2013年11月30日土曜日

2013.11.30 SE編集部編 『僕らのパソコン30年史』

書名 僕らのパソコン30年史
編者 SE編集部編
発行所 翔泳社
発行年月日 2010.05.28
価格(税別) 1,800円

● 1994年に富田倫生『パソコン創世記』(TBSブリタニカ)を読んだ。パソコンの10年を振り返るといった内容だったと記憶している。それからさらに20年近くが経過したんだなぁ,というのが,本書の内容とは関係のない感慨だ。
 『パソコン創世記』を読んだときに使っていたパソコンは,富士通のFM-TOWNSだったか。当時は親指シフターだったので,親指シフトキーボードが選べるTOWNSにしたのだったと思う。
 オーバー・ドライブ・プロセッサー(懐かしい言葉だ)をかませたり,メモリ(当時は高かった)を増設したりしたんだけど,体感速度はあまり変わらなかった。

● その後は,ずっとノートパソコン。NECのノートを3台,いっときhpのネットブックを使ったこともあるけれど,最近はThinkPadひと筋。
 今のが3台目だけど,買ったのは5台。1台は人にあげた。もう1台は予備機。

● パソコンを外に持ちだすことはないので,バッテリーの持続時間などは気にしたことがない。だから,ノートといってもフルサイズの大きなのでいいかといえば,そんなことはない。ThinkPadでもXシリーズがいい。小さい方が道具として愛着も湧きやすいし,できることが同じならガタイは小さい方がスマートな感じがする。
 まして,特に東日本大震災以後は,デスクトップを使うなんてチラッとも考えたことがない。

● 昔はMacintoshに憧れたことがあった。スティーブ・ジョブズが復帰する以前から,Macintoshはキラキラしてた。イメージはね。
 何度か,Macにしようと思ったんだけど,結局,慣れた環境から離れるのが面倒で現在に至る。Mac雑誌の執筆常連者によるMac礼賛・Windows批判に,何とはなしの薄っぺらさも感じたしね。
 今では,Macに替えたいと思うこともなくなった。

● CPUの進化に伴って遭遇する,技術的美しさの追求と互換性維持のトレード・オフ。かつてのMac礼賛者は当然のごとく前者を良しとする前提に立って,Windowsを批判してたっけなぁ。お気楽なもんだったね。

● パソコンがあたりまえの道具になったこともあると思う。昔はそうじゃなかった。夢を見させてくれた。パソコンを使えば生産性もあがり,できるビジネスマンになれるっていうような。
 パソコンは人件費のかからない私設秘書のようなものであり,アーバンチックで洗練に通じるものであり,ハイソでセレブであり,世界を相手にできるものであり,っていうような気がしてた。っていうか,メーカーがそういう気にさせる広告を打ってた。

● 今じゃ,電車の中とかスタバとかでパソコンを広げている人を見ると,ダッセーなぁと感じるようになってるからね。
 それより何より,パソコンで何ほどのことをしているだろうかってことだよね。たいしたことには使っちゃいないんですよね。なければ困るんだけど。

● けれども,今のパソコンは30年前には夢にすら見ることができなかったとんでもない機械なんですねぇ。先人の汗と涙が詰まっているんですよ。そういうことを本書に教えてもらった。
 今のあたりまえをあたりまえにするには,30年の歳月と,優れた頭脳の持ち主たちの数えきれない奮闘の集積が必要だった。

● 仲俣暁生さんの発言から,ひとつだけ転載。
 インターネットとの付き合い方が変わったのは,はてなダイアリーを使いはじめてからですね。いわゆる「ブログ」ブームに,いいタイミングで乗ることができました。はてなが好きでずっと使っていたんですが,Twitterを使いはじめてから,まったくブログに興味がなくなってしまったことに,自分でも驚いています。インターネットでは一夜にしてものごとがガラッと変わってしまうんだということを実感しました。(p181)

2013年11月29日金曜日

2013.11.29 福田三男編 『栃木県謎解き散歩』

書名 栃木県謎解き散歩
編者 福田三男
発行所 新人物文庫
発行年月日 2012.08.11
価格(税別) 800円

● 栃木県の歴史,自然,民俗,産業,考古,人物について,約90のトピックを建て,短く解説したもの。雑学的に楽しめる。温泉トラフグの発祥の経緯とか,栃木にも金山があったこととか。

● 栃木県の伝統郷土料理である「しもつかれ」が,栃木のみならず,茨城,埼玉,千葉に及ぶ地域でも食されていたことは,本書によって初めて知った。語彙的にも,「下野」から来ているのではないらしい。

2013.11.29 久米信行 『ブログ道』

書名 ブログ道
著者 久米信行
発行所 NTT出版
発行年月日 2005.12.26
価格(税別) 1,500円

● 8年前の刊行。当時はブログに大いなる夢を持つことができた時代だったことがわかる。本書が希望もこめて予想しているようなブログの理想郷は,現時点ではきざしも見せていないように思われるし,将来もそうなるとは予想しにくい。
 個々に見れば,素晴らしいブログもかなりの数存在するに違いない。が,膨大な数のその他大勢の中に埋没しているような感じ。広がっていかない。
 ブロガーの増大に伴って質が低下することは,当然といえば当然なのだが,当時は行く末がバラ色に見える余地があったということか。下位が上位にしわ寄せされると思えたのかもしれない。

● 本書の刊行時点で著者が思い描いていたことのいくつかは,ブログよりもFacebookなどのSNSを使った方が,より実現しやすくなっている。おそらく,今ではSNSも活用されているに違いない。

● ホームページは面倒で手をだす気にならなかったし,SNSは瑣末な交流に時間を取られそうで,これまた手をだす気になれない。ブログが自分にはちょうどいい。
 FacebookやTwitterも途中経過での産物で,新しいサービスがこれからも登場するのだろうけど。

● 自分一個に限っては,ブログを通して他と交流したいとは考えていない。実際,さほど読まれていないし,多くの人に読んでもらいたいともあまり思っていない。まずは,自分のために書いている。
 かといって,こんな辛気くさい作業を自分の閉じた世界の中でやる気にはならない。わずかでもPVが付くから続けられる。ブログの効用はほぼそこに尽きる。

● とはいえ,次のような原則論は今でも拳々服膺しなければならないものだろう。
 ブログで何をどう表現するかという技術よりももっと大切なことは,「ブログの外にある現実=生き方」にあります。(はじめに)
 登るほどに迷わなくなるのは登山もブログ道も同じです。(p36)
 ブログ道の本当の目標は,「どこに至るか」よりも,「いつまで続けられるか」にあると思います。すなわち,ブログを書き続けることは単なる手段ではなく,目的そのものでもあると思うのです。(p57)
 本来,情報通信技術は,「より自由な時間と空間を生み出して人びとに提供すること」が大切な役割だったはずです。しかし,現実には,パソコンやソフト選びから始まり,その購入・設定や,使い方の習得などに,多大な時間と能力と労力を奪われてきました。(中略) わが道なき情報収集や浅薄な情報交換は,むしろ単なる時間浪費になりかねません。(中略) だからこそ,ブログ道を歩むほどに,パソコンの前に座る時間をいかに短くできるかを,真剣に考えましょう。誰かのブログを読んで批判するより,自ら行動を起こしましょう。(p59)
 ネット上の争いをよく見れば,お互いの主義主張や人柄を攻撃しているように見えて,実は,お互いの過剰な言葉に過剰な反応をしているだけの場合が少なくありません。(中略)だからこそ,誤解が生まれにくく,見て美しい「平易なひらがな言葉」を使って,優しく穏やかな口調で語ることが,より重要になると思います。(p159)
● 特に,「パソコンの前に座る時間をいかに短くできるか」が大きな課題だ。人のブログはあまり見ないんだけど,それでも自分が書くようになってから,パソコンにかかずらう時間が大きく増えた。
 その多くは無駄な時間だ。PVを何度もチェックしたりとか,自分の文章を細かく訂正し続けたりとか。こういう時間をばっさり削りたい。無駄とわかっていても,なかなか切り捨てられないでいる。

● どう書いたらいいか。決まったルールはないわけだ。書きたいように書けばいい。
 単文を重ねるようにしろ,全体をあまり長くするな,画像を入れろ,なんてのはよく言われることだ。けれども,それにしたがわなければならない理由もない。
 ただ,特定の誰か,同性の友だちでもいいし,秘かに恋愛中の彼女でもいいんだけど,その特定の誰かを措定して,彼(彼女)に語りかけるようにするといいかもしれない。不特定多数を意識するんじゃなくて。
 この話題だったら彼(彼女)はどの程度わかってくれそうか。この用語はわからないかもしれないからWikipediaにリンクをはっておこうか。そうしたことも,特定の誰かを措定した方が決めやすいだろう。

2013年11月28日木曜日

2013.11.28 番外:モノ・マガジン 2013年12月2日号-とっておきの来年手帳

編者 中山 基
発行所 ワールド・フォトプレス
発行年月日 2013.11.16
価格(税別) 590円

● 雑誌の性格上,手帳の使い方とか活用法ではなく,モノとしての手帳の紹介に重点が置かれている。「2014年の手帳はデジアナ併用が旬!」と銘打って,デジタル文具の紹介に力を入れている感じ。
 メーカーから資金が入っているんだろうけど,「ねぇねぇ,買って買って」臭をもう少し薄められるといい。
 もっとも,こういう造りを良しとする読者層も存在するんだろう。

● 比較的若い人たちを読者層として想定しているんでしょうね。オジサンたちはすっかり保守化していて,モノグサにもなってて,変化を好まないようになっているだろうから,よほどのことがない限り手帳を変えることはなさそうだ。
 今まで使ったことのないデジタル文具に手を出すとも思いにくい。

● って,他人事のように書いているけど,オジサンの一員であるぼくは典型的にそうだ。
 スマホももう2年半ほど同じのを使い続けている。それで特段困ったことはないからでもあるんだけど,新しいのに替えてしまうと,アプリのインストールをはじめとして,イチから設定をし直さなければならない。これが面倒だし億劫だ。
 せっかく馴染んだのに,それを新しいモノに取り替えることじたいが,とにかく面倒だ。

● 若い人たちは,ここが柔軟なんでしょうね。素晴らしい。
 ただ,手帳を替えたり,デジタル文具を使ってみたところで,仕事ができる男(女)に変身できるわけではないけどさ,あたりまえだけど。

● ぼくは来年も日本能率協会の「Bindex」だ。中身は能率手帳。ウィークリーのみの使用。
 A6サイズの綴じ手帳にも惹かれるんだけど,問題がふたつある。ひとつは,必ずマンスリーも付いていること。これ,ぼくは使わない。マンスリーに予定を書いて,ウィークリーには実績を書くという使い方もあるかもしれないけど,それも面倒。ぼくは予定は付箋に書いてウィークリーに貼っておく派。

● あとひとつは,メモページがうんざりするほどあること。うんざりするほどあるんだけど,1年間書くとすると,これでは足りない。結局,メモの類は別ノートになる。であれば,手帳にメモページは不要。
 A6ノートと「Bindex」で,来年1年を過ごす予定。だから,この雑誌はぼくが読んでも仕方がなかった。

2013.11.28 小池真一 『小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽』

書名 小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽
著者 小池真一
発行所 講談社+α新書
発行年月日 2003.08.20
価格(税別) 840円

● 小澤さんの来し方や価値観,音楽への姿勢といったものを,本人や関係者,他の音楽人への取材を通して,まとめたもの。スラっと読めて面白い。
 タイトルの所以は,「美しい音楽は,一人で夕陽を見つめた時のような悲しい味がする」という小澤さんの述懐。

● たとえば,次のような珠玉の言葉が登場する。
 世界の基準と自国の基準を分けて考えるダブルスタンダードがある国はだめだと思うんです。「世界はすごい,日本はこの水準でいいや」と逃げることができちゃう。いろいろと世界中を見てきたけれど,それがある国はだめですね(小澤征爾 p44)
 社会が豊かになって,商品やサービス,情報など選択する幅が広がり,かえって選べなくなっている。(中略)そこで人気という“偏差値”で選ぶようになる。(中略)そういう人たちはヒットを仕掛けられやすいんです(秋元康 p114)
 『何かをする』ではなく『何かである』ことが大切。人間として経験を積み重ねて心を豊かにした上で,『何かである』という状態に自然になることで,音楽家の中から無意識な『自然』が出てくる。(オーギュスタン・デュメイ p139)
 心に染みわたる美しさとか,心を打たれる美しさというのは,少し悲しみの味がするのよ。(小澤征爾 p148)
● 未来に理想を描けば,現在のどこかを批判することになる。典型としてあげられているのが,年でのBGMの多さ。ホテルに行っても,ショッピングセンターに行っても,必ずといっていいほど何かの音楽が流れている。こうしたことがやり玉にあがる。言われてみればなるほどと思う。
 ただ,どう注意していても,批判に回るときにはどこかに甘さが入りこんでしまう。批判に安直さが混ざってしまう。そういうことはないのだろうか。

● 昔は良かった式の言いぶりになる。けれども,その昔においても,さらに昔を措定して,昔に比べると今はここが問題だ,というような言論があったに決まっている。
 上に転載した言葉も,その昔に,誰かが言っているに違いない。そういう意味では,目新しさなど滅多にあるものではないのだろう。

2013年11月27日水曜日

2013.11.27 五味文彦・鳥海 靖編 『もういちど読む山川日本史』

書名 もういちど読む山川日本史
編者 五味文彦
    鳥海 靖
発行所 山川出版社
発行年月日 2009.08.30
価格(税別) 1,500円

● 山川出版社の高校社会科教科書シリーズ。教科書を一般向けにリライトしたものだけれど,教科書の香りが濃く残っていて,そこが逆に新鮮だ。
 それにしても。高校生は高度な勉強をしているものだ。本書もじっくりと読み込んでいくと,日本史のいろんな機微が見えてくる(気がする)。

● 「一所懸命」が中世にできあがった概念であることも教えてもらったし,本居宣長らの国学が幕末の尊皇攘夷につながっていく様子を,わずか数行でわかりやすく説明してくれる。
 今の目で見ると,尊皇攘夷なんて愚かだったとしか思えないわけだけれども,すべては理由があって存在したのだなとわかる。

● 日露戦争や太平洋戦争に関しての有力新聞や国民の好戦感が印象的だ。特に日露戦争においては,事情を知る政府は冷静だった。当事者責任を遂行したという感じ。
 威勢の良さは大衆受けするから,どうしてもそちらに流れがちになるのだが,ロクな結果をもたらさない。翻って,現在はどうだろうか。

2013年11月24日日曜日

2013.11.24 平野暁臣編 『岡本太郎vs柿沼康二 TRANCE-MISSION』

書名 岡本太郎vs柿沼康二 TRANCE-MISSION
編者 平野暁臣
発行所 二玄社
発行年月日 2011.09.30
価格(税別) 1,800円

● 柿沼さんが岡本太郎を臨書して,それを表現したもの。臨書とは「今日に残る能筆家の書を徹底的に模倣すること」。それによって,「書の形や技術のみならず,書き手の息遣い,呼吸やリズム,歴史的背景,更には書き手の心理や哲学に迫」る。
 文字にするとなるほどと思うけれども,誰にでもできることではなさそうだ。

● 岡本太郎の文章そのものの意味するところを掴みきれないし,この本に載っている書を見ても,ぼくの水準では豚に真珠だった。

2013.11.23 中川淳一郎 『ウェブはバカと暇人のもの』

書名 ウェブはバカと暇人のもの
著者 中川淳一郎
発行所 光文社新書
発行年月日 2009.04.20
価格(税別) 760円

● 先日,著者の『ネットのバカ』を読んで,4年前に刊行された本書も読んでみたいものだと思った。だけども,宇都宮の本屋のいくつかをあたってみても,置いてなかった。最近は書籍の回転も速いから,4年前のものなんてなくなってしまうのが当然なのかと思った。
 が,東京に行く用事があったので,池袋の旭屋書店(東武百貨店7階)を覗いてみたら,さすが東京,ありましたよ。

● というわけで購入。帰りの車中で一気に読了。ぼく,読むスピードはどちらかというと遅い方だと思うんだけど,面白い本は速く読めるんですな。
 副題は「現場からのネット敗北宣言」。内容はもちろんタイトルのとおり。

● いくつか転載。
 集合知のすばらしさがネットの特徴として語られているが,せっせとネットに書き込みをする人々のなかには凡庸な人も多数含まれる。というか,そちらのほうが多いため,「集合愚」のほうがわたしにはしっくりくる(p17)
 ここまでいくつもの例を見てきてお察しのことだとは思うが,ネットにヘビーに書き込む人の像がおぼろげながら見えてきたのではないだろうか? 揚げ足とりが大好きで,怒りっぽく,自分とは関係ないくせに品行方正で,クレーマー気質、思考停止の脊髄反射ばかりで,異論を認めたがらない・・・・・・と,実にさまざまな特徴があるが,決定的な特徴は「暇人である」ということだ。(p58)
 この部分で例示されている具体的なケースを読むと,スーパーが貼りだしている「お客さまの声」を載せた模造紙を思いだす。だいたいは苦情,しかも重箱の隅をつつくようなもので,特定の人が何度も言っている。こんなものに対処させられる店員が気の毒だ。経営者はこの種の「お客さま」よりも自分の社員を大事にしろよ,と言いたくなるわけだ。
 ここ数年,役所でもパブリックコメントなるものが定着した感がある。あれもどんな意見があがっているのやら。まともな大人は忙しくて,そんなものにかかずらってる暇はないはずだが。
 この種のものは,だいたいにおいて「愚」か「狂」を集めてしまうものだろう。時間の無駄ではすまないものがある。

● さらに転載。
 重要な情報を持っている人は,その情報をわざわざネットに書かない。「なんで,客の前で話せばカネになることをわざわざネットで公開しなきゃならないんだよ」「つーか,書いてる暇があったら寝たいから」というのが理由だが,当然である。(p72)
● 次は企業に向けた提言。
 「オープンソースでプログラムを作る」などといった「頭の良い人」の世界では,Web2.0の概念が非常にしっくりきて,すばらしいプログラムの誕生へ役立つことだろう。だが,相手が暇つぶしの道具としてインターネットを使っている「普通の人」か「バカ」の場合,双方向性は運営当事者にとっては無駄である。(p92)
 ひょっとして,  ウェブは「バカと暇人」のもの,ではなく,「バカで暇な貧乏人」のもの,と言いたかったのではないか。

● 最後に著者は次のようにまとめる。
 もちろん,知的で生産性のあるコミュニティは存在するし,ネットを使ってさまざまなものを生み出している人はいる。だが,多くの人にとってネットは単に暇つぶしの多様化をもたらしただけだろう。(p241)

2013.11.23 中谷彰宏 『ファーストクラスに乗る人のノート』

書名 ファーストクラスに乗る人のノート
著者 中谷彰宏
発行所 きずな出版
発行年月日 2013.10.01
価格(税別) 1,400円

● 紙のノートを使うようになったのは今年の6月のこと。学生をやめてからは,ノートというものを手にすることはなかった。
 仕事でもノートを使うなんて考えたこともなかった。会議でも配られた資料の余白に極小の文字でメモしていた。それで充分だと思っていた。っていうか,ノートに何かを書いている人を蔑んでいた気配もある。なに,ムダなことしてるんだ,って。

● 蔑まれるべきなのは自分の方だった。愚かだったね。これは実際にノートを使ってみると,すぐに了解できた。数十年,自分は何と愚かに過ごしてしまったのか。
 とにかく書けばいいのだ。備忘でも会議録でも日記的なことでも埒のない思いつきでも,とにかく何でも。

● で,そうなると,タイトルに「ノート」とか「ノート術」なんてのが入ってる本を読むようになった。これはどうなんだろ。あんまり読んでも仕方がないようにも思うけど。
 ところで,本書のタイトル。タイトルに惹かれて買う人もいるのかも。卓抜といえば卓抜なタイトルだと思う。

● ところで,著者はA4のルーズリーフを片面使用で使っているそうだ。分類を気にしなくていい,あとからいかようにでもできる,というのが理由らしいんだけど,これ使いづらくないだろうか。
 コピー用紙も多用しているようだ。普段はコピー用紙を持ち歩いて,あとで穴をあけて綴じるってことなのかなぁ。
 少なくともA4をバインダーごと持ち歩くのは,現実的じゃないような気がするんだけど。

● ぼくも学生時代は(就職してからもしばらくは)ルーズリーフを使っていた。たぶん,ルーズリーフならではの使い方はしていなかったな。
 書くときはリングからはずしていたかも。ということは,書くときにはある程度まとまった時間を投入していたのかな。チョコっと書くのに,いちいちはずすのは手間だから

● 書くときに最も大切なのは,とにもかくにも使いやすさ。面倒のなさ。この点で,システム手帳やリング式のノートよりも,普通の綴じノートが数段勝るように思う(いや,著者のように片面使用なら,ルーズリーフの使いづらさは回避できるか)
 書いたあとのことよりも,書くことそれ自体に焦点をあてて道具を選んだ方がいいという意見で,綴じノートが一番だと今のところは思っている。
 ついでに申せば,ペンの同時携行は必須だから,ペンホルダー付きのノートカバーも使った方がいいでしょうね。 

2013.11.23 森 博嗣 『自分探しと楽しさについて』

書名 自分探しと楽しさについて
著者 森 博嗣
発行所 集英社新書
発行年月日 2011.02.22
価格(税別) 700円

● 明晰さを楽しめる。明晰って気持ちがいいものだ。

● 自分探しというのは,やったことがない(と思う)。その無意味さというのは,若い頃から何となく感じていた。
 ただ,意識化できなかっただけで,その種のことをやっていたのかもしれない。きっとそうだよと言われると,確たる反論はできない。そうかもしれない。

● こちらのアンテナに引っかかったところを転載。
 誘われたら断れない,という人は多いけれど,一度断ってみてはどうか。そんなことをしたら嫌われる,と考えているようだが,どれくらい嫌われるのだろうか。一度断っただけで人を嫌う人間(あるいは集団)なんて大したものではないから,好かれたって価値はない,と考えよう。そもそも,そんなに深刻に考えないことである。誘いを断れば,その時間を自分に使うことができるのだから,その価値と比較して判断すれば良い。(p111)
 ブログというのは,相手が読みたいときに読むものだから,もともとあったホームページのメリットを備えている。(中略)それが作られたときに,コメントやトラックバックといった機能を付加した。コミュニケーションの円滑化を図ったらしいが,ここでもまた「他者」との関係が文字どおり顕在化し,気にする人は気にしてしまうだろう。書きたいことを書いて,読みたい人が読めば,それで良いではないか。読みたい情報があれば,自然に読まれるようになる。つまらない文章を読まなければならないようにしむけるシステムは,明らかに無駄である。(p113)
 (本書は)トータルで約十二時間で書き上げたもので,執筆期間は七日である(これでも,小説よりは文字数当たり三割増しほど時間がかかる)。脱稿後,「十二時間もこんなことを考えていたのか」と「十二時間もかけてこの程度しか考えられないのか」という両方の意味で呆れてしまった。十二時間あったらスコップでどれだけ土が掘れるだろう,そちらの方が体力が必要だが,純粋で有意義な「楽しさ」をきっともたらすだろうに,と考えてしまったが,いかがなものだろうか。(p187)

2013.11.22 竹内 薫 『99.9%は仮説』

書名 99.9%は仮説
著者 竹内 薫
発行所 光文社新書
発行年月日 2006.02.20
価格(税別) 700円

● 副題は「思いこみで判断しないための考え方」。この本も読みものとして面白い。楽しく消費できた。これが一番のポイントだ。あまり深く考えたことはないんだけど,本なんて面白けりゃいいのだ。

● 科学哲学者のポパーの話が出てくる。昔,学生時代に彼の著作をいくつか買ったが,結局読むことなく現在に至っている。
 反証可能性という言葉だけは,ずっと記憶に残っているけど。

● 以下に,ぼくのアンテナにひっかかったところを転載。
 この人(ピエール・デュエム)は,こういうことをいうんです。「データが仮説をくつがえすわけではない。データが理論を変えるということはない」と。 彼は,「理論を倒すことができるのは理論だけである」と主張しました。理論というのは,仮説といってもいいと思います。 だから,「仮説を倒すことができるのは仮説だけである」ということです。(中略) つまり,こういうことです。 仮説というのはひとつの枠組みですから,その枠組みからはずれたデータはデータとして機能しないわけです。(p70)
 世界の見え方自体が,あなたの頭のなかにある仮説によって決まっているわけなのです。(中略) 「裸の事実」などないのです。 ということは,データを集める場合も,やっぱりその仮説-最初に決めた枠組みがあって,その枠組みのなかでデータを解釈するわけです。 つまり,「はじめに仮説ありき」ということです。(p74)
 ひとりの人間をひとつの人格だけで説明することができないように,ひとつの現象をひとつの仮説だけでかたづけることなんてできないんです。(p186)
 いろんな場面で,「この仮説をはずしてみても大丈夫かな?」と考えるのは,生きていくうえで非常にためになる考え方です。 だれもがその仮説のことをあたりまえだと思っているけれど,意外とはずしてみてもOKなことってあるんですよね。 そして,それに気づくことができる人は,やはり天才と呼ばれます。(p198)

2013年11月22日金曜日

2013.11.21 岳 真也編 『人を動かす 超訳勝海舟の言葉』

書名 人を動かす 超訳勝海舟の言葉
編訳者 岳 真也
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2013.10.25
価格(税別) 1,400円

● 勝海舟の残した言葉を編んだもの。たとえば,次のような。
 人はよく方針方針と言うけれど,方針を定めて,どうしようというのだい。 あらゆる物事は,あらかじめ測り知ろうとしても,予測どおりにはいかない。 つまらぬ方針など決めても,どうにもならないよ。(p30)
 大きな事業をやりとげるくらいの者は,かえって世間からは悪く言われるものなんだ。 そこにこだわっているようでは,何ほどのこともできやしないよ。(p35)
 とんでもない困難に出合うと,だれでもが乾坤一擲,こここそが何よりも大切なポイントだと思って,一生懸命になるけれど,それこそが,一番の毒なんだ。 世間一般,いつでも,どこにでもあるようなトラブルに対して,いちいち頭を悩ませているようでは,とても大成することはできないよ。 ここは平気の平左で,澄ましこむだけの余裕がないといけないね。(p70)

2013.11.20 読売新聞政治部 『安倍晋三 逆転復活の300日』

書名 安倍晋三 逆転復活の300日
著者 読売新聞政治部
発行所 新潮社
発行年月日 2013.09.25
価格(税別) 1,400円

● 民主党政権末期に,自民党総裁に安倍さんが選出され,衆院選,参院選と続く半年あまりの軌跡をまとめたもの。
 その間,維新の会の花火のような躍進と退勢,日銀総裁の交代,TPP問題などなど,脇役も多彩に登場した。それらをまとめただけで,充分に読みごたえのあるノンフィクションになる。

● 本書で最もつまらない文章は「おわりに」に登場する。「参院選の与党圧勝を伝える当日の紙面(7月22日付読売新聞朝刊)で,筆者は次のように書いた」という,「次のように」の記事だ。
 正論というかわかりきったことの羅列。批判されようのない内容。ということは,空疎で情報量がゼロの文章。こういう文章の居場所がまだあるのだとすれば,新聞が衰退するのも当然かなぁ,と。

2013.11.20 茂木健一郎・加藤 徹 『東洋脳×西洋脳』

書名 東洋脳×西洋脳
著者 茂木健一郎
    加藤 徹
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2011.03.10
価格(税別) 760円

● 副題は「多極化する世界で生きるヒント」。面白い読みもので,一夕の歓を尽くすことができた。本を読んで自分の中の何かが変わるとは思えないので,要は面白ければいい。
 本書は,あ,こんな見方もあるのかと,たっぷり楽しませてくれる。

● ぼくのアンテナに引っかかったところを転載。
 宗教も政治も,漢字文化全体も,結局美意識の問題なんですよ。中国人の美意識は昔から同じで,一極集中の状態を美しいと感ずるのです。(加藤 p27)
 日本人はアメリカに行くと,日本人であるルーツをなるべく消そうとして,アメリカ人のように振る舞う傾向があるのですが,中国人はアメリカに行っても中国人でいます。(茂木 p34)
 中国人は喧嘩に発展するかもしれないリスクを承知で,どんどん外に出て行くじゃないですか。日本人はその勢いにかなわないところがある。もしかしたら中国人は,異質なものが隣にいることに慣れているのかもしれませんね。それを前提に生きている。 どうしても日本人は,国家のボーダーを民族と一致させるという意識が暗黙の裡にある。(加藤 p72)
 中国人というのは,二一世紀の今日でも,いまだに陰陽五行的な,初めに枠組みありき,という美意識に呪縛されています。(加藤 p146)
 (加藤さんは,中国は本当に覇権主義的な国だと思いますか)覇権主義以外の何ものでもないですね。何と言い訳しようと。(加藤 p162)
 人間も,民族も,国も,“夢見る乙女”となる時期があるのではないでしょうか。(加藤 p175)
 中国社会で生きると“摩擦抵抗”がとても大きい。フリクション・ロス(機械の摩擦抵抗)のように,仮にエンジンが一〇〇馬力あっても,途中のギアとギアの摩擦で力が失われて,実際にタイヤには七〇馬力ぐらいしか伝わらない。人は誰でも一日は二四時間しかないのに,人間関係で摩擦や軋轢が大きいと,時間とエネルギーをそちらに割かれてしまう。(p181)

2013年11月19日火曜日

2013.11.18 中川淳一郎 『ネットのバカ』

書名 ネットのバカ
著者 中川淳一郎
発行所 新潮新書
発行年月日 2013.07.20
価格(税別) 720円

● 「2ちゃんねる」が今より異界だった(その分,勢いがあった)頃,著者の『今ウェブは退化中ですが,何か?』を読んで,愉快に笑わせてもらったことがある。
 いまや,その「2ちゃんねる」を読みに行くこともほぼゼロになった。

● 総じて,ネットに書かれているものを読む時間は減った。自分でもこんなブログを書くようになったのが第一の理由で,人のものを読んでいる時間は減る道理だ。
 今では,ブログは旧世代のものとなり,ツイッターだ,Facebookだということになっている。ホームページを開設して情報発信なんぞというのは,石器時代に言われていたことのように思えてくる。

● ともあれ,これだけ書く人が増えたんだから,その分,読む人は減っただろう。PVのトータルが百万を超えるブログもあるけれど,それらの多くはブログ普及の初期に立ちあげたもので,当時に比べると,最近のPVはガタ減りになっているんじゃないかと想像する。

● いくつか転載。
 「実名」というのはバカにとっては抑止力にならない(p132)
 ネットがあるから多様な意見を知ることになった,という主張は嘘である。特に,自らフォローしたい相手を選べるツイッターは,心地よい情報だけを入れることが可能になった。だからそうして,彼らは,マスコミの偏向報道の歴史や,在日韓国人にまつわる噂やらを信じ,確証バイアスを強めていく。(p195)
 普段からやること,充実できることを持っている人は,別にネット上で過度にコミュニケーションを取る必要はない。仕事を引退して時間のある高齢者にとっては良いコミュニケーションツールなので,20年後のソーシャルメディアは相当多くの高齢者による書き込みが増えるだろう。(p217)

2013年11月18日月曜日

2013.11.17 武井一巳 『月1000円!のスマホ活用術』

書名 月1000円!のスマホ活用術
著者 武井一巳
発行所 青春新書
発行年月日 2013.10.15
価格(税別) 895円

● スマホが便利だということに異論はない。便利だから,けっこう使っている。多彩にということではなく,物理的に使っている時間が長いという意味で。
 ところが,ぼくの場合は,通信を前提にしなくてもすむ使い方で使っている時間の方がずっと長い。いうなら,スタンドアローン的な使い方。音楽を聴いたり,ワンセグを見たり。原始的といえば原始的だけど。

● となると,毎月の通信料が6,000円も7,000円も取られているのは,けっこう馬鹿馬鹿しいと思う。かといって,通信をまったくしないわけではないので,docomoとの契約を切ってしまうわけにもいかず。
 で,本書のタイトルを見て,買って読んでみましたよ,と。今頃知ったのかよ,って言われますな。そうなんですよ,知らなかったんですよ。

● 今使っているスマホから「らくらくホン ベーシック」に機種変更して,スマホはNTTコミュニケーションズの「OCN モバイルエントリー d LTE 980 SIM パッケージ」で動かすことにした方が,トータルでずっと安くなる。
 っていうか,前に使ってたガラケーが机のひきだしに眠っているので,プラン変更をして使えばいいわけか。

● その説明だけでは1冊にならないので,後半ではスマホの使い方のあれやこれも解説している。
 パソコンでもアドレスを指定したり,あるいはブックマークを使って,いつも見ているニュースサイトやブログなどを閲覧しているようでは,すでに大きく出遅れている。 いまや情報はフローの時代なのだ。どんどん新しい情報が出てきては,流れて消えていく。保存され,蓄積されている情報を検索し,閲覧するという時代ではない。流れていく情報を流し読みする時代なのだ。(p150)
 たしかにそうなのかもしれないんだけど。ツイッターなんかそうなんでしょうね。
 でも,ブックマークでは手に負えないほどのサイトを見てるって,それ自体どうなんでしょうねぇ。自ら進んでバカになりに行っているような気もするけどね。
 フローにつきあいますか。ぼくはヤだけど。

● ただ,次の指摘はなるほどと思った。Facebookを誰ともつながらない自分だけの場として使うってのはアリですよねぇ。これ,便利かも。
 SNSというと,友人や知人とのコミュニケーションの場だと思われがちだが,誰ともつながらずに自分だけの場を作り,ここにメモやニュースなどをどんどん書き込んでいくといった使い方だってできる。(p158)

2013.11.17 森 博嗣 『「やりがいのある仕事」という幻想』

書名 「やりがいのある仕事」という幻想
著者 森 博嗣
発行所 朝日新書
発行年月日 2013.05.30
価格(税別) 760円

● 久しぶりに著者のエッセイ?を読んだ。痛快無比。エゴという意味ではなく,徹底した自分中心主義が心地いい。ここがグラついていると,何事も始まらない。
 けれども,それが難しい。周囲に流されがちなものだから。

● 多すぎるかもしれない転載。まず,仕事の価値について。
 僕の仕事に対する第一原理というのは,(中略)「人は働くために生きているのではない」ということだ。(p9)
 ● 仕事が大変だと大人は言いたがるけど,それは本当か。
 子供は,学校でけっこう苦労している。勉強も大変である。僕は,社会人のしている仕事の方が,学業よりも楽だと考えている。どちらかといえば,子供の方が大変だと思う。(中略) 大人の何が楽かといって,仕事は辞められるが,子供は学校は辞められない。また,事実上,子供の自由で学校は選べない。大人は仕事を選べる。それだけを取っても,子供の方が過酷である。(p47)
 ● 他人とのつきあい方,あるいは,つきあわない方。
 僕は孤独が大好きなので,「堪え難い賑やかさ」ならわかるが,「堪え難い孤独」というものが理解できない。(p163)
 人間関係が酒の席で築けるなんて言うけれど,酒の席で壊れた人間関係の方がずっと多い。勘違いしないでもらいたい,と僕は常々思う。(p190)
 ● 情報とのつきあい方。
 やはり二十年くらいまえに,アップルという企業は凄いと思った。しかし,当時はそんなことを言うのは超マイナな人間だけで,みんな「アップルなんか風前の灯火じゃないか」「使っているのは,オタクなファンだけ」「やっぱりパソコンはNECだよ」と豪語していた。近いところではiPhoneが出たとき,僕はすぐに買ったのだけれど,そのとき周囲では「あのタッチパネルは駄目だよ,日本人は指でキィを押すのが好きなんです」なんて否定された。 どうしてそういうものの見方をするのかな,と考えれば,簡単である。「どうなるのか」を見ている人は少なくて,みんな,「こうであってほしい」「こうなってほしい」という見方をしているのだ。新しいものに対しても,「いや,そんなものが台頭してもらっては困る」というふうに見る。(p99)
 ● スタイルにこだわるのは愚劣。
 たとえば,新幹線の中で,パソコンを広げて仕事をしているビジネスマンがいる。きっと,ああいうスタイルが格好良いと思っているのだろな,と僕などは見てしまう。(中略) この「スタイルに拘る」というのが一番下のレベルで,その次が,「手法に拘る」というものだ。これも,まだ本質ではない。最も大事なことは,手法にもスタイルにも拘らず臨機応変に選択できる「自由さ」であり,拘るべきは,結果のコンテンツである。(p159)

2013年11月16日土曜日

2013.11.15 飯島 勲・大下英治 『官僚』

書名 官僚
著者 飯島 勲
    大下英治(インタビュアー)
発行所 青志社
発行年月日 2012.01.27
価格(税別) 1,500円

● 大下さんのインタビューに飯島さんが答えたもの。当時の民主党政権は政治主導を標榜していた。それに対して,官僚を使えていないと批判もあった。
 飯島さんは,昔気質の侍であるようだ。熱血漢でもある。

● 官僚を使いこなすためには,結果に対して人事で報いることだという。
 「人事で報いる」 その裏側には,意に反した場合はいつでも斬るという覚悟があります。 「官僚に,アメをやる必要はない」 これが私の持論です。結果として適切な人事を行えばそれで十分。(p178)
● 官僚は優秀であり,これを使いこなすのとそうでないのとでは,大変な差が生じる。
 官僚は,国有財産です。官僚には,非常に優秀な人材が多い。どんな大手企業のエリートよりも,人的なネットワークや情報量では霞ヶ関の官僚にはかないません。(p87)
 ● 東日本大震災における民主党政権の対応については,手厳しい。これがたぶん世評でもあるのだろう。
 後に起きた原発事故に鑑みても,現場の作業を中断させた菅総理の責任は,万死に値します。 その日午後,一号機で水素爆発が起きた後の官邸の対応も,お粗末でした。放射能漏れの可能性もあり,周辺住民への迅速な非難指示のためにも素早い情報提供が求められたが,菅総理は自らのパフォーマンスを優先しました。会見時間を夜まで遅らせました。その会見での第一声は,「わたしは,本日,午後六時に自衛隊のヘリコプターで現地を視察いたしました」というものでした。原発事故の後です。狂気としか言いようがありません。(p131)
 海江田万里経済産業大臣に至っては,こともあろうに,官邸の総理応接室を自分の事務所代わりに使用し,節電の最中に「寒いから暖房をつけろ」と厳命,さらにはふかしていたタバコの灰で,官邸の高価な絨毯を焦がして穴を開けたといいます。情報の風穴を開けるべく,連絡・連携に奔走すべき大臣が,国民の財産に穴を開けている場合ではありません。(p150)
 東京電力の発表が遅れたのも,菅総理が「わたしが直接国民に呼びかける」と言い出したからだといいます。(中略) やるべきこともできない菅総理が次のパフォーマンスの場に選んだのが東京電力本店です。十五日早朝,突然東電本店に押しかけて,怒鳴り散らしたといいます。事業仕分けでも見かけましたが,反論できない目下の相手だと,民主党は狼に変貌します。 総理はこのとき,政府と東電の統合対策本部を立ち上げるとして三時間も本店に居座ったといいます。この非常時に,すべての情報が集約される官邸から三時間も離れるという神経が信じられません。よほどやることがなかったのでしょう。(p151)
● 総理に求められる資質は何か。
 小泉総理に指導力と信頼感があったのは,その政策判断をすべてオープンにするという透明性があったからだとわたしは考えています。(p171)

2013年11月14日木曜日

2013.11.14 番外:Facebookの教科書

書名 Facebookの教科書
編者 曽谷貴夫
発行所 綜合図書
発行年月日 2011.06.01
価格(税別) 1,000円

● またまた,こういうものを手に取ってしまった。気になってるんだなぁ,Facebook。モノは試しで,始めてしまえよ,オレ。
 でもね,年寄りは逡巡するのが仕事ですよ。しょうがないんですよ。

● Facebookで何ができるのか。だんだんわかってきた。旅行のアルバムを作って友だちに公開するなんてのは,けっこう面白そうだ。
 でも,オレ,友だちの旅行の写真になんか興味あるだろうか。見せられたら迷惑って思うんじゃないかな。

● 個々具体のコミュニケーションをあんまり欲していないようだ。ぼくはリアルの世界でも友だちっていないし,あんまり欲しいとも思ってない。
 それでもあえてFacebookを始めてみると,意外な発見があって,使えるね,これ,なんてことになったりする。そういうことってけっこうある,っていうか,そういうことの方が多いんだろうけどね。

● ともあれ,結論。Facebookはやりません。

2013.11.14 番外:EVERNOTEの教科書

書名 EVERNOTEの教科書
編者 株式会社クランツ
発行所 タツミムック
発行年月日 2013.05.05
価格(税別) 1,000円

● クラウドの代表といえばEVERNOTE。じつはちょっとだけ使ったことがある。2年ほど前。
 ぼくのスマホはLTEに対応していないものなので,ファイルに辿りつくまでに時間がかかりすぎて,現状では使いものにならないと判断。それっきりになっていた。

● が,速度がでるようになったら,EVERNOTEを使うだろうか。そこまでのメモやノートを作るだろうか。
 そんなに大仰に考えないで,ちょこちょこ使うと便利だよってことかもしれないんだけど,常時接続で,いつも持ち歩いているスマホで閲覧できるといっても,クラウドに置いたら最後,二度と見ることはなくなるような気もしてね。自分の場合は,ですけどね。

● ホームページのクリッピングとか,ボイスメモとか,そういうことも普段,あんまり(あるいは,ほとんど)しない。そういうものをEVERNOTEに溜めておけるといわれても,どうもピンとこなかったりね。
 パソコンが壊れた場合でも,データは無傷で残るのは魅力的だけども,1ヶ月でアップできる容量が有料会員になっても1GBでは,とてもすべてのデータをあげるわけにはいかないしね。
 もともとワーキングデータのみを想定したものなのか。ユーザーの皆さんは,どういうふうに使っているんですかねぇ。

● 何より,クラウドを初めとする最近のサービスがこちらの想像力を超えて進歩してて,よくわからないものになっているってのが大きい。
 使ってみればわかるんだよね。それがわかってても億劫になるのが,年を取るということかねぇ。

2013.11.13 山口路子 『特に深刻な事情があるわけではないけれど私にはどうしても逃避が必要なのです』

書名 特に深刻な事情があるわけではないけれど私にはどうしても逃避が必要なのです
著者 山口路子
発行所 中経出版
発行年月日 2013.05.23
価格(税別) 1,300円

● 前半は痛快。ページが進むにつれて,だんだん説教臭を感じるというか,教え諭されているように思えてきたんだけど,これはぼくの錯覚かもしれない。

● 3つほど転載。今,ちょっとモヤモヤしてることがあって,それをスパッと割りきらせてくれた。いいタイミングでいい本を読んだ。
 相手が自分に悪意をもっていなくても,それどころかとっても親切にされていたとしても,なぜか苦手意識をいだいてしまう。その人といると,自分が価値のない人間,魅力のない人間に思えてしまう。そう。まるで個性というものが消滅してしまうようなかんじ。 そんなふうに思わされてしまう人が周囲にいないでしょうか。 もしいたとしたら早めに距離を置いたほうがよさそうです。組み合わせがそうとう悪いということなのですから。(p37)
 実は世間には固有名詞があると思うのです。出る杭を打つ習性のある○○さん,噂話に命をかけている○○さん,自分の意見を押しつけて恍惚とする○○さん・・・・・・。いかがですか。いま,誰か特定の名前,顔が浮かびませんでしたか。 彼らは自分にとって「大切な人ではない」ことが多いものです。換言すれば「失ってもよい人」です。そのような人の目を気にして自分の行動を制限するのは,ばかばかしい。(p79)
 「あなたのためを思って」的な物言いをする人とは極力,接触しないようにこころがけましょう。嫌な想いをするだけです。そしてそれが相手を喜ばせているとなれば,こんなに頭にくることはありません。(p81)

2013.11.12 奥野宣之 『人生は1冊のノートにまとめなさい』

書名 人生は1冊のノートにまとめなさい
著者 奥野宣之
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2010.11.26
価格(税別) 1,300円

● 副題は「体験を自分化する「100円ノート」ライフログ」。「自分の身の回りに起こったことや見聞きしたことを,できるだけそのまま記録しておくこと」(p10)を説く。

● ライフログを残すとして,そのやり方は色々ある。ツイッターのつぶやきがそのままログになるかもしれないし,Facebookを使うってのもありでしょ。
 手帳を使う人が多いですかね。0.3ミリの極細ボールペンを使って細かい字で書けば,相当量を書きこめる。

● 本書はノートを推奨。もちろん,それもOK。ただし,それを金科玉条にしないことだよね(する人はいないと思うけど)。

● もうだいぶ前になるけれども,著者の『情報は1冊のノートにまとめなさい』がベストセラーになったことがありましたね。何だったんだろうね,あれ。「1冊のノートに」っていうのに新味があったんですかねぇ。

2013.11.11 番外:使えるiPhone

書名 使えるiPhone
編者 高比良公成
発行所 アスペクトムック
発行年月日 2013.12.09
価格(税別) 648円

● 「仕事・くらし・遊び 変わるライフスタイル」が副題。「これひとつで 本当に 全部できる」と,ビジネス,カメラ・写真,くらし,音楽・映像に分けて,使い方とアプリを解説。
 5S,5Cになって何が変わったのかね。ぼくはよく知らないけど。なぜなら,ぼくはAndroidユーザーなのでね。

● ぼくの感覚では,iPhoneとAndroidの違いって,ワンセグ(最近はフルセグ)があるかないかだけだと思うんですよ。やれることなんてほとんど一緒でしょ。
 ぼくはテレビを持っていないので,見たい番組はスマホで見てる。なので,iPhoneだとちょっと困るんですよね。

● ところが,こういうムックでも,iPhoneものは面白そうなんだよね。ちょっと買ってみようかなと思わせるのは,AndroidよりもiPhoneを扱ったものに多いですな。
 このムックも写真とかちゃんとしてて,お金かけて作ってる感じ。パラパラめくってるだけで,けっこう楽しい。

● 知らなかったことが二つあった。
 ひとつは辞書。「大辞泉」って無料で使えるんだね。Wikipediaだけじゃなく,辞書は辞書で必要だから,これはありがたいかも。

● もうひとつは,動画再生アプリ。「AVPlayer」ってどんなファイル形式にも対応しているんですか,そうですか。これ,嬉しいかも。
 MP4しか再生できないもんだと思ってたのでね。まずMP4に変換してから,スマホに入れなきゃいけないものだと思ってた。けっこう面倒だなぁ,って。それが解消できるのは大きいな。
 両方ともAndroid版もあるんだろうね。今はなくても,じきにできるだろう。

2013.11.11 竹内 薫 『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』

書名 自分はバカかもしれないと思ったときに読む本
著者 竹内 薫
発行所 河出書房新社
発行年月日 2013.03.30
価格(税別) 1,200円

● 河出書房新社の「14歳の世渡り術」シリーズの1冊。中学生をなめちゃいけないですよね。中学生向けの書籍や図鑑って,大人が読んでも面白い。有用だ。

● バカをこじらせないこと,という言い方が何度も出てくる。巧い言い方ですね。バカもこじらせると慢性化してしまうことがあるんでしょうかねぇ。
 まわりからバカだと思われてると,人間っていうのはバカになっちゃう。這い上がれないんですよ。抜け出せないんですよ。ホントに不思議なことなんですけど,他者からのイメージによって自己イメージがゆがめられちゃうんですよね。(p28)
● 努力を継続することが,持って生まれた才能より大事だってこと。努力に勝る天才なし,って昔から言われているけど。
 才能よりも,努力を続けられるかどうかのほうが重要です。継続できる人のほうが結果的には伸びることが多いんですね。もちろん,すごく才能のある人にすごく努力されてしまうと,凡人は追いつけません。けれど,才能がある人って意外に努力しないんですね,たいていのことはできちゃうから。怠けることも多いんです。 そういう意味では,ほんとうの才能とは継続する力。でも,継続するためにはある程度自分を信じる必要があるんですね。バカだと思っていると何も始まらない。(p29)
● 多様性が大事。これもはるか昔から言われてきたことだと思う。が,統一が好きな人って,ほんと多い。「統一=チームワーク=勝利」という等式しか持っていないやつ。すなわち,バカ。
 基本的に,多様性が失われるとバカになるからです。個々人がバラついて見えるので,統一したがるのですが,実は多様性が確保されているほうがバカじゃない。(中略) 文化もそうです。文化の多様性が失われて考え方が統一され始めると,だんだん社会がバカな方向に進んでいくんですよ。(p66)
 どんなに客観的に見える文章だって,誰かが書いたものである以上,書いたときの文化的,歴史的制約を受けています。(p71)
● この文章の前に例としてあげられているのは大学の先生。いまどきだから,大学教授を賢いと思っている人はさほどいないとも思うんだけどね。大学教授しか務まらないヤツが大学教授になっているんだもんな。例外はあるんだろうけど。
 この社会のなかでバカかそうでないかを分けるのは,どれだけフィードバックを受けられるかってことなんですね。フィードバックを受けることによって自己修正がどれぐらいできるか,行動をどれぐらい変えられるかということで,たぶんバカかそうでないかが決まるんですよ。 自己修正のサイクルを止めてしまったときに,バカが始まるといってもいい。(p100)
● 以下も特に目新しいことではないけれども,時々誰かに言ってもらう必要がある。バカの意見は有害だし,バカどおしの議論は百害あって一利もない。
 この社会にはいろんな問題が次々と出てくるわけじゃないですか。経済の問題とか,原発の問題とか,領土の問題とか。それらについていろんな人がいろんな意見をいって論じるんだけれども,まず正確な情報に基づいて論じていない人がほんとうに多いんですよね。(中略) そういう議論(もどき)には,ひとつの特徴があります。 たいてい,「~らしいですよ」って,いうんです。(p104)
● インターネットが普及してから,英語の重要性は突出した感がある。ぼくは手を拱いているけど。
 玉石混淆の情報が溢れかえるこの現代社会において,インターネット社会,情報化社会といわれますね,精度の高い情報っていうのは,どうしても英語に偏っているんです。(p106)
● インターネットは便利だけれども,便利なネットを使いこなすには,使いこなすだけの条件がある。
 読書の基本的な役割のひとつに,知識を仕入れるということがありますが,知識の絶対量が少ないとどうしても人はバカになっちゃうんですよ。 知識を増やすためにインターネットをやる? それもいいけれども,インターネットで適切に検索し,インチキ情報をかいくぐって,信頼に足る情報にたどりつくには,その手前で,ある程度の知識の基本量が必要なんです。(p123)
● 瞬発力とスタミナ。サラリーマンと呼ばれる人たちに求められるのは,後者の方。
 このあいだ,銀行に勤めている友人がしみじみいっていたんですが,社会に出て必要なアタマの力は,耐久力だっていうんですね。つまり,持続してずっと使い続けてもへたらない力ですね。学生時代の受験勉強のように,決められた時間内に問題を解くというような能力はいっさい効かない,と。(p133)
● 天才とはなろうしてなれるものではないということ。
 いわゆる天才を見ているとですね,集中の時期がほんとうにすごいんですよ。ただね,自分で進んで集中する時間を確保しているんじゃないように思えるんです。(中略) なんといえばいいのか,天才というのはそういう運命の下に生まれてるんですね。集中する時間が降りてくる。(p140)
● 以下は,いくつかのティプス。ティプスというには,基本的な事項だと思うんですけどね。
 人間って,どんなにアタマがよくてもアタマのなかだけで考えることには限界があるんです。考えているうちに,なにやらごちゃごちゃしてきて,何を考えていたのかわからなくなることはありませんか? そんなときにはアタマのなかにあることを,ちょっと外に出してあげると,びっくりするくらい物事が整理されて見えてくることがあります。(p145)
 ● これも知っておくべき大切なことだ。努力の成果は,時間の経過とともに一様に現れるものではない,ということだ。
 成功している人はやっぱり根気があるんです。諦めない。諦めた瞬間にもうそれは達成できなくなるからです。(中略) なぜ途中で諦めてしまうのか。 一番の理由は,達成感がないから。いいかえると,成果が出ないから。 そうなんですけれど,ここに大きな勘違いがひそんでいます。 成果というのは,比例関係にはないんです。(p173)
 特殊技能を必要とする職業,たとえば野球選手とかピアニストとかカメラマンとかになるために必要な修行期間はだいたい1万時間だといわれています。子どものときピアノを習ったけど,うまく弾きこなせない人は,せいぜい練習時間が数千時間止まりだったのでしょう。(中略) でも,やってできない時間じゃない。あとは,根気が続くかどうかです。(p182)
 ● これは正直,耳が痛い。ぼくは職業人スタートの時点で,この点を誤ってしまった。バカの極みというべきだ。
 仕事ってすべてそうだなと思うんですよね。たくさんの人が関わっているんだけど,ひとりでもこだわりが足りない人がいると全体がダメになっちゃうことがある。(p193)
 仕事ができる人は何がちがうのか。 ぼくもいろいろな人を見てきましたが,できる人は,「つまらない」という状態に陥らないですね。どんな仕事にもそれなりのおもしろさというのを見出す。そういうふうに見える角度を探し出すんです。 ダメな人は逆ですね。その仕事のネガティブな面ばっかりに注目するんですよ。しかもその一方向からしかものを見ることができない。(p194)

2013年11月13日水曜日

2013.11.10 吉本隆明 『15歳の寺子屋 ひとり』

書名 15歳の寺子屋 ひとり
著者 吉本隆明
発行所 講談社
発行年月日 2010.10.18
価格(税別) 1,000円

● 吉本さんが15歳の中学生を相手に話したことをまとめたもの。吉本人生論のエッセンスが読みやすく圧縮されている感じ。

● 次のようなことがらが語られている。
 書いてみると,自分でも気がついていなかった自分自身の気持ちがわかることがあるし,それをもっと深く掘り下げていくこともできる。〈話し言葉〉が相手に何かを伝えるための道具だとしたら,〈書き言葉〉は自分の心の中に降りていくための道具だといってもいい。(p12)
 なんかよくわかんねえなって思ったら,わかったふりをしないで,わかんねえなって思ってりゃいい。そこでいいことをいおうとすると,たいていまちがいだぞっていうのがある。(p21)
 人は誰でも,誰にもいわない言葉を持っている。 沈黙も,言葉なんです。 沈黙に対する想像力が身についたら,本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持っているといっていい。(p23)
 誰に才能があって,誰に才能がないとか,そんなことはないというのが僕の考えです。 たとえばいい文章を書くということにしても,才能によるとか,資質によるとか,あるいは感覚がどうだとか,細かく数えるといろんな要素があるわけですが,そういうことは全部,二の次だと僕は思っています。そんなのはたいした問題じゃない。大事なのはしょっちゅうそのことで手を動かしてきたか,動かしてきていないかのちがいだけです。これは物書きに限らず,何でもそうですよ。(p25)
 じゃあ,どのくらい手を動かしたらいいのか。 僕は昔っから,「十年やれば一人前になれるよ」っていってきたんですよ。「十年やって,ものにならなかったら俺の首をやるよ」ってね。(p26)
 人の人生には,どうしても避けがたい不可避なことがある。 そういう受け入れざるをえないことを,どう受け入れるか。人が「生きる」っていうのは,もしかすると,そういうことなんじゃないか。(p39)
 ジタバタしてりゃあ,なんとかなっていくもんですよ。僕なんかはやりたいと思うことを好きにやって,遊んじゃった方がいいんじゃねえかって思っちゃうくらい。ちゃらんぽらんが身を助けるってこともあるからね。(p85)

2013.11.10 岡田斗司夫 『プチクリ』

書名 プチクリ
著者 岡田斗司夫
発行所 幻冬舎
発行年月日 2005.12.10
価格(税別) 1,200円

● 再読。プチクリとはプチ・クリエイターのこと。プロであるプロクリと対をなす。プロクリなんてそんなに羨ましがるほどの職業じゃないよ,プチクリでいるのが楽しいよ,ということ。
 キーワードは,表紙にも掲載されている「好き=才能!」。
 一番大切なことは「プチクリであるということは,それだけで心地よい」ということです。 プチクリの活動は,「自分が好きなこと」を他人に伝え,喜ばせること。 このしくみの中には,敵もいなければ,損をする人もいません。 プチクリであるということは,それだけで自由です。(p189)
 ● プチクリになるのに必要な才能とは?
 プチクリの才能。 それはまるで,自分の好きという気持ちをオノロケすることだったんですね。 オノロケが恥ずかしい人なら,知的ぶってちょっと気取ってもいいんです。(p107)
● 才能ではない。表現力だ。
 実は,「才能」というのは,そんなに差がありません。 いろんな才能を見てきた私が言うのですから,ある程度信じていただきたいのですが,「圧倒的な才能」と「まったく才能ゼロ」との差というのはせいぜい3倍程度です。(中略) しかし,「コントロール力」は違います。平気で人によって10~100倍の差があります。(p119)
 よく自分を「才能がない」と言う人がいますが,そういう人は「あんまり時間を使っていない」という場合がほどんどです。 「年中,そのことを考えてる」 「時間がありさえすれば,すぐに手を動かしだす」 こういう人は,あっという間に上手くなります。(p121)
● 決意と自覚も大切。
 クリエイティブな能力を最大限発揮するために必要なもの,それは才能ではありません。ましてや「お金」でも「コネ」でも「根性」でも「時間」でもありません。 それは「決意」と「自覚」です。 「私はクリエイターである」という決意。 「私はクリエイターだから」という自覚。 どれだけ本気で決意できるか。どれだけ腹の底から自覚できるか。 必要なのは,たったそれだけです。(p134)
● 具体的には,次のような提言がなされている。
 ・ペンネームを考える
 ・プチクリ宣言をする
 ・プロ仕様の道具を買う
 ・締め切りのある具体的な目標を決める
 ・心の師匠を決める
 ・自分で自分を先生扱いする

2013年11月9日土曜日

2013.11.08 岡田斗司夫 『オタクはすでに死んでいる』

書名 オタクはすでに死んでいる
著者 岡田斗司夫
発行所 新潮新書
発行年月日 2008.04.20
価格(税別) 680円

● 本書が言いたいことは,以下に尽きている。それを訴えるのにこの1冊を作りましたよ,っていう。
 「みんなが好きなものというのは人から与えられたもので,みんなから仲間外れにならないために選んだようなものだけど,私たちは違う。自分が好きだから選んで,いまだに差別があっても選び続けているんだ」 こんな強烈な自意識,自負心があるのがオタクだと思ってきました。ところが,オタクとはそういう強者では,どんどんなくなっている。自分の趣味を理解してくれないのは世間が悪い,と訴える弱者のたまり場になりつつあるのです。(p138)
● 結局,著者は強烈に自分を書いているわけで,その著者のありようがとても魅力的。一気に読了できた。

2013.11.08 岡田斗司夫 『東大オタク学講座』

書名 東大オタク学講座
著者 岡田斗司夫
発行所 講談社文庫
発行年月日 文庫版:2008.05.15
          元版(単行本):1997.09
価格(税別) 781円

● かなりスリリングな知の展開。こういうふうにすれば,知って面白く見せられるのかっていう見本のようなもの。
 後半はゲストをよんでの対談になっている。これも全部面白かった。
 UFOや外気功,スプーン曲げのような超常現象を一刀両断。いまや,DaiGoが登場して,スプーン曲げのからくりはかなり知られてきてるけど,登場したてのユリ・ゲラーには,子供ながら驚かされたもんだ。

● 元になった東大での講義は20年近くも前のものだけれども,今読んでもぜんぜん面白い。核になっているのが知の使い方だから,古くなりにくいんでしょうね。

● 自分の作品のユーザーの大半は馬鹿ではないかという不安。
 『脱正義論』のところでも描かれていたんですが,「厚生省前で集まれ!」と呼びかけられて,何千人か集まりましたよね。あの何千人も集められたというのは,本当に『ゴーマニズム宣言』の力だと思うんですが,あれで集まった何千人というのは,一体どういう人たちなんでしょう。(中略) こういう言い方は変ですけれど,「まんがにそそのかされて来るような奴」ですよね。(p477)

2013年11月4日月曜日

2013.11.03 番外:480円でスグわかるFacebook

編者 澤崎勝彦
発行所 普遊舎
発行年月日 2013.10.01
価格(税別) 480円

● Facebookもツイッターもやったことがない。自分には要らないものだとも思っている。だけれども,480円だしてこういうムックを買うくらいだから,気にはなっているのだ。

● そもそも,Facebookって何なのか,何をするためのものなのか,っていうところがわからない。
 本書の冒頭に次の3つがあげられている。
 友達と交流 離れている相手の近況が文字や写真でわかる
 近況発信 日々反応がもらえる写真・動画日記のよう
 情報収集 お店やブランド・有名人の限定情報も盛りだくさん!

● ということは,あれか,よほど寂しい人たちがやってるものなのか。今って,そこまでマンツーマンのコミュニケーションを求める人が多いのか。
 離れている相手の近況が文字や写真でわかったからって,それが何だというのだ? ひょっとして,世間全体が幼児化しているっていうことか。

● 近況発信っていったてさぁ,普通の人の近況なんてどうでもいいだろうがよ。日々反応がもらえるってのは,友だち間でのことだと思うんだけど,幼稚園児や小学生じゃないんだから,そんなことで盛りあがってなくてもいいだろうよ。
 って,こういうのを憎まれ口というんだな。

● めんどくさいと思ってしまうなぁ。ぼくはリアルの世界でもあまり個対個のコミュニケーションを求めない方だから,やっぱりFacebookなんぞは無用の長物ってことになるのかなぁ。
 ただ,それだけだったら,Facebookがここまで普及することはなかったとも思うのでね,ほかに何か各自にとってのメリットがあるんだろうね。

● これさ,若いときだったら,とりあえず始めてたと思うんですよね。どんなものかはやってみりゃわかるんだから,まずやってみたらいい。合わないと思ったらさっさとやめればいいだけだから。
 それをウダウダとあれこれ言ってるのは,年をとったせいなんだろうな。

2013.11.02 リチャード・マクドナルド 『世界がもし100年の物語だったら』

書名 世界がもし100年の物語だったら
著者 リチャード・マクドナルド
    佐藤ヤエコ(絵)
訳者 宮田柄午
発行所 夏目書房
発行年月日 2002.03.08
価格(税別) 900円

● 『もし世界が100人の村だったら』が地理編だとすれば,こちらは歴史編。

● で,圧倒的に地理編の方が面白いですな。
 歴史編においては,恐竜が登場するのは95年目で,人類が登場するのは99年目の12月から。いわゆる歴史が始まるのは,大晦日からってわけだから。

● それまでは何にもない。ってことはないわけだけど,茫洋としていてね。

2013年11月1日金曜日

2013.11.01 鳥海 靖 『もういちど読む山川日本近代史』

書名 もういちど読む山川日本近代史
著者 鳥海 靖
発行所 山川出版社
発行年月日 2013.04.30
価格(税別) 1,500円

● 山川出版社の「もういちど読む」高校社会科教科書シリーズの1冊。といっても,高校の授業科目に日本近代史があるとは聞いたことがない。本書も教科書のリライトではなく,書き下ろしたもの。
 じつは,著者の日本近代史を読むのは,今回が初めてではない。もう20年近くも前になるけれど,同じタイトルの本を読んだことがある。放送大学の印刷教材として出版されたものだった。それよりも,今回の山川の方が情報量も多いし,水準も高いんじゃないかと思う。

● 教科書的通史ではあるものの,面白く読めた。スイスイグイグイ読める。
 昔,進歩的文化人と呼ばれた人たちが書いた断片は,読むとザラザラした感覚が残った。薄汚いとはこういうことかと思わされたものだ。
 本書にはそういうものが一切ない。丹念に史料を渉猟し,自身の空想が勝手に羽ばたかないように細心の注意が払われている。

● かつての主流をなしていた「マルクス主義歴史学,ないしそれに同調する立場からの歴史研究」に対して,次のような疑問を提出している。
 第一に「西欧先進国との比較で「遅れ」「ゆがみ」を指摘する場合,そこでの西欧理解があまりに観念化・理念化されていて,必ずしも歴史の実態を踏まえていない点」。
 第二に,「「遅れ」「ゆがみ」論が,制度上の建前にとらわれすぎて,制度の実際上の運用を軽視している点」。
 第三に,「時代状況を度外視した今日的価値を基準とする理解・評価への疑問」。
 要するに,かつての主流派は,手間暇や思考を惜しみすぎたということですか。こういうものがたとえば大学で教えられていたとすれば,勉強家ほど馬鹿になるというか,高学歴者ほど愚かになる,ってことになる。こういうことって,わりとありそうな気がする。

● 「はじめに」で「歴史を内在的にとらえるためには,まずなによりも,それの時代に生きた生身の人間たちがどのような価値基準に基づいて,なにを考え,なにを目標に行動したかを,歴史状況に即して理解することが必要不可欠といえよう」と書いている。
 そのとおりなんでしょうね。ただ,そうしたことは近代史では可能であっても,さらに過去に遡る中世史や古代史に関しては,かなり難しくなるんでしょうねぇ。
 「歴史には神も悪魔も登場しない」という諺があることも,本書で初めて知ることができた。