらないですむ理由」はいくらでも理屈で考えられる。しかし,「やる理由」は,最後の最後のところは「理屈」ではないのだ。(p222)

0 件のコメント:

コメントを投稿