2012年12月19日水曜日

2012.12.19 永江 朗 『いまどきの新書』


書名 いまどきの新書
著者 永江 朗
発行所 原書房
発行年月日 2004.12.24
価格(税別) 1,200円

● 副題は「12のキーワードで読む137冊」。12のキーワードとは,社会,ビジネス・経済,生き方,思考の道具,暮らし,趣味,国際,芸術,科学,歴史,文化,読書で,それぞれが章になっている。

● 『恥ずかしい読書』が面白かったので,これもさぞかしと思ったらアテがはずれた。
 読書は人を賢くしない。これって,故井上ひさし氏の政治的発言がその例証になると思っている。井上氏はとんでもない読書家として知られていた。雑誌でいえば,「法学セミナー」や「ジュリスト」まで読んでいたらしいから。でもって,小説家,脚本家としては押しも押されもしない位置にいたのに,米の輸入とか憲法問題に関する発言レベルはどうだったか。
 けれども,井上氏には本業があったからよかった。餅屋は餅屋に任せればいいのに,と思うことができた。
 永江さんのこの本はどうなのだろう。余技なのかなぁ。

● といっても,アテがはずれたのは,社会,ビジネス・経済,思考の道具,国際といったあたりであって,それ以外は別にイライラしないで読むことができた。

● イライラしたところをいくつか挙げてみる。
 菊田幸一『日本の刑務所』を取りあげているところ(p28)では,刑務所に入ってくるのは初入者より再入者が多いことを紹介して,「そもそも,出所者がまた罪を犯したとき,彼/彼女を矯正できなかった刑務所には責任がないのか」というのであるが,数ヶ月や数年の間にどうすれば矯正できるのか,逆に訊きたい。
 「善良なる一般市民が犯罪被害者とならないためにも,再犯者を減らすこと,出所者がうまく社会に適応できるような刑務所と矯正プログラムを作ることが必要だ」と結んでいるんだけど,作ってみるがいい。作れるものなら。
 そんなことは言われなくてもわかっているのだ。わかっているけれどもできないのだ。だから苦しい。

● 斎藤貴男『教育改革と新自由主義』を取りあげた箇所(p30)では,「ゆとり教育は,それまでの知識偏重のつめこみ教育への反省から生まれたかのように受け止められているが,実態はちがう。ごく一握りのエリートと,大多数のロボットのような国民を作り出すために,産業界と官僚がたくらんだことだ」という。
 ゆとり教育は壮大な失敗だったとする意見が今では大勢だろう。それに異論はないけれども,こういうのを読まされると,いわゆる同和問題なるものが,農民の不満をやわらげるために,織豊政権と江戸幕府によって,上から政策的に創られたものだという説を説かれたときと同じ気分になる。疲れる。どうしてこういう安直きわまる犯人捜しに走るのか。
 政治や行政が無から有を生むことなど,できるものか。お上を買いかぶってはいけない。基本的にお上は無能なのである。お上がそんなに手際よく何事かを成し遂げられるはずがないじゃないか。

● 田中敦夫『日本の森はなぜ危機なのか』を取りあげた箇所(p54)では,「いずれにしても森林復活の鍵は魅力ある商品開発ができるかどうか。ビジネスセンスがなくては,自然環境も守れないのである」と結ぶ。
 ハァーッ。これを知らない人がいるのか。これは問題の出発点であって,ではどうすればいいのか,その具体的な方法論を考えるのが問題のすべてだ。これを結びにするくらないなら,口をつぐんでいることがなぜできないのか。

● 連載媒体が「週刊朝日」だったってこともあるんだろうか,頻発する政治批判が今となっては薄っぺらいんですよねぇ。言う方に何の覚悟も感じられない。「茶の間の正義」を散らかしているだけではないか。あるいは誰も反論できない正論を述べて,字数を整えているだけではないのか。
 というわけで,読み始めてしばらくは,本書中で読むに値するのは「まえがき」と「あとがき」だけじゃないかと思っていた。

● やっぱりねぇ,得手不得手ってあるんでしょうね。政治や経済って大事なことなんだろうけど,大事なことだから発言しなきゃいけないってことになるのかなぁ。不得手だと思ったら徹底的に背を向けると決めてしまうのはダメ? 歴史はしょせん過ぎたことだけれども,政治は自分の生活に直結すると思うから,何か言わないではいられないところはあるんだろうけどさ。
 あるいは,発言しやすいんでしょうね。この分野って。素人でも口を出しやすい。口を出すと,たとえば時の首相を批判すると,批判する自分も首相と同じ大きさになったような錯覚を得られるってこともあるだろうし。

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