2014年2月15日土曜日

2014.02.13 堤 清二・三浦 展 『無印ニッポン』

書名 無印ニッポン
著者 堤 清二
    三浦 展
発行所 中公新書
発行年月日 2009.07.25
価格(税別) 740円

● 読み終えたから気がついた。前に一度読んでいた。しかし,見事に,まったく,何も記憶に引っかかっていなかった。サラッと読んで,ああ面白かった,で終わったのだろう。
 ただ,読書はそれでいいのであって,あまり多くを求めてはいけない。

● 本書の対談が行われたのは民主党政権誕生前のこと。今とは多少以上に,世相というか世間の空気が違っていた。知らず知らず,そうした空気の影響を受けるものだろう。

● 以下に転載。
 わたしの考えでは,商店街や中心市街地はコミュニティ(共同体)というよりソサエティ(社会)なんです。それらを守らなければいけないのは,それがソサエティだから。つまり,商店街や中心市街地が消えるということは,社会が消えることである。そして,企業と消費するだけの人間と国家だけが残る。社会はない。(三浦 p66)
 この生活の二四時間化が日本人の暮らしをすごくゆとりのない,貧しいものにしたと思います。(中略)本来スーパーでもコンビニでも百貨店でも,人々の生活を豊かにするためにあるはずです。しかし正月も休まず二四時間営業となると,働く方は生活が解体していく。買う方も,生活にゆとりや落ち着きが,かえってなくなっていく。生活を愛せない人が増えたと思うんです。(三浦 p90)
 一度入るとどこが出口だかわからないように作ってある。最近そういうものが流行っていますね。つかまえたら逃がさないというか。わたしの考えでは,これは全然都市的ではないんですよ。もっと隙間があったほしい。(中略)スポンジの中みたいにいくつもの穴を通って,街歩きや買い物を楽しみたい。入ったら逃がさない,とにかくここで買って帰れ,という,資本の論理と言うか,搾取というか,消費者主権とは対極にあるイオン・モール的構造が耐えられない。(三浦 p140)
 日本全体に愛着をもつなんて,虚構ですよ。自分の育った地域と,三〇年暮らしている東京の中央線沿線が残れば,田園都市線沿線が消えてもなんら痛痒を感じません。みんなそんなもんだと思うんですよ。しかし,だからこそ,お互いがそれぞれの地域への愛着を尊重し合って生きていけばよい。日本中,世界中がウォルマートやイオンやTSUTAYAになるなんて,私は真っ平御免。(三浦 p206)
● TSUTAYAといえば,行ったことはないんだけれども,代官山にできたTSUTAYAタウンはどんなものなんだろう。構造はともかく,発想はイオン・モール的なものなんですか。特定のエリアに,街をそっくり作ってしまおうっていう感じなのかね。
 行ってみればわかることなんだけどね。

● 表参道ヒルズやイオン・モール,都会駅のいわゆる駅ナカに限らず,いったん掴まえた顧客を逃さない戦略を採用している商業施設は,いくらでもあるよねぇ。百貨店もスーパーもそうだもん。規模が違うだけで。
 昔の温泉ホテルもそう。二次会も三次会も館内でできるようになってた。コンパニオンを入れて,風俗まで館内に作ってたわけだしね。

● 日本人って,引っ越しを億劫がる国民らしいし,いったん落ち着いたら動きたくないっていう性癖がけっこう強いんじゃなかろうか。それに合ってますよね,イオン・モール的なものって。
 六本木ヒルズができて麻布十番商店街が潤ったというのは,ヒルズにはお上りさんには手が届かない高い商品しかなかったからじゃないですか。
 ただ,規模の利益にも限度があって,限度を超えると,一気に効用が低下するのかも。

● 宇都宮でいうと,ベルモールにはけっこう行ってるんですけどね。
 ヨーカドーがあり,ダイソーがあり,カルディがあり,書店があり,文具店があり,ユニクロがあり,千円カットの理髪店があり,化粧品店があり,ケータイショップがあり,大型スポーツ用品店があり,和洋韓の食べ物屋があり,ファストフードがあり,ミスタードーナツがあり,CDショップがあり,旅行代理店があり,DPE屋があり,生活用品店があり,中古のパソコンショップがあり,お菓子屋があり,パン屋があり,隣には映画のシネコンがあり,日帰り温泉まである。
 たしかに,ここは百パーセント消費空間であって,社会はない。ただ,地方ではまだまだ消費が娯楽になっていて,快適に消費ができる空間は,イコール,アミューズメント空間でもある。

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