2013年4月30日火曜日

2013.04.30 森 博嗣 『工作少年の日々』


書名 工作少年の日々
著者 森 博嗣
発行所 集英社
発行年月日 2004.07.30
価格(税別) 1,500円

● 工作少年だった日々のことを書いているのではなく,今現在の自分を工作少年と呼んでいるわけだ。著者の今の暮らしを綴ったものだ。
 工作への傾倒がハンパない。やってみろと言われたって,できるもんじゃない。

● しかし,世の中にはできる人がいる。それを分けるものって何なんだ。遺伝子か,幼少時の環境か。そういうわかりやすいものでもなさそうだけど,ほんと,何なんだろうねぇ。

● ワープロを使っていると,漢字を忘れてしまうとか,文字が書けなくなる,などというけれど,忘れてしまえば良いではないか,とか,なにかというと「健康が一番」と口癖のように言い続け,毎朝欠かさずに散歩に出かけ,健康食品などにも気を遣っている人間ほど,どうもコンテンツがない,とか,実際に今よりも沢山の時間があっても,結局,できることは大して変わらないのでは,とか,ハッとさせられる指摘がたくさんある。

2013.04.26 森 博嗣 『科学的とはどういう意味か』


書名 科学的とはどういう意味か
著者 森 博嗣
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2011.06.30
価格(税別) 760円

● 先の東日本大震災で,多くの人たちが,マスコミが機能不全に陥っていることを痛感したのではないかと思う。自分たちがやるべきことを全然やれていないっていう。
 著者も容赦なく次のように指摘する。
 原発の放射能漏れの大事故では,TVの司会者やコメンテータが何度も「はっきりと示してほしい」と訴えていた。しかし,(観測数が充分とはいえないが)測定された数値は毎日示されているのだ。また,その数値がどんな危険を意味するのかも,秘密にされているわけではない。情報は公開されている。「はっきりと示してほしい」というのは,数字を頭に留めず,「ただちに健康に影響が出るレベルではない」という言葉を聞いているからだろうか。はっきり示すことは,むしろマスコミの仕事なのではないか。(p156)
● さらに,報道の受け手である大衆に対しても手厳しい。
 測定値をきちんと捉え,それによって各自が判断することが大事だし,それしかないのである。こんな事態になっても,数字から目を逸らし,「数字なんて当てにならない」と言う人がいるのだ。やはり科学を遠ざけることの「危険」を感じずにはいられなかった。(p157)
 ● 科学の本質は何か。著者は明解に次のように説く。
 科学とは「誰にでも再現ができるもの」である。また,この誰にでも再現できるというステップを踏むシステムこそが「科学的」という意味だ。 (中略) このように,科学というのは民主主義に類似した仕組みで成り立っている。この成り立ちだけを広義に「科学」と呼んでも良いくらいだ。(p75)
 他者によって現象が再現され,正しさが確認されるためには,情報が包み隠さず公開され,研究者どおしのコミュニケーションが重要である。そして,このコミュニケーションには,数字が不可欠となる。(p79)
● 世の中のオピニオン・リーダーは文系人間が多い。彼らがとんでもないことを平気で言う。著者は科学を擁護する。
 科学を目の敵のように言う人もいる。「科学ですべてが説明できるのか? そんなふうに思っているのは科学者の傲りだ」と。それは違う。科学者は,すべてが説明できることを願っているけれど,すべてがまだ説明できていないことを誰よりも知っている。どの範囲までがまあまあの精度で予測できるのかを知っているだけだ。しかし,科学で予測できないことが,ほかのもので予測できるわけではない。(p85)
 ● 「科学は人間の本当の幸せを奪っている」「科学が自然を破壊している張本人だ」「科学の発展とともに人間性が失われた」と,言葉だけで(科学に対して)反発・非難しようとする(p90)人がいる,と著者はいう。
 たしかにね,人文系の人にけっこういるよね,こういう人。大学生向けの哲学や倫理学の教科書的な本にも,わりとこの種のフレーズは出てくるんじゃないか。
 どうなんだろう,いまどき文学部哲学科から哲学者って出てくるんだろうか。自然科学の水準を知らないで,世界の成り立ちや起源,認識や思考について,考えを巡らすことが成立するんだろうか。いずれは,理学部哲学科ってのがあたりまえになる?

● 著者の次の指摘も心にとめておくべきでしょうね。
 大人は子供に対して,「無邪気に自然の中でのびのびと走り回ってほしい」というような偏ったイメージを抱きすぎているのではないか,と僕は感じる。(p183)
 著者がいうイメージは,いかにも子供と親和性が高いと思ってしまうんだけど,これは昔に子供時代を過ごしてきた大人のノスタルジーにすぎない? ぼくは「自然の中でのびのびと走り回っ」た子供では全然なかったけれども,それでも子供はかくあるべしと思い込まされているもんね。
 ひょっとして,大人が自分にそう望んでいるとわかっていて,それに沿うように子供が演じている,なんてこともあったりするのかねぇ。

2013.04.25 森 博嗣 『常識にとらわれない100の講義』


書名 常識にとらわれない100の講義
著者 森 博嗣
発行所 大和書房
発行年月日 2012.07.30
価格(税別) 1,300円

● これも痛快な人生論・生活論。著者のように文章で語ることなく,しかし同じような思いを秘めている人が,この日本にも秘かに潜伏していると想像すると,かなり痛快。
 が,残念ながら,自分はそれだけの明晰さを備えていなかった。うぅん,残念。

● 明晰なだけでは,すまないよね。著者も次のように書いている。
 僕は,自分の気持ちに素直でいたい。そうすると,いろいろ不安になることもあるし,とても自信といったものは持てない。なにかあるごとに,正しいか正しくないかという道理を考えなければならず,悩んでばかりである。(p19)
● 大衆は馬鹿である,と著者は遠慮せずに指摘する。
 人間は生まれても数十年で死んでしまうから,それほど賢く成長することがない。過去の知恵を学習するけれど,それも時間的に限界がある。だいたい,多くの人は,最初の十年くらいしか勉強をしないから,そのあとは本当に家畜のように生きている,といえるかもしれないのだ。それが人間の幸せだ,と彼らは考えているし,そう思わせることは支配者にとっては都合が良い。都合が良いから,あまり正そうとはしない。(p69)
● 人が陥りやすい思考の癖を癖と知っている人は,そうそういないとしたものだろう。
 その理由があったから好きになったのではない。しかし,一旦理由を思いついてしまうと,もうそれに縛られる。好きなものを探さず,理由を探すようになる。(p27)
● 仕事はシビアに考えないといけない。ここが著者の特性のひとつであるようだ。怠けを嫌う度合いが強い。
 たしかに,お客様の満足は大事な要因の一つではある。そんなことは当たり前で,今さら言うまでもないだろう。しかし,作り手がその程度のものに一喜一憂しているレベルでは,やはりアマだと思う。プロというのは,自分自身に確固たる評価基準があり,それに従って淡々と仕事をこなすものではないだろうか。(p93)
 自信というのは,練習を積み重ね,失敗をしないようになったときに生まれるもの、というような使い方をされている表現だが,僕はそうは考えない。(中略) そうではなく,僕は,できないものがいつかはできる,と信じられることが「自信」だと思う。(p107)
 「やればいい」というのが究極の方法だと思う。 本当に,これくらいしか普遍の法則はない。悩んだり,議論したり,あるいはなにかを気にして躊躇したり,文句を言ったり,言い訳をしたり,できない理由を沢山思いついたり,そんなことをするよりも,「つべこべ言わず,やれば良い」というものがほとんどである。(p108)

2013年4月25日木曜日

2013.04.24 森 博嗣 『つぶやきのクリーム』


書名 つぶやきのクリーム
著者 森 博嗣
発行所 講談社
発行年月日 2011.09.15
価格(税別) 1,500円

● すでに読んだエッセイにも盛られているのと重複するところもけっこうある。が,読んでいて気分爽快になる効果は相変わらず。
 本書を読むのに費やす数時間は,けっこう嬉しい時間になる。

● 次の文章を読んでドキッとした。
 自分のブログに,読んだ本の中で気に入った文章を抜き出して書いている人はとても多い。著作権的に問題があるとは思う。それから,ほとんどは間違ってコピィされているから,それも問題だ。まあ,でも,目くじらを立てるほどでもない。そういうブログを読む人はごく少数だろうし,影響はほとんどないだろう。 自分が感動したものを,ほかの人にも見せたい,という素直な気持ちがさせる行為にちがいない。(中略)ブログに書いて溜めておけば,あとから検索ができる。将来,ふと思いついたときに,確かめたくなるだろう,と予想しているのか。 でもこれは,あまり役には立たない。というのも,その言葉そのものをいくらコピィしても自分で活用できないからだ。(p192)
 このブログも,最近は抜き書きだけになっていたからね。著作権法上の問題もさることながら,「そういうブログを読む人はごく少数だ」ってのもそのとおりなら,「役には立たない」ってのもどこかで気づいていながらやってたんだよなぁ。

● 著者は「一流のデザイナーが「どこにもないユニークなもの」を提供すると,その良さが普通の人にはわからない。何故なら,普通の人はデザインの良さを感じる一流の感性を持っていないからだ。世の中には,一流よりも二流の方が圧倒的に多い。二流の感性の受け手は,一流よりも二流の作品の方に安心する。みんなも良いと言う。だから,それが良いものの典型になる」(p118)とも書いている。
 普通=二流,という図式が成立する。で,普通や二流を何とかしなきゃとか,何とかできるとは,あまり思っていない。リアリストだ。その徹底ぶりが小気味いい。

● 次の文章も自分のことを言われているような気がした。同じように感じる人が,たぶん多数派ではないかと思うのだが。
 失敗したことでくよくよしている人というのは,成功したときには必要以上にその余韻に浸っている。つまり,後を引くタイプというか,自分を振り返りすぎるというか,ようするに失敗も成功も大きく受け止めすぎる。(p152)

2013年4月23日火曜日

2013.04.23 森 博嗣 『自由をつくる 自在に生きる』


書名 自由をつくる 自在に生きる
著者 森 博嗣
発行所 集英社新書
発行年月日 2009.11.22
価格(税別) 680円

● 著者から感じるのは不羈独立。著者のようにできる人はほとんどいないだろう。本書によってこうすればいいんだよと教えてもらっても,なるほどとは思っても,そちらに梶を切れる人もあまりいないだろう。
 本を読んだくらいで劇的に何かが変わることがあると考えるのは,少し以上に図々しい。

● けれども,世の中にはこういう人が実在するということを知れただけでも,時間をかけて読んだ意味はあったと思えばいい。

● 説かれていることは,タイトルのとおり。自分を支配するものを点検しろってこと。
 それは常識だったり,規範だったり,大人だったり,世間だったりする。あるいは,過去の自分のこともあるかもしれない。
 しかし,そのためには多少の勇気と賢さが必要だ。

● 「今は自由に何を考えても良い時代である。それでも,本当に自由に考えている人って,そんなにいないのではないか,と僕は感じている。 何故かというと,大勢が常識に支配されて,同じような考えしか持っていないからだ。考え方まで,なにかに支配されているように見える」(p31)というところから出発する。
 では,どうすればよいか。具体的な方法論が示される。

● ブログを書いている人に対して,特に次のような警告がある。
 本当は誰も読んでいないかもしれない(その可能性が非常に高い)のに,仮想の大勢の読者を想定して(自分の行為が注目されているものと妄想して),ブログを書く人は多いだろう。そういう心理がよく表れている文章が散見される。冷静になって観察すると,酔っ払ってハイテンションになっているときのようにも見える。 本来,自分の時間は自分のためにある。何をするかは自由なはずだ。 しかし,ブログを書くことが日常になると,ついブログに書けることを生活の中に探してしまう。(中略) 知らず知らず,ブログに書きやすい毎日を過ごすことになる。 これは,「支配」以外のなにものでもない。人の目を気にし,日々のレポートに追われるあまり,自分の可能性を小さくする危険がある。充分に気をつけた方が良いだろう。(p52)

2013年4月22日月曜日

2013.04.22 池波正太郎 『味な映画の散歩道』


書名 味な映画の散歩道
著者 池波正太郎
発行所 河出書房新社
発行年月日 2013.02.28
価格(税別) 1,600円

● 1970年代に刊行された池波さんの映画エッセイをあたらに1冊に編んだもの。登場する映画は,したがって,今では古典となっているもの。
 しかし,古い感じがしないのは,ひとつにはぼくがそれらの映画をほとんど見ていないこと。もうひとつは,映画そのものの紹介ではなく,映画に斬りこむ池波さんの視点が面白さの眼目になっているからだ。

● 「アメリカにせよ,日本にせよ,四,五十年前のあのころ,街へ射しこむ陽光だけは,まだ汚れつくしてはいなかった」(p52)とか,「今のアメリカは,カラー・テレビが氾濫した野蛮国だと,吐き出すようにいう三十男の刑事の,一九三〇年代へのあこがれ」(p94)という表現が出てくる。
 人はいつの時代でも,末法の世に生きる宿命にあるようだ。そのように考えるのが好きなんでしょうね。それが脳の嗜好なのかもしれないね。

2013年4月19日金曜日

2013.04.19 吉本隆明 『フランシス子へ』


書名 フランシス子へ
著者 吉本隆明
構成・文 瀧 晴巳
発行所 講談社
発行年月日 2013.03.08
価格(税別) 1,200円

● 「フランシス子」とは吉本さんの愛猫の名前。吉本さんはフランシス子が亡くなった9ヵ月後に自らも逝った。
 本書は,その最晩年の吉本さんへのインタビューというのか,問わず語りというのか,吉本さんがゆっくり(だったと思われる)語った話を文章化したもの。

● こういう本は,こちらもゆっくり読まないといけない。1時間で読めてしまうかもしれないけれども,道草を喰いながらゆっくりと。

● こういう本からの転載はいかにも野暮だけれども,いくつかを写しておく。
 行き止まりでも,その先を生きていくほかない。 いつでもそう思ってきました。 終わりから始まる。 そういうところは依然として残っています。(p65)
 何か大事なものかそうじゃないか,それもよくわからんのだけど,本当は中間に何かあるのに,原因と結果をすぐに結びつけるっていう今の考えかたは自分も含めて本当じゃないなって思います。 何かを抜かして原因と結果をすぐに結びつけて,それで解決だって思おうとしてるけど,それはちがうんじゃないかって。(p66)
 親鸞は,そういうごく普通の人々と同じところに自分も行こうとしたんですね。 普通のお坊さんは,自分が修行をして特別な境地に達することで,人々を教化するという考えだったけど,親鸞はちがった。 そこが親鸞の特異なところだし,すごいところだったと思います。 人々を救ってあげる偉い人間がいるんじゃない。 普通の人こそが人間だって考えて,自分の宗教心を普通の人に近づけようとして,うんと努力した人なんです。(p98)
 あるところでは若いときには全然なかったことを考えてるんだけど,それを言わないだけ。 思ってるんだけど,やらないだけ。 思ってるんならやりゃあいいじゃないかって思うかもしれないけど,思ってるけどやらないってことがあるんだってことが,いよいよわかってきた。 そういうことがよくわかってくるっていうのがお年寄りの特性っていうか,せめてもの慰めでね。(p107)

2013年4月18日木曜日

2013.04.18 伊集院 静 『別れる力 大人の流儀3』


書名 別れる力 大人の流儀3
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2012.12.10
価格(税別) 933円

● 週刊誌に連載したエッセイをまとまたもの。書く方は苦吟して書いているのかもしれないが,読む方はサラッと読める。サラッと読めるように苦吟するのがプロ,ってか。
 たまにはこういうエッセイを読んで,気持ちを洗濯したいものだ。どうせまたすぐに汚れるに決まってるんだけど。

● ひとつだけ,転載。
 被災地の瓦礫を拒否した市町村がある。 なぜ平然と拒否ができるのか。自分たちの子供や年寄りに放射能が・・・・・・。 では聞くが,自分たちとは何なのだ? 日本人ではないのか。それともすでに日本人を捨てているのか。 瓦礫を引き受けないと口にした市町村にはまともな大人が一人としていなかったのか。 (中略) 恥を知れ。人間としての,恥を知れ。(p158)

2013.04.17 日下公人 『日本精神の復活』


書名 日本精神の復活
著者 日下公人
発行所 PHP
発行年月日 2013.02.12
価格(税別) 1,500円

● 3年間の民主党政権の最大の功績は,戦後の自民党政治が(比較的)まともなものだったことを,国民にわからせたことにあるかも。
 マスコミも学生も市民運動家も,ずっと自民党批判を生きがいにしてきたけれども,彼らの言うとおりにやっていたら,日本はどうなっていたことか。
 床屋政談のレベルで実際に国を動かせばどうなるか。民主党が証明してくれたようなものだ。

● 市民運動が正しかったことなど一度もなかったとぼくは思っているが,なぜそうなるか。考えているところはあるけれども,ここには書くほどのことでもない。
 ただね,人間は常に間違う,必ず間違う。そういうものなんだと思っていた方がいいんだろうなとは感じている。もちろん,ぼくも大衆の一人なんだけどね。

● 市民運動や労働運動をメシの種にする奴がいる。人のうえに立ちたがるタイプ。会社で出世するには頭が足りないくせに,人に号令することが好きなやつ。さんざん見てきたな,こういう奴。
 ホテルやレストランや酒場で,従業員に横柄な態度を取っている馬鹿を見かけたら,まず労組の役員だと思えばいいんじゃないか,という程度には,ぼくはこの手の奴を嫌っている。労働者の味方たるべき労組の役員が,労働者であるウェイトレスやホステスや仲居さんに横柄。うんざりするほど知ってるぞ,この手の馬鹿。

● 以上は本書とは関係ない。のだが,マスコミやインテリの馬鹿さ加減に著者は呆れているようで,読むと溜飲が下がるということはある。

● 著者が言うのは,まず,日本人(の大衆)がいかに高潔・英明であるかということ。
 もちろん,大衆のすべてがそうだっていうんじゃないでしょうねぇ。そういう人が全体の5%もいれば,結果において相当なものなのだろうと思う。

● しかし,政治家や官僚,進歩的知識人(死語か)やインテリ,マスコミはどうにもならない,と。

● アメリカ,ヨーロッパ,中国は信用できない。
 (アメリカは)アメリカ人であろうと外国人であろうと,地上にいる人は金融商品を売りつけてお金を収奪する対象にし,「詐欺のグローバル化」をこの十年間,盛大に実行してきた。 周囲の人より少し道徳レベルを下げれば富が手に入るというのは,古今東西の真理である。(p73)
 二〇一二年九月,中国で「反日」暴動が起き,暴徒が商店から品物を略奪した。新聞に出ていたのはそこまでだが,本当は何年も前から,中国では日本企業の社員を不当に拘束し,取り調べをしたりしていた。現地法人の社長に難癖をつけて身柄を押さえ,「身代金を払わなければ帰さない」といった事態が,中国各地で起きていた。昔,韓国で日本がやられたことの再来だから韓国人は心得ていて,我先に国外脱出した。お人好しの逃げ遅れた日本人が捕まり,工場も店の品物も奪われた。(p175)
● では,こういった国々と渡りあうにあたって,日本人はどこに注意したらいいのか。
 「普通の国」となる覚悟も欠かせない。「日本版CIA構想」の話が出たとき,私の友人の一人が,こう質問した。 「日本も人殺しをやるのですか」 アメリカのCIAもイギリスのMI6も,イスラエルのモサドも暗殺は諜報機関業務の常識である。「当然やります」と誰かが言いそうなものだが,みな沈黙してしまう。暗殺しない諜報機関など,子供の遊びにしか見えない。 真偽は定かではないが,サミットの正式会談後,首脳同士が酒を飲みながらの話は「次の暗殺ターゲットは誰か」の相談だという。場合によっては「あいつを殺してくれ」と他国に暗殺を依頼し,ターゲットの交換をする。 日本はそういう大人の話に乗れないから,「子供は寝てなさい」となる。(p186)

2013年4月16日火曜日

2013.04.16 森 博嗣 『小説家という職業』


書名 小説家という職業
著者 森 博嗣
発行所 集英社新書
発行年月日 2010.06.22
価格(税別) 700円

● 本書の要諦は「まえがき」に述べられる。
 間違えないでもらいたい。良い小説(あるいは一部の文章)とは,そのような「こうすれば書ける」では成り立たない「創作」なのである。創作とは,元来そういうものだ。個人の感性が作り上げる芸術は,すべて同じである。(p5)
 大事なことは,「こうすれば」という具体的なノウハウの数々ではなく,ただ,「自分はこれを仕事にする」という「姿勢」である。その一点さえ揺るがなければなんとかなる,と僕は思っている。ようするに,「小説を書いて,それを職業にする」という決意があれば,ノウハウなどほとんど無用なのだ。(p5)
 ● 以上だ。火の玉のような人ですな。どんな分野でもひとかどの仕事を残す人は,こういう人なんだろうな。
 悩んでいる暇があったらまず作品を書いてみろ,というのは的確な助言だと思う。ウダウダ,グズグズはみっともない。

● 本を大量に読むことに,著者は懐疑的。読むだけでは意味がない,その後に考えないと。

● 小説を書く人が備えていなければならない最低条件。
 自分の作品を人から批判されて腹が立つ人は,もう書くのをやめた方が良い,ということだ。腹が立つこと自体が,自信がない証拠だし,笑って聞き流せない思考力,想像力では,創作という行為においては明らかに能力不足だろう。(p85)
●  ひょっとして,小説家になりたいという人の中には,坊主になって修行したいという人と同じように,人間関係に疲れたから隠居したいっていう人もいるのかなぁ。自分だけでできる稼業で喰っていきたいっていう。
 そういう動機だとなかなか厳しいのだろうなぁ。人に対してタフじゃないと。どんな職業でも同じなんだろうけど。

2013年4月15日月曜日

2013.04.15 オスカー・ブルニフィエ 『神さまのこと』


書名 神さまのこと
著者 オスカー・ブルニフィエ
    ジャック・デプレ(イラスト)
訳者 藤田尊潮
発行所 世界文化社
発行年月日 2012.08.20
価格(税別) 1,500円

● 絵本。だから読むだけなら数分で読める。文章の漢字にはルビがふられていない。から,子どもはなかなか読めないだろう。読者対象には大人を想定しているのか。

● 静かなところでゆっくり見ていく本なのかもしれない。なかなか,それができないんだけどね。

2013.04.15 駿井麻里 『魔法のフセン術』


書名 魔法のフセン術
著者 駿井麻里
発行所 秀和システム
発行年月日 2013.03.25
価格(税別) 1,300円

● ノート術,メモ術,手帳術など,この手のノウハウ書は次から次へと出る。生活や人生が変わるとか,夢が叶うとかといった副題まで添えられて。
 ちなみに,本書の副題は「すべてがうまくいく 毎日が楽しくなる」だ。

● 実際にそうならば,次から次へと出るという状況はあり得ないわけですけどね。書いている本人には効果があったにしても,真似れば上手くいくかどうかは別。

● ただね,この種の本は気分転換にはなる。それだけで充分ともいえるわけで。
 ひょっとしたら上手くいくかもしれないから自分もやってみようか,と考えるのが気分転換の中身。実際にはやらないことが多いだろうし,やってみてもすぐにやめることになるんだけど,それはそれ。

● フセンを使って,諸々のことがらを整理,管理する場合に,最も肝心なことはフセンをケチらないことでしょうね。もともと高いものじゃないから,惜しみなくどんどん使うこと。

2013年4月13日土曜日

2013.04.13 ジェラール・ジュファン 『音楽家の家』


書名 音楽家の家
著者 ジェラール・ジュファン
    クリスティーヌ・バスタン(写真)
    ジャック・エヴラール(写真)
訳者 博多かおる
発行所 西村書店
発行年月日 2012.12.13
価格(税別) 3,600円

● 音楽家が住んだ家とその家がある場所を,文章と写真で紹介。副題が「名曲が生まれた場所を訪ねて」。

● 取りあげられている作曲家は23人。ロシアの作曲家はいないけれども,錚々たる顔ぶれを網羅している。
 ヨーゼフ・ハイドン
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 フランツ・シューベルト
 エクトール・ベルリオーズ
 オーレ・ブル
 フレデリック・ショパン
 フランツ・リスト
 リヒャルト・ワーグナー
 ジュゼッペ・ヴェルディ
 ヨハン・シュトラウス2世
 ヨハネス・ブラームス
 ジュール・マスネ
 エドヴァルド・グリーグ
 ヴァンサン・ダンディ
 エドワード・エルガー
 ジャコモ・プッチーニ
 カール・ニールセン
 ジャン・シベリウス
 フランツ・レハール
 モーリス・ラベル
 マヌエル・デ・ファリャ
 フランシス・プーランク

● 写真を見てため息をつくための本かと思うが,文章もそれぞれの作曲家の小伝になっていて,いずれも興味深く読むことができた。
 訳者の博多かおるさんは,東京外大の准教授で近代フランス文学の専門家だけれども,かたわら「音楽家として活動を行い,カンヌ音楽院ピアノ科およびフランス国立ローマンヴィル音楽院ピアノ科・室内楽科を一等で卒業後,ポルトガルのベルガイシュ芸術センターでマリア・ジョアン・ピリスに師事。国内外の演奏会に出演している」という人。

2013年4月10日水曜日

2013.04.10 立花 隆・薈田純一 『立花隆の書棚』


書名 立花隆の書棚
著者 立花 隆
    薈田純一(写真)
発行所 中央公論新社
発行年月日 2013.03.10
価格(税別) 3,000円

● 広く浅く,狭く深く。たいていどっちかだと思うんだけど,広く深くという稀有な例が立花さん。哲学,宗教,歴史,文学から政治,経済。量子論から宇宙科学,生命科学。美術,音楽,写真。この世の森羅万象のことごとくを深く極めて飽くことがない。
 聖書やコーランを言語で読むために,ギリシア語,ラテン語,アラビア語,ペルシア語,ヘブライ語まで勉強したというんだから,この人の頭はどうなっているのか。

● 立花さんがやった仕事は,基本的にはリサーチといっていいんでしょうか。ジャーナリストとしての多くの仕事を含めて,既存の情報を駆使して(もちろん,緻密な取材もして)なしとげたもの。しかし,それは立花さんでなければできなかったもの。
 最近は,かつての切れ味が鈍ったとか,ちょっと舞いあがりすぎたとか,っていう言われ方もされることがあるようだけど,本書に目を通せば,現在の学問や科学の状況をひととおり俯瞰できる。現代諸学便覧とでもいえばいいか。

● 薈田さんが撮影した書庫の写真も圧巻。ほとんど図書館だもんね。それも小さな町の図書館ではなくて,かなり大きな市の市立図書館ほどの蔵書数になっているだろう。これを個人でやったってのがねぇ,あり得ないでしょ,普通。
 これだけ買ってこれだけ読んだ人が,人格円満,品行方正のはずがないでしょうね,たぶん。そんな枠に収まっていたら,とてもこれだけのコレクション?は残せない。

● どうもわからないんだよなぁ。この人,読んだだけじゃなくて,大学時代は映画館に入り浸っていたっていうし,音楽聴きまくり,美術館に行きまくり,そして仕事として文章書きまくり。
 そんなことが何でできるのかねぇ。といっても,現にこうして実物が目の前にあるわけなんだけどさ。

● あと,気になるのは,彼が死んだらこの膨大な本はどうなるんだろう,ってこと。記念館にでもなるのかねぇ。

2013年4月9日火曜日

2013.04.08 松浦弥太郎 『考え方のコツ』


書名 考え方のコツ
著者 松浦弥太郎
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2012.09.30
価格(税別) 1,200円

● 真面目に自分と人生に対峙している姿勢はまぶしいほど。本書を読んだ人はたくさんいるに違いないが,読んだからといって同じようにできるとは限らない(っていうか,ほぼすべての人はできないはず)。それが当然ではあるんだけどね。

● でも,お手本ではありますよね。こういう本を若いときに読んでいれば,もうちょっとマシな男になれていたかと思ったりするんだけど,上に書いたとおり,そういうものではないんだろうな。

2013年4月8日月曜日

2013.04.05 森 博嗣 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』


書名 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか
著者 森 博嗣
発行所 新潮新書
発行年月日 2013.03.20
価格(税別) 700円

● 著者自身が考えた本書のタイトルは「抽象思考の庭」というものだったらしい。小さな新書だけれども,考えるとはこういうことかと教えられること多数。
 自分に引き寄せて具体的に考えると,どうしても感情が勝ってしまう。特に,ぼくはその傾向が強いと自覚していて,なるほどこうすればいいのかと多くの蒙を啓いてもらった。
 が,言うまでもなけれども,そのとおりにできるようになるには遙かな道のりを歩かなければならないでしょうね。

● 著者は本書を「十時間くらいで書き上げた」そうだ。頭の中に完成形があって,それをバーッとパソコンに叩きつけたんですかねぇ。猛烈にタイピングが速いんだろうけど,そういう曲芸のようなことも,人間はできるものなんでしょうか。
 無茶苦茶,頭のいい人という印象。

2013年4月4日木曜日

2013.04.03 伊集院 静 『旅だから出逢えた言葉』


書名 旅だから出逢えた言葉
著者 伊集院 静
発行所 小学館
発行年月日 2013.03.13
価格(税別) 1,400円

● 短いエッセイの連載を1冊にしたもの。しみじみ読める佳品だと思う。

● 以下にいくつか転載。
 子供の描いた風刺画はすぐに誉められ,小遣い稼ぎにもなる。しかしそれはすぐに失せてしまう類いのものだ。“すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる”,至言である。(p73)
 今の若者はあまり旅に出ないと言われているが,私はそれはいっときの風潮であり,そう心配することでもないように思う。 人類が最初にアフリカの大地に立って以来,人間はずっと旅をしてきたのだし,人間の身体,こころの中には旅をせざるを得ない何かが宿っているような気がする。(p83)
 フランス人はきわめて個人的主張が強く,自己本位と言われる時があるが,いったん友と認めればヨーロッパで一,二の愛情の絆の強い人々でもある。(p95)
 「世紀末というのは,この前の世紀末だった明治二十四年頃も世界中で騒いでいたようです。世間とはそういうもののようです。それを異常気象と騒ぐ向きもあるようですが,私どもは商売柄,夏が暑く,冬が寒くないと扇風機,クーラー,そして暖房具の売れ行きに直接影響がありまして,毎年天候に左右されてきました。長い間,天候とつき合ってきましたが一度として同じ夏も,冬もございませんでした。それを異常と呼ぶなら,毎年異常ということです。大切なのは人々がそんなことで不安にならないことです」 それを聞いていて,なるほど苦節を乗り越えてきた人物(松下幸之助)は違うと思った。 以来,異常気象を考え込まないできた。(p146)