2013年9月11日水曜日

2013.09.09 松本 肇編 『社会人大学院生のススメ』

書名 社会人大学院生のススメ
編者 松本 肇
発行所 オクムラ書店
発行年月日 2012.04.20
価格(税別) 2,000円

● デキる優秀な職業人は,大学院などには目もくれないものだと思っている。社会人大学院を視野に入れるのは,それよりもちょっと下位の人たちではないか。
 そうでなければ,棒にも箸にもかからない水準の人たち。大学院修了という学歴が何かモノを言うと思っちゃってる人たちだね。

● 実際,社会人を対象とした土日開講制や通信制の大学院が急増し,現在も増加の過程にあるわけだけれども,それはなぜかといえば,社会の多様化やグローバル化によって,それぞれの業界の業務も多様化,高度化した結果,大学(学部)だけでは必要な知識を提供できなくなったからだ。
 っていうのを信じている人は,そんなに多くはないと思うんだよねぇ。仮にそうだとしたって,そのために必要な知識が大学院に転がっていると思う人は,さらに少ないはずだ。

● 結局これは供給者側,大学を経営する側の事情を慮ってのものだろう。少子化がきつい。すでに選ばなければ大学全入の時代だ。希望者を全員入学させても,定員に満たない。
 本来なら,大学の何割かを潰さなくちゃいけない。それをしないで需要を増やそうとした結果だろう。すでに社会人になっている人をどうにかその気にさせて,大学や大学院に呼びこむ。お客さんを増やす。

● それにウマウマと乗ってしまう人って,もともとそんなに頭がいいはずがない。必要もなければ役にも立たないものに,けっこうな額のお金を投じちゃうわけだからさ。道楽でそうしているというのなら,この限りではないけれど。
 それにさ。民間企業には立派な経営者も多いと思うんだけど,学校法人はそうじゃない(と思う)。品性下劣で頭脳劣弱なんだけど,人の上に立ちたいというのが,学校法人の理事に多い(ような気がする)。
 学校法人と宗教法人と社会福祉法人。この3つは叩けばいくらでも埃がたつ。これ,大人の常識(ではあるまいか)。ちなみに,この3つの中では,社会福祉法人がいくぶんマシだと思う。
 いや,ちょっと言いたい放題が過ぎるか。

● 本書にも次のような記述がある。
 大学でそれなりに優秀な成績を修めて卒業した人が,かなりの学費を捻出して大学院へ進学したのに,なぜか定職に就けないというケースが増えているのです。高校よりも,大学よりも上位の学歴のはずなのに,就職できないのです。(p13)
 こういう事実を目の当たりにすると,大学院へ行けば幸せになるというのは,実は大いなる誤解であることがわかります。本来のあり方を考えてみれば,多くの時間と費用を投下した大学院出身者を疎ましく思う企業の方こそ問題ですが,この問題を解決するために,全ての企業を回って説得するというわけにもいきませんから,企業側の意識改革は待つしかないのが実情です。(p14)
 新規学卒で就職したのにも関わらず年齢が2~3歳上で,学位も上位のものを持っている人について,他の従業員と同じに扱うべきか,それとも別物として扱うのか,企業の方が戸惑ってしまうのです。できることなら型破りな人物は採用したくないという気持ちもわからなくもありません。(p17)
 これは本書の読者にだいぶ遠慮した結果のもの言いなのかもしれない。もし,本気でこのように考えているのだとすると,大馬鹿野郎と言うしかない。
 なぜかというに,「学歴」や「学位」の価値や働きを重く見過ぎているからだ。悪しき学歴主義,学位主義に墜ちかねないものだからだ。

● 企業は市場でシビアな競争に晒されている。優秀な人材は喉から手がでるほどに欲しいに決まっている。まともな企業ならそうだろう。しかし,企業が考える「優秀」とは「学歴」や「学位」とは重ならないところがあるのだと思う。
 「学歴」や「学位」が上位であることは,骨惜しみをしないで働くことを保証しない。打たれ強くて明るい性格であることを保証しない。もっと言ってしまうと,勉強好きであることすら保証しない。

● 頭のことをいえば,企業が欲しいのは地頭のいい人であって,地頭に載っているデコレーションはどうでもいい。学歴で地頭を推測できるのは学部までだ。大学院は学歴のうちに入らない。
 大学院まで行ってしまったということは,20代の半ば過ぎまで大学の中で過ごしてしまったということでもある。人間関係や集団の中の位置取りについて学ぶのに適した,可塑性の高い2年間なり3年間なりを大学の中で過ごしてしまうことのデメリットは,考えられているより大きいかもしれない。
 ちなみに,ぼく一個は,修士課程卒は高卒扱い,博士課程まで行ってしまった者は中卒扱いが相当だと考えている。そう考えると平仄が合う例が,けっこうあるのではあるまいか。

● 結局,本気で研究者を狙うわけでもないのに,出来心で大学院に行くのはやめるのが賢い。就職できなかった場合の避難先にするのはやむを得ないと思うが,留年という手もある。
 とにもかくにも,大学院が多すぎるのだ。多すぎるものに価値はないというのは,古今の鉄則ではないか。大学院側が美辞麗句を並べて学生を募るのは,洗剤や化粧品メーカーのCMと同じである。信じる方が悪いのだ。
 本書でも勧めているように,大学院は行くとしても,社会人になってからでいいのじゃないか。冒頭に書いたように,本当に優秀な人は行かないものだと思うけど。
 以上は主に文系の卒業生のことだ。工学部や理学部だと,企業の側が大学院までの教育を求めるのがむしろ普通だろう。理学部を出て金融機関に就職するなんて場合は,そうでもないかもしれないが。

● 宮子あずささんの手記は勉強になった。
 7年間看護師長として働く中で感じてきたのは,看護師として働くことが年々つらくなっている現実でした。私が就職した当時に比べて,人員は非常に豊かです。しかし,医療が進歩すればするほど患者さんの要求水準も上がり,安全管理その他さまざまな基準ができるにつれ,研修や会議,マニュアルなど直接患者さんとかかわる以外の業務が,非常に増えてきます。結果として,現場は後輩をゆっくり育てるゆとりはなく,人は育たず,ベテランは疲弊する。そうやってやめていくスタッフを見送るのが,私には本当につらくてなりませんでした。(p133)
 看護師はそのまじめさゆえに,同業者に厳しく,「足りないところをびしびし指摘するのが教育だ」と考えやすいようです。背景には,自分の不完全さを認められない,自信のなさがあるのだと思います。こうしたバランスの悪さゆえに,不安な状況になればなるほど,「もっとがんばらなくちゃ認められない」とがんばり,やがては「がんばらない人が悪い」とさらに人に厳しくなってしまう。しかし,人間は,その存在を肯定されなければ,がんばれないのではないでしょうか。ほめられるできではない人でも,日々の労働はねぎらわれるべきだし,北風より太陽が,私の信念。(p133)
● 同じ状況は看護の世界に限らないに違いない。学校の教師も諸手をあげて宮子さんの意見に賛成するだろう。福祉でも同じかもしれない。いや,製造や金融,流通の世界でも同様だろう。
 雑用が本来業務を圧迫しだして久しい。課長や部長が口をだすのも,この雑用の方。結果,ストレスまみれになるという状況があるのかもしれない。たぶん,メンタルヘルスの問題も,原因のひとつはこのあたりにありそうだ。
 そこで,宮子さんはフルタイムの大学院進学を決めるのだけれども,そのあたりは読みごたえがあった。

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