2012年10月31日水曜日

2012.10.31 茂木健一郎 『挑戦する脳』


書名 挑戦する脳
著者 茂木健一郎
発行所 集英社新書
発行年月日 2012.07.18
価格(税別) 740円

● 茂木さんが出演していたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」は毎回見ていた。彼が出なくなってからは見なくなっちゃいましたね。
 たかだか1時間足らずの番組でその人の流儀などわかるわけもない。それでもね,茂木さんのホンワカポッチャリした様子は,あの番組に妙に合っていた。住吉アナとのコンビネーションもバッチリだったし。

● 彼の専門である脳科学など,ぼくにわかるわけもない。けれども,一般向けのエッセイをたくさん書いてくれている。それらはぼくにも手が届く。
 茂木さんがよく言うのは偶有性。「半ば規則的で半ばランダムな現象の性質」という意味で,彼は偶有性という語を使っているのだが,勇気をもって偶有性の海に飛びこめ,と言う。
 なぜなら,それこそが脳を活気づける唯一の方法だから,と。決まりきったルーティンは脳が好むところではない。それでは脳は失調してしまう。

● 茂木さん,子供の頃は蝶採りに夢中になり,アインシュタインの伝記を読んで科学者になると決めたそうだ。そのアインシュタインの伝記が彼にとっては大きな一冊になったわけだ。そうした本との出会いってのは,あるとすれば子供のときに限られるのだろう。長じてから,人生を変えるような一冊に出会えるとは思えないんですよねぇ。
 あるんだろうか。自分が気づかないだけで,そうした本にぼくも出会っているのか。とは思えないんだよなぁ。

● 茂木さんはクラシック音楽を扱った本も出しているくらいで,音楽にも詳しい。クラシックからビートルズ,尾崎豊まで。歌舞伎の話題もしばしば文中に登場する。舞台にかかる芸術芸能はすべて彼の守備範囲なのかと思えるほど。
 漱石を素材にした著書もある。『赤毛のアン』を材料にしたものも。ジェイムズ・ジョイスから村上春樹まで,こちらも気が遠くなるほどに渉猟している。
 スピノザやニーチェなど哲学者の説も頻出する。読んでいるんじゃなくて読みこなしているという感じなんですね。知のストックがすごい。
 それあればこそ,こうした一般向けの書籍を量産できるのでしょうなぁ。

● ちょっと多すぎる引用。
 そもそも,「知性」ということ自体が,有限の立場でしか成り立たない属性である。どこまでいっても知性は有限のものでしかないとすれば,「無知」であることを自覚することだけが,最高の知性のあり方となるのであろう。(p31)
 ある特定の性質に着目すれば,その限りにおいてある人がどれくらい「典型的」かを論じることができる。しかし,身長や身体の大きさなどに「これでなければならない」という「普通」の値など,本当は存在しない。あるのは,「典型的」な値だけ。たとえ典型的でなかったとしても,価値が下がるというわけではない。(p43)
 非典型的な脳は,その成育の過程でどうしても周囲とさまざまな摩擦を起こす傾向がある。その摩擦を,非典型的な脳を非難するきっかけにするのは最悪である。「みんなちがって,みんないい」という金子みすゞの精神を実践できるか。理解されずに光らないままでいる原石は,社会のさまざまな場所に潜んでいるはずだ。
 非典型的な脳ほど,その本質を理解する上では,常識にとらわれない大胆な発想と,異質なものを思い描く想像力が必要となる。多くの場合,本当に試されているのは非典型的な脳の持ち主その人ではなく,それに向き合っている周囲の方なのである。(p46)
 「挑戦する」ということが原理的なことである以上,私たちは決して「挑戦する」ことから逃れることはできない。そうして,脳の挑戦においては,負の資産が時に跳躍台となり,欠損が余剰への先駆けとなるのだ。(p62)
 天才とは,努力をしなくても何でもできる人のことを言うのではない。むしろ,天才とは,どのような努力をすれば良いのか,わかっている人のことである。そうして,そのような努力を惜しまずに続けることができる人のことである。(p81)
 人は,笑うことができるからこそ挑戦し続けることができる。リヒャルト・ワグナーの楽劇『ジークフリート』の最後には,「笑いながら死ぬ」という台詞がある。(中略)大らかに笑うことができる人が,結局のところ最も深く人生の「不確実性」というものの恵みを熟知している。杓子定規な真剣さは,往々にして臆病の裏返しでしかない。(p105)
 私の見立てでは,日本の不調は,たった一つの理由に基づいている。すなわちそれは,「偶有性忌避症候群」である。この症候群は,もはや日本の風土病とでも言うべきもので,社会のあらゆる場所に蔓延し,人々の思考力を低下させている。(中略)
 何が起こるかわからないという「偶有性」の状況。「偶有性」は,生命そのものの本質であり,環境との相互作用において,私たちの脳を育む大切な要素である。その大切な「偶有性」から目を逸らし,そこから逃走してしまうことで,日本人の脳は成長の機会を奪われている。
 人生には,最初から決まった正解などない。なのに,あたかも正解があるかのような思い込みをして,自分自身がその狭い「フェアウェイ」を通ろうとするだけでなく,他人にも,同じ道を通ることを求め,強制する。それは「挑戦する」という脳の本質からかけ離れている。(p111)
 「アンチからオルタナティブへ」。これからの時代に必要なのは,この精神であろう。脳の使い方としても,「アンチ」と「オルタナティブ」はかなり異なる。
 「アンチ」とは,つまりは,自分が気に入らないもの,ダメだと思うものに対して正面から向き合うということである。その欠陥,短所を言い募る余り,かえってとらわれてしまう。「アンチ」の立場に身を置くものはまた,巨大な悪に対する正義の味方であるかのような勘違いをしやすい。ただ異を唱えているだけなのに,大きな相手と同等のスケールにまで自分が成長したと勘違いする。(p126)
 「アンチ」は,分析や批評が中心であり,下手をすれば反対している対象に対して「おんぶにだっこ」になる。それに対して「オルタナティブ」は,不満のある現状から飛び出したある生き方を,具体的に示さなければならない。それは,一つの「創造」の行為である。(p127)
 「アンチ」を気取っているうちは,人は案外良い気分でいられる。いわば,花見酒に酔っているようなもの。自分が一人前の活動家であるかのような錯覚の中にいられる。「オルタナティブ」を志した瞬間,心細さが忍び寄ってくる。不安は,二つの側面から来る。一つは,いよいよ自分の身体を張って,ある生き方の道筋を示さなければならないということ。また一つは,自分が示した「オルタナティブ」は,所詮「その他大勢」のうちの一例に過ぎず,それが世に行われるかどうか,確証がないこと。(p128)
 「挑戦」は,若いときだけとは限らない。中年,老年になっても,脳にとっての挑戦は続く。脳は,完成することのない「オープン・エンド」なシステムである。何歳になっても,人間は新しいことを学び続けることができる。「私にはできない」という思い込みにとらわれない限り,何歳になっても,人は新しいことを習得することができるのである。(p142)
 そんな中,明らかになってきた日本の病理。たとえば,ペーパーテストの点数に固執した大学入試のあり方。あるいは,世界に例を見ない「新卒一括採用」の不条理。または,「記者クラブ」制度の不可思議。これらの問題について現状を批判する人は,往々にして、関係者の「悪意」や「怠慢」があると思い込んできた。私もまたそうであった。
 しかし,震災をきっかけに,ものの見え方が変わった。悪意があるのではない。サボっているわけでもない。ただ単に,できないのである。悪意や怠慢ではなく,純然たる能力不足。そのことこそが,日本の今日の問題点であると,私の中で確信された。
 日本の大学関係者は,志願者の資質を深く掘り下げて判定するような面接をする技術や,リソースを持っていない。日本の企業の人事担当者は,大学を卒業見込みの人以外の,非典型的な志願者の評価をするノウハウを持たない。そして,日本の多くの「ジャーナリスト」たちは,「記者クラブ」という護送船団の中で記事を書く以上の能力を持っていない。(p196)
 「自由」とは,「発明」であり,「発見」であり,「イノベーション」である。もちろん,昼食に何を食べるか,というような「小さな自由」もあるし,大切である。しかし,よりマクロな意味で,社会の中での「自由」の空気を生み出すものは,今までにないものの「発明」であり,未だ解明されていない真理の「発見」であり,社会のあり方を変える「イノベーション」なのである。(p220)

2012.10.30 邱永漢 『相続対策できましたか』


書名 相続対策できましたか
著者 邱永漢
発行所 PHP
発行年月日 2009.03.26
価格(税別) 952円

● 副題は「お金はあの世に持っていけない」。相続税を払わされるほどの資産をぼくが持っているはずもない。あの世に持っていけるほどのお金はない。
 にもかかわらず,なぜこの本を読んだかといえば,邱永漢さんの作品だからということになる。若い頃からこの人の著書は必ず読んでいた。小説から食や旅のエッセイ,株やお金に関するものなど,えり好みはしなかった。
 この『相続対策できましたか』だけ買いそびれていた。書店を探しても見つけられなくて,やっと今回読むことができた。

● なぜそんなにハマッたのか。透徹したリアリズムに惹かれたのかもしれない。目がくらむような知の発露に憧れたのかもしれない。文壇と実業の両方に籍をおき,巷にピタッと着地している安定感が心地よかったのかもしれない。
 台湾人の父と日本人の母。台湾人として生き,香港の女性と結婚し,日本に住み,晩年は中国に活動の拠点をおいた。そうした場所に絡め取られない生き方を羨望したのかもしれない。
 生命が危うくなるような目にも遭った。お金を商売の種にしながらお金と距離をおいていた。ほとんどの人にはできないはずの,自分と自分がいる環境に対する冷徹なまでのメタ認知。そういう姿勢に感嘆していたのかもしれない。
 その邱さん,今年の5月に故人となられた。

● 「まえがき」で次のように書いている。
 コツコツお金を貯めることからはじめて大事業家になり,税金をどう払って,あの世に持っていけない莫大な遺産はどうするかというところまで,全六巻でお金儲けのシリーズの本を書こうかという気を起こしました。
 一冊目の『お金持ちになれる人』(筑摩書房)からはじまって,『損をして覚える株式投資』『企業の着眼点』『東京が駄目なら上海があるさ』(以上PHP研究所),『非居住者のすすめ』(中央公論社)と続けて五冊を世に出し,今回やっと一番最後の『相続対策できましたか-お金はあの世に持っていけない』を書きあげたところです。
 これで無一文からスタートして億万長者になるためにはどうすればいいのかという目のつけどころについて,ひと通り私の考え方を申し述べたつもりです。世に株式評論家とか,経済研究所の所長とかをつとめる人は少なくありませんが,ご自分でお金儲けができて,原稿料やサラリーはいらないという人は滅多におりません。それに比べると,私がこの六冊の本で述べているようなことを実践すれば,少なくとも私程度の小金持ちにはなれる,場合によっては私以上の世界的な大富豪になれるという自信を私は持っています。
 ぼくはそのすべてを読んでいる。が,お金持ちにはなっていない。たんに読むだけの人は貧乏なまま。当然だね。

● 続いて,いくつかを引用。
 年を取るということは生きている間,家庭の恥をいかにして世間から隠すかということだと妙な確信を持つようになった(p16)
 家業のスケールだった仕事を上場企業のスケールまで伸ばした人たちを私はたくさん知っています。そうした人たちの中で,最初から自分の子供たちに見切りをつけて、親のつくった企業を継がせることを断念した人もたまにはいますが,大抵は何とかして後任社長に育てあげたいと涙ぐましい努力をします。でもほとんどが成功していません。(p40)
 中国には昔から「状元仔(高等文官試験に合格する子供)は生みやすいが,生意仔(商売の上手な子供)がなかなか生まれない」という諺があります(p87)
 私はお金儲けを球乗りの名人にたとえて,新しく大きな屋敷を構えた家には必ず球乗りのうまい人が一人いて,あとの家族は皆,その人に抱えられて生きている姿を想像します。その人が生きている限り,家族は何の心配もないですが,その人が死んだり,球から滑り落ちたりすると,皆その家から出ていかなければならなくなります。(p125)
 本当のことをいえば,人間の社会はどこまでいっても格差社会が続くのではないでしょうか。そうした格差社会のせめてもの救いは,お金儲けの才能は遺伝しないということです。(p142)
 お金は儲けただけではまだ半製品で,使ってはじめて完全品になるものです。でも,お金儲けのうまい人は,お金儲けには夢中になりますが,一生をそのために使ってしまって半製品のまま死んでしまいます。(p145)

2012年10月30日火曜日

2012.10.29 開高 健・青柳陽一 『河は眠らない』


書名 河は眠らない
著者 開高 健
    青柳陽一(写真)
発行所 文藝春秋
発行年月日 2009.02.25
価格(税別) 1,714円

● 昔,開高さんの愛読者だった。「風に訊け」という人生相談を週刊プレイボーイ誌で連載していたときは,雑誌を置いてある喫茶店に行って,コーヒーを飲みながらその連載を読むのが,無上の楽しみでしたね。
 『オーパ!』シリーズはワクワクしながらページを繰ったものだ。が,どこかに紛れこんでしまって,探しても見つからなかった。
 本って,一度読んだらそれっきりで,再読するものはそんなに多くはない。が,『オーパ!』はちょっと残念。

● この本は青柳さんの写真に開高さんの名言を散らしたもの。風倒木をナースログと呼ぶ話とかね。「無駄をおそれてはいけないし,無駄を軽蔑してはいけない」という教訓になるわけですね。

● でも,本書の白眉は写真の方でしょう。アラスカの河の清冽さ,雄大さ。言葉にしてしまうと平凡になるんだけど,実際にそこに身を置いたら自分の眼にどう映るのか。
 名人が撮った写真に自分の想像力を加えて,現地に行く以上のイメージを自分の中に作れればと思うんですけどね。

● 一番印象に残ったのは,ウィスキーをラッパ呑みしている開高さんの傍らに現地のガイドが写っている写真。ガイドは開高さんの方を見てはいない。自分の仕事をするんだという感じの佇まいがいいんですね。

2012年10月29日月曜日

2012.10.29 秋元 康 『世の中にこんな旨いものがあったのか?』


書名 世の中にこんな旨いものがあったのか?
著者 秋元 康
発行所 扶桑社
発行年月日 2002.03.30
価格(税別) 1,238円

● ぼくの食に対する訴求点は相当に低い。ご飯が炊きたてであれば,おかずなんて何でもいい。しかも一品でいい。二つも三つもは要らない。一汁一菜というけれど,一汁は要らない。一菜でいい。
 たとえば,納豆だけでいい。丸美屋の「のりたま」があればいい。真空パックのカツ節に醤油をかけて混ぜ合わせたものを乗せるだけでもいい。ネギ味噌でいい。魚肉ソーセージをフライパンでから煎りしたのに醤油をかければそれでいい。卵かけご飯なら文句はない。目下は,桃屋の「唐がらしのり」を食卓の友としている。
 多分に育ちの悪さが影響していると思っている。自分の味覚に自信がない。ぼくに旨いものを喰わせることは,すなわち,豚に真珠を与えるのに等しい。

● けれどもというか,だからこそというか,いわゆる食味エッセイというのはけっこう読んでいる。旨いものは自分の舌で味わうより,他人の文章で味わった方が間違いがない。

● かつて,丸谷才一氏が邱永漢『食は広州に在り』の文庫本解説で, 吉田健一『舌鼓ところどころ』『私の食物誌』,邱永漢『食は広州に在り』,檀一雄『檀流クッキング』を,「傑作として推奨に足るものである」と紹介したことがあった。
 そうかぁと思って,この4冊を読んだ。はるか昔のことだ。
 ほかにも池波正太郎,阿川弘之,山口瞳,開高健などが,それぞれの味わいのエッセイを残している。いずれ読み返したいと思っている。

● 本書は秋元康さんによる旨いもの紹介。お店紹介でもある。ほとんどが都内にある店なのは仕方がない。ことの性質上,後世に残るというわけにはいかないものだろうが,サラッと短時間で読めるので,手持ちぶさたを埋めるのにはちょうどいい。
 それで旨いものを喰った気になれればさらにいい。

2012.10.28 松浦弥太郎 『場所はいつも旅先だった』


書名 場所はいつも旅先だった
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社文庫
発行年月日 文庫版:2011.02.25
            元版(単行本):2009.03
価格(税別) 571円

● 集英社文庫になっている松浦さんのエッセイ集はどれもこれも面白くて,それもこれが最後の一冊になってしまった。もちろん,いつでも読み返すことはできるわけですけど。

● 一編々々のエッセイが短編小説のようでもある。ロマンスあり冒険ありの。とんでもなく多彩。ほんとにこれ,ノンフィクションなのって思ってしまう。

● 読み終えるのが惜しくなるって言い方がある。その感覚を本当に久しぶりに味わうことになった。あとの方はゆっくり読んでいった。

● それと「場所はいつも旅先だった」というタイトルがいい。「場所」という語が効いていると思うんですけど,どうでしょう。

2012.10.28 松浦弥太郎 『最低で最高の本屋』


書名 最低で最高の本屋
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社文庫
発行年月日 文庫版:2009.10.25
         元版(単行本):2003.02
価格(税別) 533円

● 松浦さんは高校を中退してアメリカに渡っているんだけど,その辺の事情が詳しく書かれている。著者を知るためには必読といっていいでしょうね。

● 世の中にはいろんな人がいる。それを分類しようとすれば,無数のモノサシがあるだろう。いかようにでも分類できる。
 そのモノサシのひとつとして,生命力が旺盛な人とそうじゃない人って基準を作ることができると思う。もちろん,生命力が旺盛ではた迷惑な人はたくさんいる。生命力が旺盛ならばそれでいいということではないけれどね。
 で,ぼくは生命力が旺盛じゃない方に属すると思っている。一方で,朝から深夜まで仕事をしていたり,人づきあいに余念がなかったり,遊びまくっていたりする人たちがいる。生命力が旺盛な人ですね。
 中には人の何生分も活動してるんじゃないかと思える人だっている。ぼくとしては羨ましいを通り越して呆れるしかないんだけど。

● で,松浦さんも生命力が旺盛な人なんですね。高校生活に耐えがたい制約を感じる人は多いかもしれない。そのとき,不登校で引きこもってしまう人と,松浦さんのように外に飛びだす人がいる。
 それを分けるものって何だろうと考えたとき,生命力の多寡ってことを言ってみたくなった。おそらく,この問題を生命力で片づけてしまうのは思考停止だとも思うんだけどね。

● いくつか引用。
 インターネットでのオーダーは,本のタイトルをリストで見てするわけだから,自分の知識の範囲内のものしか探せない。でも,現地の本屋に行ってみると,僕が知らなかった本が,まだまだたくさんある。新しい見たことのない本は自分の足を運んでみないと見つけられません。(p71)
 八十点までできていれば,それ以上は望まない。それより八十点以下の部分を減らして平らにしようという考え方・・・・・・でも,それだと本当に魅力的なものはつくれない。心に残るようなものはつくれないと思うのです。(p117)
 どんなにこだわって大切にしていたものでも,お腹がすいたらゴミにしか見えない。生きていくには必要ないんだなと,そのとき思いました。食べられないものはダメだと。それで何かがふっ切れました。(p122)

2012年10月26日金曜日

2012.10.26 松浦弥太郎 『くちぶえサンドイッチ』


書名 くちぶえサンドイッチ
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社文庫
発行年月日 文庫版:2008.04.25
         元版(単行本):2003.10
価格(税別) 648円

● 『本業失格』に続く著者のエッセイ集。「松浦弥太郎随筆集」と副題が付いている。エッセイと随筆の違いを扱った文章が『暮しの手帖日記』にあったと記憶しているが,その定義によればこの本は随筆集でよかったのかどうか。
 が,そんなことはどうでもいいですよね。詩じゃないかと思うのもあり,掌編小説っぽいのもありで,要は面白い。

● 安いウィスキーで作ったハイボールをやりながら読んだ。途中で酔っぱらって,読めなくなって本を閉じる。なんだかとっても幸せです。

● 魅力的な男女が登場する。その中にサラリーマンはひとりもいない。誰もが直接自分の足で立っている人ばかりだ。組織に依っている人なんか出てこない。

● 『本業失格』同様,青春記として読むことができる。読むと若返るような感じがする。
 ぼくにも青春らしきものはあった。穴があったら入りたくなるような,なければ掘ってでも入りたいような出来事もあった。なんと愚かだったことかと思うんだけど,その愚かさは今も変わっていないだろうな。そういうのって(どういうのだ?)年を重ねたからといって賢くはなれない分野ですよね。行動に移せる活力を失ったから,馬鹿を出さないですんでいるだけのこと。
 著者の青春は世間のモノサシで測ると破天荒なもので,それゆえに奥行きとほどよい拡散があって,それが本書を面白いものにしてるんでしょうね。

● 巻末の角田光代さんの解説もありがたい。松浦さんをして「この人の内には女の子魂がある」と表現する。さすがにプロは巧いことを言うものだ。
 ほかにも松浦さんの魅力をあぶり出してくれていて,言われてみれば,そうそう,そうなんだよねと頷きたくなる。

● 松浦さんが友人に言われて忘れられない言葉として紹介している次の文章を引用。
 誰かを好きになったときの気持ちを思い出すといい。そんなときは寝ても覚めてもその人のことを考え,その人の恋人になるためだったらなんだって努力するだろう。一生懸命に自分を伝えるだろう。結果がどうあれ悔いのないようにね。そんな気持ちを,仕事や自分がやり遂げたいことに向ければ成功しないわけがない。だから,一度でも恋愛をしたことがあれば,それだけで大きな自信を持っていいんだ。少なからず,誰かが一度でも自分を必要としてくれたということだからね。(p267)
 恋愛ってすごいね。この程度に男って単純というか,弱いものなんだろうねぇ。
 

2012年10月24日水曜日

2012.10.24 小田嶋 隆 『もっと地雷を踏む勇気』


書名 もっと地雷を踏む勇気
著者 小田嶋 隆
発行所 技術評論社
発行年月日 2012.10.25
価格(税別) 1,480円

● 面白い。どうしようもなく面白い。
 面白さの要素は大きく分けて3つ。ひとつめは文章。体を削るような思いで文章を紡ぎだしているのではあるまいか。この書き方ではたくさんは書けないでしょうね。
 しかし,そうして紡ぎだされた文章は若干の韜晦を含んだ洒脱に満ちている。単純に読む喜び,読む楽しさを,文章で味わわせてくれる。

● ふたつめは,溢れんばかりの知。なんて頭がいい人なんだろう,っていうね。
 冒頭の橋下大阪市長を扱った文章から,それは炸裂してて,かくも複雑なことをかくも深く考え,それを明快に腑分けして,ズバリの結論を明示する。読む側に自分も賢くなったんじゃないかっていう錯覚をプレゼントしてくれる。
 「むずしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく」とは井上ひさしの言葉だったと思うが,なんかね,それを思いだしましたよ。

● みっつめは,自分の足で立とうとする潔さっていいますか,読者に媚びないっていいますか,「赤信号みんなで渡れば怖くない」を徹底的に拒否するっていいますか,敵を作ってもかまわないと思い決めているといいますか,「風に立つライオン」(さだまさし)のようなっていいますか,孤高の感じがとてもいいんですね。

● ひとつだけ引用。橋下大阪市長が文楽の補助金を削減するという話題に関して,小田嶋さんは次のように言う。
 世界一のスーパーディレッタントであっても,世界中の文化芸術の半分すら味わい尽くすことはできないはずだ。芸術というのは,そういうふうに,「選ばれた少数者に向けて」作られているものだ。(中略) 私が言おうとしているのは,「ある芸術はある一群の人々にしか理解されず,別の芸術は別の少数者にしかわからない」ということだ。(中略)にもかかわらず,一部の人々にとっては「それなしには生きていけない」ほど貴重なものなのである。 ということはつまり,芸術の大半は,大半の人間にとって,理解不能だということになる。 しかしながら,にもかかわらず,あるいはそうであるからこそいやがうえにも,それらは,尊重されなければならない。自分から見れば意味不明でも,一部の人々にとっては,全人生を賭けるに値する価値を持っている。そこのところを尊重しないのであれば,人類に文化が必要な理由が根底から失われてしまうからだ。 逆の立場に立てば,自分が心から支持している何かを,世間の人は,ほとんどまったく評価していないということである。 だから,どんな作品であっても,単純な多数決を取れば,必ず,「必要ない」に投票する人間が多数を占める。そういうものなのだ。(p57)
 じつは,(中略)の部分に小田嶋さんの味わいがあるんですけどね。

2012年10月23日火曜日

2012.10.23 福島文二郎 『9割がバイトでも最高の感動が生まれる ディズニーのホスピタリティ』


書名 9割がバイトでも最高の感動が生まれる ディズニーのホスピタリティ
著者 福島文二郎
発行所 中経出版
発行年月日 2011.11.18
価格(税別) 1,300円

● ディズニーものをもう一冊。これもサラッと楽しく読める。
 冒頭に紹介されている3.11のときのエピソード(ディズニーランドの顧客対応)を読めば,誰でもディズニーのすごさに一驚するだろう。そして,それで終わる。

● せっかく読んだのにそれじゃもったいない,と思っちゃいけない。一服の清涼剤になってくれれば,充分に読書の目的は果たされている。その本が存在する理由になる。

● ディズニー風土を支える仕組みとしてこれはと思ったのが,「ユニバーシティ・リーダー」だ。リーダーになろうとする人は「ディズニーの哲学・精神はもちろん,園内の施設やサービスに関する知識,インストラクターとしてのスキルなどを,それこそ1ヵ月間,カンヅメ状態で教え込まれ」(p137),「ディズニーの伝道師」になっていく。彼らがディズニーウェイを維持・洗練していく拠点になる。
 なるほど,こういうやり方はあるかもしれないなと思った。やれば必ずうまくいくとは限らないだろうけど。

2012.10.22 生井 俊 『ディズニーランド3つの教育コンセプト』


書名 ディズニーランド3つの教育コンセプト
著者 生井 俊
発行所 こう書房
発行年月日 2011.12.10
価格(税別) 1,400円

● ディズニーランドにはたぶん200回は行っていると思う。なぜなら奥さんが好きだったから。結婚してから彼女に誘われて初めて舞浜駅に降りたときのことはよく憶えている。
 ディズニーランドのゲートをくぐった瞬間から,自分がみるみる不機嫌になっていくのがわかった。ここは自分がいる場所ではないと思ったんでしょうね。何が面白いのか,皆目わからないっていう。
 しかし,奥さんは一切めげることはなかった。子どもができてからは,子どもを味方につけて頻繁に出かけた。
 そうこうしているうちに,ぼくも不機嫌になることがなくなり,そのうち,ちょっと楽しいなと思うようになった。

● 年パスホルダーだった時期が3年ほどある。その時期には,年に50回は行っていた。ランドもシーも,ガイドブックより自分の方が詳しいと思うようになった。
 冬の寒い日に開園の2時間前から並んだこともあるし,閉園間際の人が少なくなったパーク内を歩きながら,ディズニーランドってさ,やっぱ夜がいいよねぇ,なんぞとホザいたこともある。
 ミラコスタのポルト・パラディーゾ・サイドのテラスルームにも泊まったことがあった。奥さんがパソコンの前に座りきりでやっと予約できたんだった。小さかった子どもが大喜びしていたなぁ。子どもが喜べば親も嬉しいんだけど,なんか違うだろうって気もしてた。
 何だったんだろうね,あの時期は。熱病にでもかかっていたのか。
 さすがに子どもも大きくなった今は,奥さんもディズニーランドとは言わなくなって,ここ数年はご無沙汰しているんだけど。

● ディズニーの何がこれほどのリピーターを呼びこんでいるのか。
 夢と魔法の王国って言ったってさ,あの雑踏のどこに夢があるんだ。ミッキーやドナルドの着ぐるみの中か。
 そこかしこにお金を巻きあげる装置があって,善良な老若男女がお金を投じている。資本主義の酷薄さってのが,相当に見えやすい形で展開してるよなぁ。
 善良ってのは愚鈍ってことでもあって,言いにくいことながら,人間って(ぼくもだけど)その程度のものなんだろうなぁとも思うんですよね。

● とはいえ。「ワンマンズドリームⅡ」は何度見ても面白いし,ダンスのレベルは相当なものだし,並んで見るだけの価値がある(と思っている)。
 パークに入ってしまえば,百パーセント安全だ。小さな子どもがいるご家庭には重宝なところだろう。ゴミは落ちていないし,どういうわけか人がたくさんいるのに狭苦しさは感じない。
 レストランや屋台で供される食事やピザやポップコーンも,そこそこ旨い。ぼくはシーのロストリバーデルタで売られているユカタンソーセージドッグが好きだった。
 アトラクションは細部までよく設えてあって,大人でも楽しめる。ハニーハントのワゴンがボコボコ揺れる感じなんてなかなかだぞ。
 どうせどこに行ったってお金はかかるのだ。下手な遊園地で一日乗物券を買うくらいだったら,ディズニーランドの方がトータルでずっと安い。

● 徹頭徹尾,作りものの世界なんだけど,その作り方が徹底しているわけですよね。作りを徹底させればさせるほど,かかるコストは幾何級数的に増加する。
 利益の大半を投じて,お客を飽きさせないように努めているはずだ。利益を顧客に還元しているということだね。やらずぼったくりの商売じゃ,これほどの支持を継続させられるはずがない。

● キャストの対応の素晴らしさは伝説になって久しい。若い彼らはほぼ全員がアルバイト。どうしてアルバイトなのにそこまでできるようになるのか。そこを説いた本はこれまでも多く出版されている。本書もそこに一石を加えるもの。

● この本は,著者が高校生だったときのキャスト体験を綴ったものだ。ディズニーが新人キャストに何をどう教えているのかがわかる。もちろん,現場がこんなきれい事だけですんでいるはずがないとは思うんですよ。それでも上澄みはちゃんと紹介されていると思う。
 これを読んでまず思ったことは,自分は(キャストを)できるだろうかってこと。できないんじゃないかと思う。「あの雑踏のどこに夢があるんだ」なんて斜に構えたことを言っているようじゃ,そもそもキャストとしてのスタートラインに立つ資格を欠いているかも。

● この本の肝は「あとがき」にまとめられている。極端にいえば,「あとがき」だけ読めば本書を読んだことになる。
 ディズニーランドのキャスト教育は,自分中心ではなく,ゲスト中心のものです。まず,キャスト自身が魔法にかかっている必要がありますが,ゲストを喜ばせるために行動しています。しれがうまくいくと,ゲストは輝きます。その輝きが,今度はキャストの輝きへとつながっています。その循環が,素敵な空気をつくると考えています。(p196)
 いのちの大切さは,相手にも血が通っていることを知ることから始まります。(p198)
● ただですね,これを読んで同じようにすれば自分のところのサービス水準も向上するなどとは思わない方がいいんでしょうねぇ。これって,ディズニーランドっていう場があればこそのものだと思う。
 もちろん,場が同じならどこでも同じようになるかっていえば,そこまで単純なものではない。たとえば,香港ディズニーランドのサービス水準は東京のそれにはるかに及ばないから。でもね,場からソフトだけを切り離して移植するのは,なかなか難しいんでしょうね。

● 著者のような若い人たちが一生懸命に自分の仕事をまっとうしようとしているのは,読んでいて気持ちが良い。そのいっときの気持ちよさを味わえれば,読書はそれで完結する。読書なんてそれでいいのだと思っている。
 読書の結果を何かに活かそう,何かに役立てようなどと考えるのは,すべからく余計なことだ。活かそうとしなくても活きていたというのが,活かす形の唯一のものだろう。

2012年10月22日月曜日

2012.10.22 松浦弥太郎 『本業失格』


書名 本業失格
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社文庫
発行年月日 文庫版:2007.02.25
         元版(単行本):2000.07
価格(税別) 419円

● 松浦さんは「著者あとがき」で次のように書いている。
 今になって読んでみると,あまりの悪文にからだ中から冷や汗が出る。文章の中で,これでもかとはしゃいでいる自分がこっ恥ずかしくて仕方がない。文章を学校でたとえれば,幼稚園の年少組に入園した子どもが,はじめて放たれた大勢の中で,ひとり生意気にぺちゃくちゃ意見しているようだ。
 松浦さんが文章を書き始めた時期の,1997年から2000年にかけて書かれたエッセイを集めたもので,今の彼から見ると,直したいところがたくさんあるのだろう。
 が,ぼくは楽しく読めた。文章って端正であればいいってものでもなくて,いろいろなスタイルがあって,そのそれぞれがそれぞれとして成立していれば,それでいいものだろう。
 少なくとも,本書の文章はその時期の著者でなければ書けなかったはずのものだ。若者の天衣無縫を載せるにはこの文体でなければならなかったと思わせる(文庫化にあたって,かなり修正加筆を施したそうだが)。

● だから「こっ恥ずかしくて仕方がない」のだとすれば,文章ではなくて当時の自分に対してってことになる。けれども,そんなことを感じる必要は髪の毛一本ほどもないと思いますけどね。
 はるかな昔,○○青春記といったタイトルの本が流行ったことがあるが,本書はまさに青春記としても読めるもので,しかも青春記として秀逸だ。

● ぼくが松浦さんの著書を読み始めたのはごく最近のことだ。最初に『松浦弥太郎の仕事術』を読み,次に『居ごこちのよい旅』を読み,『松浦弥太郎の新しいお金術』へと進んだ。
 でも,最初にこの『本業失格』を読んでおくべきだったと思わないでもない。今の落ち着いた風情のある松浦さんの文章ではなく,ね。

● たとえば,松浦さんは高校を中退してアメリカに渡るという,普通の人はまず経験しない経験をしているわけだが,「で,結果は? 正直,絶望した。英語も話せない。サンフランシスコに着いたはいいが,右も左もわからない。(中略)あの時ほど,夜になるのが怖くて不安になったことはなかった。僕を待っていたのはそんな冷たいアメリカだったのだ」(p80)という。
 また,若い頃の彼は喫煙者だったのだ。そうしたことも知ったうえで,現在の松浦さんのイメージを作れていれば。

● 嬉しいことに,まだ読んでいない彼の作品がたっぷり残っている。幸せなことだ。生きている喜びって,こういうささやかなことの内にある。

2012年10月21日日曜日

2012.10.21 松浦弥太郎 『ぼくのいい本こういう本 2』


書名 ぼくのいい本こういう本 2
著者 松浦弥太郎
発行所 ダイエックス出版
発行年月日 2010.09.01
価格(税別) 1,500円

● 『1』と同時刊行。副題も同じ「1998-2009 ブックエッセイ集」。こちらは「GINZA」(マガジンハウス)の連載をまとめたもの。
 紹介される本も『1』とはガラッと違って,洋モノのビジュアルブック限定。メインは写真集だけど,70年代のサーフィンの雑誌とかファッション関係の雑誌なども登場する。であるからして,ぼくが見たことがあるのはひとつもない。
 巻末の解説は,「GINZA」の編集長を務めていた淀川美代子さんの筆。

● 『1』と比べて,よりエッセイ成分が濃い。若い頃の松浦さんがかいま見える感じも。けっこうヤンチャで,決して堅物ではなかったってことですね。
 決して楽しんで書いているわけではないんだろうけど,文体を変えてみたり,いろいろ試している。文章で遊んでいるっていうかね。
 後年の『暮しの手帖日記』とはだいぶスタイルが違う。媒体が違うわけで,当然っちゃ当然なんだけどさ。

● 高校を中退してアメリカに渡った。以来,世界各国の古本屋を遊び場兼仕入れ先として,言うなら世界を股にかけて仕事をしてきたわけだね。仕事の規模や動かすお金は総合商社とは比較にならないけれども,個人営業の書籍・雑誌専門商社だ。

● その過程で培った仕事のパートナーの多くは友人でもある。松浦さんの世界に登場するアメリカやフランスの青年男女は,彼の筆にかかると魅力的な人ばかりだ。
 彼らはすなわち松浦さんを映す鏡であるはずだから,松浦さんが相当に魅力のある人ってことですな。

● 『1』と同じく,章扉の写真は松浦さんが撮影している。松浦さん,けっこう多芸なのかもしれませんね。

● 「自分で自分が手に負えない本バカ」(p61)と言っているくらいだから,本に対する入れこみぶりはハンパない。
 「ぼくの持論に探して見つからない本はないってのがある。あきらめずに想い続ければ,いつか必ず「お呼びデスカ?」と顔を見せるように,不思議と見つかるものなのだ」(p76)とも語っている。

2012年10月20日土曜日

2012.10.20 松浦弥太郎 『ぼくのいい本こういう本 1』


書名 ぼくのいい本こういう本 1
著者 松浦弥太郎
発行所 ダイエックス出版
発行年月日 2010.09.01
価格(税別) 1,500円

● 副題は「1998-2009 ブックエッセイ集」。「装苑」(文化出版局)と「アルネ」(イオグラフィック)の2つの雑誌に連載したものを集めた1冊。巻末に「アルネ」を主宰していた大橋歩さんが解説を寄せている。
 読書の楽しみを綴ったものだ。特に,最後の第8章は本を種にして自身を語るエッセイ。まぁ,どんな文章でも結局は自分を語ることになるわけだけど。

● 章扉の写真は各国の書店の風景で,これも著者が撮影している。各国の本屋を回っているんですね。御自分でも古洋書を扱う本屋を経営しているくらいだから,本好きは筋金入り。本への思い入れや慈しみの度合いも並みじゃない。

● 多くの本が紹介されているが,この中でぼくが読んでいるのは2つしかなかった。矢沢永吉『アー・ユー・ハッピー?』とサンテグジュペリ『星の王子さま』だけ。
 だから自分はダメだとまでは思わないけれど,自分の読書の貧弱さというのは感じないわけにはいかなかった。

● 本書で紹介されている本の中には,現在では入手困難な本もあるし,そもそも市中の書店には流通していない本もある。著者の読書世界は(当然ながら)著者の色合いが濃くて,それがまた魅力でもる。

2012.10.19 養老孟司・隈 研吾 『日本人はどう住まうべきか?』


書名 日本人はどう住まうべきか?
著者 養老孟司・隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2012.02.06
価格(税別) 1,200円

● 自分が何も知らないってことを教えられるね,こういう本を読むと。自分のバカさかげんを突きつけられるといいますかね。
 建築世界のアレコレを知らないのは当然だからこれは許すとしても,モノの見方がコンクリになっているとか,発想の貧しさとか,そもそも自分の頭で考えるとはどういうことかを知らなかったとか,根底的に自分はバカなのだなということを知らされる。

● 読みものとしても群を抜く面白さ。読みやすいしね。読み始めれば一気通貫で読了できる。

● 全編すべて引用したくなるが,いくつか引いておく。
 日本の大工さんは技術力が高くて,ベニヤを手早く組み立てることができた。それが逆説的にまずかったのかもしれませんが,建築家がどんなに勝手な造形で図面を描いても,日本の大工さんがいればたちまち世界で一番きれいなコンクリートが打ち上がるんです。建築家の妄想みたいなものを実際に形にしてくれる,素晴らしい職人さんがいたわけです。日本の建築と建築家は,丹下健三さん以来,黒川紀章さんも,安藤忠雄さんも,ベニヤをうまく組み立てられる日本の職人さんがいたおかげで世界に名前を知られた。まあ,甘やかされていたようなものなんですよ。もちろん,僕もその恩恵にあずかっています。それで,ものづくりの厳しさを,どこか忘れちゃったのかもしれない。(隈 p42)
 原理だけで建築を作ると,そのロジックが時代遅れになったときに,とんでもない負債を背負うことになります。(隈 p65)
 サラリーマン的であって一番よくないことと言えば,日本の場合は機能的じゃなくなることですね。現場にいる人は,機能的じゃないととても困るんです。(中略)現場というのはルールでは動かない。適当にごまかす方が早いしスムーズにいく。(養老 p73)
 都市というのは基本的に,賃貸という形を採用することで,家族形態の変化やライフスタイルの変化などに応じて,フラフラと移動しながら住むようにできているんです。経済状況だってしょっちゅう変わるし,それにつられていろいろなことが変わっていく。都市という生き物は,住宅を分譲して「資産だよ」と言った途端に,大きな病を抱え込むことになります。(隈 p99)
 プレハブはもう大変です。だって100年工法とか200年工法とか言われていても,その価値は100年なんか持たないもので,朽ち果てるだけですから。100年後には誰も住みたくないデザインのくせに,材料だけは200年持つということは,解体にお金がかかるだけ。手に負えません。(隈 p118)
 冷暖房を例に取ると,普通,人は寒いから暖かくして,暑いから冷やすんだと考えるわけ。これは機能論と言われますが,でも,本当はそうじゃないんです。人が冷暖房を使う理由をよくよく詰めて考えると,気温一定という秩序を意識が要求しているからなんですよ。要するに,人は暑くても寒くてもエネルギーを使っている。 (中略)その秩序を20世紀にどうやって手に入れたかというと,石油という分子をバラバラにして,無秩序を増やしたからです。秩序には,エントロピーという無秩序が付いてきて,それでもってつじつまを合わせています。都会で暮らしている人間は,頭で秩序を作り,秩序を要求しますが,それには必ず無秩序が伴うことを自覚した方がいい。そのためには,自分たちが要求しているのは秩序だということに,まず気が付いてもらわないといけない。で,次に,秩序ってそんなに望ましいものなのか,ということを考えてもらわなきゃいけない。(養老 p157)
 教育で一番大事なのは,向かない人に早くあきらめてもらうことだ。(隈 p170)
 国の診療制度だと今は出来高払いになっているから,あきらめた方がいい医者でも仕事を続けるし,あきらめた方がいい対象でも医療行為が続いてしまう。だから大変なことになっちゃったわけですよ。患者さんは,死ぬまで我慢の一生。(養老 p170)
 何もない平和なとき,人は何かをしたり,何かを考えたりはしないものらしい。大災害が起きたときに,人は新しいことをしたり,考えたりするのである。その意味で,人類史とは災害史である。(隈 p187)

2012年10月17日水曜日

2012.10.18 松浦弥太郎 『暮しの手帖日記』


書名 暮しの手帖日記
著者 松浦弥太郎
発行所 暮しの手帖社
発行年月日 2012.09.25
価格(税別) 1,400円

● 「暮しの手帖」には広告がない。雑誌の売上げだけで運営をまかなっている。とすれば,経営も楽ではないだろう。社主は大橋鎮子さん,90歳。初代編集長はかの花森安治さん。

● 著者は2006年10月に雑誌「暮しの手帖」の編集長に就いた。以後,同誌に載せた編集後記や連載エッセイを集めて1冊に編んだものが本書。

● 陳腐な言い方になるが,心が洗われるような文章の連続だ。自分はとても著者のようにはなれないとわかっているけれども,だからこそ何度も読み返して拳々服膺するよう努めたい。

● 暮しの細部を支えているのは,主には女性だ。大雑把に区分けすれば,暮しの生産者は女性で,男性はその生産物を消費している存在。
 とすれば,この雑誌の編集長は女性的な感性と指向を持っていなければならないだろう。著者はその適正を充分に備えているように思われる。かつ,それは男性性と排斥しあうものではないはずだ。

● 「こんなものがあったらいいな,と思ったら買い物にでかけるのではなく,まずは自分で作ってみる」(p82)という骨惜しみをしない態度が,暮しの質と味わいを高め充実させるのに必要な第一番目の資質なのだろう。
 今は誰もが小忙しく生活しているから,それがなかなかできないわけだが。小忙しさの中身を点検する作業が必要かもしれない。小忙しさの中に無駄なものがないかどうか。

● 文字を手書きすることも少なくなった。パソコンのキーボードを叩いてハードディスクに保存する。万年筆の書き味とか紙の手触りを気にする機会が激減した。こうした生活のデジタル化も,暮しの味わいを薄めているかもしれないなと思ったりもする。

2012年10月15日月曜日

2012.10.15 NHKスペシャル取材班 『Steve Jobs Special ジョブズと11人の証言』


書名 Steve Jobs Special ジョブズと11人の証言
著者 NHKスペシャル取材班
発行所 講談社
発行年月日 2012.09.26
価格(税別) 1,500円

● 論語読みの論語知らず,というのとはまったく意味が違うけれども,アップル知らずのアップル読みってのが,けっこういるのじゃなかろうか。Windowsユーザーなのにアップルに関する記事や書籍を面白がって読むっていう人たち。
 ぼくもその一人だ。パソコンはWindows,スマホはAndroidを使っているのに,アップルやスティーブ・ジョブズの記事や書籍はけっこうというには頻繁すぎるほど読んでいる。
 もっとも,IT企業に関する記事はアップルを取りあげたものが圧倒的に多いから,いきおいそうならざるを得ないってのもあるけどね。

● ぼくに関していうと,アップル製品で使っているのはWindows用のiTunesのみ。あとはiPodを含めてアップル製品のユーザーになったことはない。
 iPadもたぶん買わないと思う。Googleのnexus7には食指が動くけど。マイクロソフトのSurfaceにも魅力を感じる(Windows8Pro版は間違いなく日本でも発売されるだろう)。けれど,アップル製品で欲しいものは今のところない。
 それでも「Mac Fan」なんて雑誌を時々買って読んだりするわけですよ。潜在的なアップルファンというわけでもないと思ってるんですけどね。

● スティーブ・ジョブズはいまだ時の人だ。死に体のアップルを生き返らせて,株式の時価総額でマイクロソフトを抜き去るという離れ業をやってのけたわけだから,ただ者ではないことは誰の目にも明らかだ。
 ただね,これについても成毛眞さんが『成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈』で言っているのが正解なのだろうなと思っている。つまり,ジョブズをお手本にしようとする時点で,あなたはすでにダメな人っていう。
 自分がジョブズになれると思っている人はほぼ皆無のはずだけれども,時の人に引きずられるっていうところで,すでにどうなのよ。
 でも,アップルものやジョブズものって,読むと面白いんだよねぇ。

● これ,アップルのイメージ戦略にまんまと乗せられているのかもしれない。かつてのMacintoshには(現在のアップル製品も同じかもしれないけど)強烈なイメージがあった。
 ひとつは,Macは自由だっていうイメージ。反権力,反中央。「The Computer For the Rest of Us」は秀逸なコピーだ。IBMを仮想敵に見立てた「1984年」のテレビCMもインパクトあったろうねぇ。見ようによっては下品なCMだと思うんだけどね。後年の「Think different」も見事なイメージング。

● 2番目はMacはクリエイティブっていうもの。Windowsはサラリーマン(体制側)がお仕事で使うもの。Macは違うぞ。ミュージシャンやデザイナーな設計技師やイラストレーターや漫画家のような,作品を産みだす人たちの道具だぞ。Windowsなんて使ってて楽しくないでしょ,Macは楽しいよ。
 それと,かつてアイディアプロセッサと呼ばれていたジャンルのソフトが,圧倒的にMacに多かったってのもあるかも。「インスピレーション」とかね。今はどうなっているのだ,この手のソフト。

● 3番目は,Macは格好いい。アップル以外のメーカーのデスクトップパソコンが並んでいる様は,墓石の整列に見えなくもなかった。
 その点,Macは可愛らしかったよね。特にノート型パソコンのPowerBookはキリッと洗練されたデザインだった。ぼくにもMacにしようかと思ったことが一回だけあって,それがこの時期(1993年頃)にPowerBookを見たときでしたね。たしかに格好よかったなぁ。

● 4番目はMacはハイブローだっていうイメージだ。自由とハイブローを両立させてしまうところがすごい。昔は,Macって高かったからね。それを逆手に取ったのかもしれないね。
 とにかく,以上4つのイメージがMacにはあって,Windowsを使っていながらも気になる存在ではありましたよ。

● こういうイメージ戦略に乗せられやすいタイプの人がいるはずだ。
 ぼくはIBMの時代からThinkPadを使っている。最近のThinkPadにはちょっとした違和感を感じないでもないんだけど,たぶんずっとThinkPadを使い続けると思う。堅牢さとキーボードの打ちやすさ。デザインもクールだと思ってますね。いかにも道具といった無骨さを残しているのもポイント。
 で,ぼくみたいに特定の機種にこだわる人は,たぶんイメージ戦略に乗せられやすい性向を持った人だと思う。いい悪いの問題ではなくね。

● ともあれ,本書を読んでみた,と。読んでみるとやっぱり面白い。特にスティーブ・ウォズニアックのインタビューは興味深かったですね。ジョブズを単純に持ちあげていないしね。
 ジョブズの「公式自伝」を書いたウォルター・アイザックソンのも。「クローズドシステムへのこだわり」について,「ジョブズは自分の製品を京都の美しい庭園のように考えていました。訪問者が好きな花を植えたりするような勝手な真似を彼が許すはずがありません。細心の注意を払って計画し,細部に至るまで丁寧に仕上げてあるのですから。真の芸術家というのは,他人に自分の作品をいじられたくないと思っているものです」(p230)と語っている。腑に落ちる説明ではあるまいか。

● けれど,ぼく一個はクローズドシステムにはまったく賛同できない。しょせんは一人の美学,こだわりに過ぎないからだ。たとえそれがどんなに優れたものであったとしても。
 というわけで,これを読んでもアップル製品を使ってみようとは思わなかったね。

● これからもアップルもの,ジョブズものを読むことはしばしばあると思うんだけども,読み捨てるべきもの,ああ面白かったで終わりにすべきもの,だと思います。

2012年10月14日日曜日

2012.10.10 松浦弥太郎 『あなたにありがとう』


書名 あなたにありがとう
著者 松浦弥太郎
発行所 PHP
発行年月日 2010.09.24
価格(税別) 1,200円

● 人間関係の要諦(と著者が考えるもの)をまとめたもの。類書はたくさんある。誰にとっても,人生最大の悩みは人間関係だろうからね。
 本書の特徴は,そうした類書を著者がほとんど参考にしていないところ。自分が体験したこと,味わったこと,そこから感じたこと,考えたこと。それだけで構成されている。

● 松浦さん,現代の山口瞳ではないかと思うことがある。つまり,「マジメ人間」なんですね。マジメなるがゆえに,大事件があるわけではない淡々とした日常に元手がかかる。

● その元手がかかっている文章をいくつか引用。
 「釘をさす」という言葉があります。くれぐれも,と念を押すことを意味する言葉ですが,これはほとんど,「余計な一言」だと感じています。(中略)多くのケースで釘をさす側は,無意識に相手をコントロールしようとしています。(中略)正当なように見えて,人を支配したい気持ちが隠れている,それが釘をさす言葉の恐ろしさです。(p38)
 せっかちだから,時間がないから,だらだら話す人を遮りたくなるかもしれません。しかし,話が多少長引いたところで,たかが知れています。あらゆる人間関係は,話をきちんと聞いてさえいれば,うまくいくもの(p72)
 たとえ仕事でも,人間関係に効率を求めてはいけません。あくせく急いでうまくいく仕事など,ないものと思っていいでしょう。(p73)
 あらゆる気遣いは,言葉に出した時点でおせっかいに変わる(p83)
 一緒にいるだけでとれるコミュニケーションもあるものです。たとえば家族が台所やリビングにいるなら,自分も台所やリビングにいるようにします。どんなに疲れていても,自室にこもって本を読むようなことはしません。(p140)
      嘘をつかせるまで,相手を追いつめてはいけない(p145)

2012年10月10日水曜日

2012.10.09 長谷川慶太郎 『2013年 長谷川慶太郎の大局を読む』


書名 2013年 長谷川慶太郎の大局を読む
著者 長谷川慶太郎
発行所 李白社
発行年月日 2012.10.07
価格(税別) 1,600円

● 長谷川慶太郎さんほど毀誉褒貶の振り幅が大きいエコノミストはいないかもしれない。毀誉褒貶の振り幅が大きいということは,しかし,一流の証しですな。長谷川さんほど,これはこれからこうなると具体的に断定する人はいない。
 加えて,その断定の仕方が小気味よいのですね。かくかくしかじか,これこれこうだから,こうなると,具体的な根拠とデータをあげて,明快に仕分けする。
 もちろん,外れることもある。具体的なほど外れる可能性も高くなる。あたりまえのことだ。百発百中だったら,長谷川さんは人間ではないってことになってしまう。

● 明日の天気だって,何時から何時までは晴れ,その後は何時まで曇と予想すれば,まぁ外れることも多くなる。晴か曇,ところによっては雨にもなり,ひょっとしたら雪の可能性もある,と言っていれば外れることはないけれど,それでは何も言っていないに等しい。
 この何も言っていないに等しい専門家の予測というのがマスコミに跋扈している中で,長谷川さんのように果敢に具体に踏みこんでこうなると断定する様は,潔いというか男らしいというか,すごいものだとぼくなんぞは思っている。

● おそらく長谷川さん,吠えるしか能のない佐高某などという手合いが何を言おうが,歯牙にもかけていないだろう。その程度には自ら恃むところがあればこそ,長谷川慶太郎という看板を張っていられるに違いない。

● あと,こういう人がいるかもしれない。長谷川さんのいうとおりに株を買ったのに,損をしたっていう人ね。どうしてくれるっていうわけね。アンチ長谷川になる。けっこういるんじゃないかなぁ。
 言うまでもなく,株は自己責任。長谷川さんであれ,故邱永漢さんであれ,大いに彼らの意見を参考にするのはいいとして,決定は自分の判断でするもの。それすらできないくせに株の周辺をウロウロしているのは,知能水準は猿以下なのに,欲の皮は象なみに肥大しているやつに違いない。

● さて,今回はアメリカ大統領選でオバマは再選されないと長谷川さんは言う。「アメリカ大統領選でロムニーが当選する可能性がきわめて高く,オバマは一期限りの大統領で終わると私は確信している」(p45)と。
 新聞報道ではオバマの方が僅差ながら支持率が高いようだが,さてさて。 

● ユーロが揺れているが,ユーロそのものについては長谷川さんは楽観的。
 第二次大戦でヒトラーは武力によるヨーロッパ支配体制の奪取に失敗した。しかし,今のドイツは経済市場での競争力という平和的な手段を通じてそれを達成しているのである。ヒトラーが銃剣を使ってできなかったことをメルケルはユーロを使い成し遂げたと考えていい。
 とすれば,どうしてそれをドイツが放棄するだろうか。あり得ないことだ。(p87)
 ユーロの崩壊の危機が迫っているなどという議論を国際金融の専門家の口から聞かされるのはまことに遺憾なことである。ドイツがヘゲモニーを握っている限り,ユーロ崩壊はあり得ないのだ。(p90)
● 中国との尖閣諸島,韓国との竹島問題がホットだ。これについての長谷川さんの意見。
 尖閣諸島に上陸したのは香港の連中であって中国本土の連中ではない。しかも,中華人民共和国の国旗である五星紅旗を持っていたので香港でも親中派の方だ。
 (中略) 親中派は存在感を示そうと尖閣諸島に上陸したのだが,上陸した者たちを褒めているのは香港の親中派だけで,香港の反中派は「何をくだらないことをしたのか」と思っている。
 (中略) 尖閣諸島への上陸については一四人全員を逮捕して簡単に撃退したのだから日本政府の勝利だ。上陸したとたんに逮捕されて追い返されるのでは親中派にとっても何の意味もない。(p110)
 日韓通貨スワップ協定の破棄も韓国に甚大な影響を与える。マスコミの中にはこの破棄は形式的なものだと報道しているところも見られるが,とんでもない。韓国の通貨ウォンの大暴落にもつながるものなのだ。
 (中略) 韓国は毎年巨額の対日赤字を出しているわけで,たとえば二〇一〇年の対日赤字額は今のレートに直すと三七〇億ドルになる。それと同じくらいの対日赤字が生まれても日韓通貨スワップの枠の範囲内だから赤字を補う資金を金利ゼロで調達できる。しかし七〇〇億ドルという枠がなければ国際金融市場で単発に調達しなければならなくなって,その場合,金利が非常に高いためにウォン暴落の呼び水になってしまうのだ。
 (中略) この点については韓国経済界もよく分かっているので,今回の李明博の竹島訪問には愕然としたのだった。もともとビジネスマン出身にもかかわらず,任期末期の自分の政権の求心力を維持したいという思惑から竹島訪問を強行したことについて韓国の経済界では「とうとう李明博も焼きが回ってしまった」という見方になっている。(p134)
● 中国の経済については,ほとんど論外というのが長谷川さんの意見。
 渤海湾の北側に秦皇島という港がある。ここは昔つくられた古い港だが,中華人民共和国が成立した後は鉄鉱石や石炭の輸出入を行う専用の港として機能してきた。 今,この港には二億トンを超える鉄鉱石の在庫がある。高炉にくべるコークスの原料となる粘結炭の在庫も一億二〇〇〇万トンを超えた。だから,せっかく輸送されてきた鉄鉱石を陸揚げしても置く場所がないのだ。石炭も同様である。そのため,オーストラリアから秦皇島向けの鉄鉱石,石炭の輸出も全部止まってしまった。(p103)
 日本にダンピングして売らなければならないほど中国では鋼材の在庫の山ができているのだ。それは同時に中国の企業が大量倒産していることを示している。企業が大量倒産しているとすれば失業者もまた大量に発生しているということである。
 企業の倒産がますます拡大し,失業者がどんどん増えているというのでは改革開放路線の破綻は明らかだ。これからも中国の経済が立ち直るということはあり得ない。(p105)
● 失政続きの民主党(鳩山&菅)に対しても手厳しい。特に原発問題については,次のように言う。
 定期点検で停止した原発が再稼働できなくなった原因は静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原発を法律的な手順を踏まずに止めたためである。
 当時の菅直人首相は二〇一一年五月六日夜に突然,緊急の記者会見を行って,「浜岡原子力発電所についてすべての原子炉を運転停止にするように中部電力に要請した」と発表した。この要請には経済産業省の原子力安全・保安院を通じた法的な手続きを伴っていないため何の法的な裏付けもなかったのだが,中部電力はそれに応じてしまい,浜岡原発を停止させてしまった。このように法的な手続きによらないで原発を停止させた結果,点検作業で停止中の原発を再稼働させるときの法的な手続きの方も軽視されるようになって,結局,どの原発も再稼働できなくなったのだった。(p139)
 一方,原発停止によって日本の電力会社の火力発電所はフル稼働状態になっている。その燃料の一つであるLNGの二〇一一年度の輸入量は前年度に比べて一八%増の八三一八万トンと過去最高を記録した。我が国の貿易収支は二〇一一年に三一年ぶりに赤字になってしまったが,LNG輸入の急増がその大きな要因である。
 核燃料に比べてLNGや石油は割高となるから,その負担はそのまま国民に重くのしかかってくる。なぜなら電力会社の電気料金は総括原価方式によって算定されているからだ。
 (中略) このような状況では電気料金の負担に耐えかねて操業を維持できなくなる中小企業も出てくるほか,安い電気料金を求めて海外に出て行く企業がさらに増えていくことも十分に予想される。その結果,国内では雇用減少などの問題が深刻の度を増していくだろう。燃料費の安い原発の稼働停止は日本の産業の足を引っ張るのである。(p141)
● 長谷川さん,とにかく細かいデータ,しかも対人依存性の高い口コミデータを大量に持っていて,そのデータを駆使して先を読むから,読んだ結果も具体的になる。
 たとえば,次のような情報だ。ま,知ってる人はとっくに知ってるんだろうけどさ。
 日本の鉄鋼業界で相場の先行きを占う重要な指標がある。阪和興業という鉄鋼の専門商社が東は船橋,西は大阪南港にそれぞれ広大な鋼材の積み場(ヤード)を持っている。そこにどんどん鋼材の在庫が増えていくと先安であり,在庫が減っていけば先高ということなのである。(p104)

2012年10月8日月曜日

2012.10.06 松浦弥太郎 『メッセージ&フォト 今日もていねいに。』


書名 メッセージ&フォト 今日もていねいに。
著者 松浦弥太郎
発行所 PHP
h発行年月日 2012.05.07
価格(税別) 1,500円

● 「暮らしのなかの工夫と発見ノート」という副題が付いている。日々の暮らしや仕事に向かうときの,細々とした心得を教えてくれる本。

● にしても。松浦さんは真面目な人。あるいは律儀な人。他者との約束も自分との約束も,地道に守ろうとする人だ。真剣な人だ。手を抜かない人だ。

● 1回の食事にも思いを込める。何を食べるか,どう食べるか。使う食器にも食事中の姿勢にも妥協はない。そんな凜とした松浦さんの人柄が伝わってくる。

● その基本は規則正しい生活。早寝早起は基本中の基本。無頼派なんてのは,前世紀の遺物。排除すべきもの。煙草を吸うなんてあり得ないって言うんじゃないだろうか。

2012.10.06 和田秀樹 『知力の鍛え方』


書名 知力の鍛え方
著者 和田秀樹
発行所 海竜社
発行年月日 2012.02.14
価格(税別) 900円

● 今の日本人は自分で考える力が落ちている。これでは国の将来が危ういと警鐘を鳴らす。「疑うことや,ほかの可能性を考えてみること」(あとがき)が重要で,その具体的な方法を説く。

● 日本人を今のようなていたらくに落とした元凶は2つあると著者は考えているようだ。マスコミと「ゆとり教育」である。

● マスコミについては,次のように書いている。
 事故発生から何ヶ月もすぎていて,危ないか危なくないかわからないのに,すべて危ないものだと決めつけて報道しているのは非常におかしいのです。 (中略)危なくないのに危ないと言ったのなら,その風評被害の損失はテレビ局が払って当然です。ところが,勝手に危ないと決めつけて報道しているのはテレビなのに,彼らはその風評被害の責任を東電に負わせている。全局そろって危ないと言い,モノが売れなくなったら「東電が払ってね」。そんなことがあっていいのでしょうか。(p30)
 はっきり言わせてもらえば,カネになることなら何でもやってしまうのがテレビ業界です。いい例がパチンコ関連のCMで,貸金業法が改正されて消費者金融のCMが激減すると,テレビ業界はそれまで自主規制してきたパチンコのCMをあっさり解禁しました。(p40)
 冤罪事件になると,テレビは警察の当時の取り調べ方法を批判はしても,自分たちがどんな報道をしたかについては口をつぐんで知らんぷりです。VTRが残っているはずなのに,テレビが過去の報道を自ら検証したという話はついぞ耳にしません。(p44)
 中国人ですら「テレビ局なんてどうせ政府の意向でやっているんだ」と考えてインターネットで情報を得ようとするのに,日本人はすべてのテレビ局が同じ情報を流しても,それを疑ってインターネットで調べようとする人は稀です。 いまの日本人はメディアリテラシーが異様に低い国です。(p47)
 ベトナム戦争の頃までは新聞記者が戦地に赴いていたのに,いまは戦地にはフリージャーナリストを行かせて,自分たちは安全が確認されるまで絶対に行きません。 原発についても同じことが言えます。事故発生後の8月末,福島第一原発の原子炉建屋に入って取材したのは,新聞記者ではなく,やはりフリーのジャーナリストでした。 マスコミというのは本来,「命が惜しかったらジャーナリストになるな」が鉄則です。命を惜しむ日本の新聞記者をジャーナリストと呼べるでしょうか。(p90)
 かつて私は週刊朝日の映画評に「日本の新聞記者は,世界でいちばん高い給料をもらい,世界でいちばん殺されることが少ないそうだが」と書いたことがあります。 そうしたところ,どうやらタブーに触れたようで,週刊朝日の担当編集者が血相を変えて「書き直せ」と迫ってきました。彼は元新聞記者だったのでしょう。(p91)
 じつは,わが家でもしばらく前に新聞を取るのをやめた。内容云々よりも,新聞購読勧誘が暴力的といえるほどにしつこいことに対する態度表明ってとこかな。
 新聞紙は資源ゴミとしてだすわけだけど,回収が月に1回なので,自動的にひと月分が溜まってしまう。その光景に嫌気がさしてきたってのもありますね。
 もちろん,ニュースもスーパーの安売り情報もネットで取れるようになったことも大きい。
 で,新聞が消えて困ったことは何もない。じつに見事に何もない。

● 次に「ゆとり教育」について。
 日本の恥ずかしい点は,ノーベル賞を取ったら何でもできるようになってしまうことです。 「ゆとり教育」を強力に推し進めた教育国民会議(小渕内閣,森内閣)の座長,江崎玲於奈氏や,教育再生会議(安倍内閣)で座長を務めた野依良治さんがその好例です。国の教育方針を決める組織のトップの座に,ノーベル賞を取ったというだけで教育の経験のほとんどない学者が座っている様は,異様な光景と言うしかありません。(p56)
 「ゆとり教育」も,現場を知らない人たちが導入した政策でした。1978年までは東京教育大学という大学があり,そこの教授の半分は教員の経験がある人たちでした。それもあってその頃の教育政策は比較的まともだったのですが,東大などの陰謀で,東京教育大学をつぶして筑波大学にしてしまいました。 その結果,教育の世界の政策立案を東大教育学部の教授たちが中心になってやるようになり,それで始まったのが「ゆとり教育」です。ところが,彼ら東大教育学部の教授たちは教員の経験のある者は一人もいなかったのです。(p89)
 「ゆとり教育」が逆効果を招いたことは,火を見るより明らかです。にもかかわらず,いまだにゆとり教育の失敗を認めようとしない人がいるのはなぜでしょうか。 私が思うに,それは,「こうなるはずだ」的思考の欠点のなせるわざです。(中略)とかく理論に固執しがちな学者にそういう傾向が強いことも,それを示していると思います。教育「改革」を推し進めた人々は,うまくいかないのは,理論が間違っているからではなく,実践が徹底していないから,あるいは社会に十分な土壌がないからだと思っているようです。 しかし,私に言わせれば,うまくいかないのは,その方法が間違っているからにほかなりません。(p162)
● ネット社会の泳ぎ方についての助言も引用。
 情報の海であるネットから必要な情報を取り出してくるためには,その分野についての概括的な知識や理解が必要になります。それもなくてネットに向かうのは,真っ暗闇のなかを手探りで歩くようなものです。(p91)
 ネット社会というのは,意外に人間関係を必要とするのです。情報の量が膨大なので,勝手知ったる水先案内人がいたほうが,目的地にたどり着きやすくなります。そうでないと,ウィキペディアを盲信することになりかねません。 その意味では,日頃からいろいろな分野の知人,友人を持っておくというのは大事なことです。(p174)
 私の場合,ワードで書いた原稿はコピペの基になります。 つまり,本をたくさん書いている人ほど,データベースが増え,さらにたくさん書きやすい状況を作っているということです。 (中略)もっとも,本を書くのはハードルが高いので,私は普通の人にはブログの活用を勧めています。参考になりそうなサイトのリンクを貼る,調べた情報をコピペする,情報を自分なりに整理する,意見や感想を書く,といった形でブログを活用すれば,ブログが自分専用の情報収集ノート,思考の整理ノートになります。(p175)
● その他,言われてみればなるほどと思えること。
 人間の本来的な賢さは,頭の中に詰まっていることではなく,会話や文章など,外に出るものに現れます。(p61)
 日本人の文字離れというのは恐ろしい勢いで進んでいます。 原因は,一つには「ゆとり教育」による学力低下が考えられます。テレビの視聴時間が増えて新聞を読まなくなったこともあるでしょう。 もう一つは,家庭内のコミュニケーション不足です。 東日本大震災で,東北の子どもたちにインタビューをすると,ほとんどの子どもが標準語をしゃべります。 テレビの影響もありますが,テレビがいくら標準語でしゃべっても,家庭内の会話があればそうななりません。おじいちゃん,おばあちゃんとしゃべっていない,あるいは家庭内での会話が少ないから,標準語になるわけです。 家庭内での会話がありそうな家の子は,ちゃんと田舎の言葉を使っています。昔と違って,方言をしゃべる子というのは,それなりにいい家の子どもだということです。(p64)
 教育とは本来,欲ばりであるべきです。学歴が高くて悪いことは一つもないのですから,それに上乗せしてEQも鍛えていけば,人生の可能性はそれだけ開けていくはずです。(p71)
 社会のなかで全然認められないとか,偉そうにできない,人に評価してもらえないという状況下だと,自分より弱い者を見つけたときや,相手がミスして自分が威張れる立場に立ったとたんに,これまでの我慢パワーが噴出して制御が利かなくなります。 (中略)もう一つ,クレーマーやモンスターペアレントには「認知的成熟度」が欠けていることも指摘できます。 認知的成熟度とは,一言で言えば,曖昧さに耐える能力です。 (中略)認知的成熟度が低い人ほど,白黒はっきりさせたがるものです。敵か味方か,いい奴か悪い奴かという色分けをはっきりさせて,中間の領域を認めようとしません。クレーマーやモンスターペアレントとは,まさにそうした人たちです。(p83)
 「考えている」から行動ができず,行動ができないから新たな問題発見にも至らず,したがって事態の進展は望めません。(p124)
 人間の好奇心には知的側面もあれば,性的側面もあります。知的好奇心だけが高くて性的好奇心が低いということはあまりないので,知的好奇心がなかなか湧いてこないときは,性的好奇心だけでも上げていって,好奇心全般のテンションを上げることで,知的好奇心も上がっていくということがあります。(p197)
● 最後に,いかにもありそうだなというエピソードを。
 新発売のVAIO(ソニー)typeRシリーズを購入したときのことです。最上位機種を選んだにもかかわらず,突然フリーズしたり,シャットダウンできなくなったりと,原因不明の不具合が続いてさんざんな目に遭いました。 最初はWondows VistaやWordを疑っていたのですが,調べているうちにハードディスクの問題だとわかり,修理に出しました。ところが,カスタマーセンターから戻ってきて4ヵ月後に,また故障です。泣く思いで再度修理に出したところ,同じ箇所が壊れているという診断でした。 同じ箇所が壊れるというのなら,前の修理が悪かった可能性も否定できません。これだけでも腹立たしいのに,さらに問題なのは,同じ箇所の故障であっても,「90日以上経っているので約7万円払え」と言われたことです。これには開いた口がふさがりませんでした。(p134)
 初期不良でしょうね。ロットの全製品に同じ不具合が出ていた可能性もあるんじゃないのかなぁ。不良品をユーザーに押しつけておいて,不良の解消はユーザーに負担させる。論外のメーカーってことになるんだけど,ソニーだけじゃないからなぁ,これ。
 これを避ける方法は,出たばかりの最新モデルは買わないこと。たぶん,それしかない。

2012年10月1日月曜日

2012.10.01 松浦弥太郎 『松浦弥太郎の新しいお金術』


書名 松浦弥太郎の新しいお金術
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社
発行年月日 2012.03.10
価格(税別) 1,200円

● 本書はこうすれば資産家になれるとか,富豪になれるとかという類の本ではない。トイレの蓋をしめるとお金が貯まるといった話も出てこない。節税や蓄財術の指南書でもない。

● お金とのきれいなつきあい方を説いている本ですね。お金ときれいにつきあうにはどうすればいいかってのを,考えましょうよっていう本。
 お金について考えることは,仕事について考えることであり,時間について考えることであり,家族や友人について考えることであり,生活や人生に思いをめぐらすことでもある。
 本書はだから,人生読本であり,生活エッセイである。

● でも,たとえばこんな話は出てくる。
 「お店のポイントカードの類はいっさい持ちません。無駄なものでごちゃごちゃと財布を膨らませてお金さんに窮屈な思いをさせたら,ポイントを貯めたぶんのお得より,ずっと大きな損失につながる」(p37)

● こういう書き方をしているけれども,ポイントカードでパンパンになっている財布って,相当に薄汚く見えるものだし,その店のカードが出てこなくてバタバタと財布の中を探している手合いは,店員と後ろに並んでいるお客を待たせることに罪悪感を感じない困ったちゃんだ。
 それより何より,ポイントを貯めるって,経済観念がしっかりしているというよりは,品性下劣を窺わせる。そんなわずかな目先の得を得るために,個人情報を裸にして差しだすことができるってのも,ウィズダムの対極に属する人間であることの証明ではあるまいか。
 そういうことを,上のような文章でそっと訴えたかったのだと思う。

● まぁね,ポイントカードの収集家がいてもいいと思うんですよ。世の中にはそういう人もいるよなぁって思ってればいいだけだから。
 ところがねぇ,自分の身近にこれがいるとね,つまりうちのヨメがそうなんですけどね,時々,離婚の2文字が頭をよぎることだってあるからねぇ。
 特にね,来店ポイント(来店しただけで1ポイント=1円分が付くってやつ)をゲットするために,数分間を費やすなんてねぇ。百円で1円を買ってるようなものだよなぁ。
 まぁ,ヨメのために好意的に解釈すれば,そのこと自体がリクリエーションになっているんだろうね。でもなぁ,それがリクリエーションになる女って。あ,また離婚の2文字が頭をよぎっていった。

● それじゃマイルを貯めて飛行機に乗るってのもイヤなのか,と突っこまれるかもな。貯まったマイルで香港に行ったりハワイに行ったりはしたなぁ。
 さらにいうと,ホテルのカードね。スターウッドとか。宿泊してポイントと貯めると,ゴールドとかプラチナ会員になる。部屋をアップグレードしてもらえたり,エグゼクティブフロアのラウンジがタダで使えたりするんだよね。
 美味しい思いをしたなぁ,そういえば。ポイント収集家のヨメのおかげなんだよなぁ。うぅーん。

● 著者は人生に対して真面目な人なんですね。常識的な意味でストイックではないけれども,著者の流儀があって,そこから外れることには極端にこだわる人じゃないかなぁ。
 「お酒も呑まず,夜は10時に寝る」(p152)というスタイルにも,きちんとした理由があってそうしているのだろう。かくたる根拠と背景があってのことだから,それを崩すことには大いに抵抗するんだろうなぁ。

● そんな著者が言っていることをいくつか引用。
 二万円のものを買うなら,二万円のごはんをたべにいくほうが,学び多き自己投資となります。少し背伸びをする経験をし,懸命に努力しないとついていけないレベルに飛び込むことは,自分磨きになります。(p125)
 弱者はまた,人の思いやりに感謝することを知りません。 「私は弱いのだから,手を貸してもらって当然だ」 弱者は「弱い私」という旗の下で,自己主張だけしているのです。差し出される思いやりは,やがて哀れみに変わるでしょう。(p159)
 僕が尊敬している,閑静な街の大邸宅に住むお金持ちの老婦人も,運転をやめた今,日頃の足はバスだと話していました。 「タクシーなんて,経済的じゃないでしょう」 ちいさなお金を使わないこと。これはお金持ちのたしなみかもしれません。(p170)
 「お金を儲けるには,夢を追ってちゃダメだ」と言う人がもしいたら,嫌われることを覚悟で,「だから貧乏なんだよ」と僕は言うでしょう。(p178)