2012年11月12日月曜日

2012.11.12 見城 徹 『異端者の快楽』


書名 異端者の快楽
著者 見城 徹
発行所 太田出版
発行年月日 2008.12.15
価格(税別) 1,600円

● 『編集者という病い』は強烈だった。尾崎豊との関わりは凄まじかった。ここまでやらないと本や雑誌は作れないのか。
 尾崎豊は普通にいえば生活破綻者。ひょっとすると人格障害という診断名まで付いてしまうのではないか。その破綻者に徹底的に寄り添っていくと決めた,見城さんの決意と見通し(打算といってもいい)はあまりにもプロフェッショナルで,こんなことができるのは千人に一人いるかどうか。当然,ぼくにはできない。裸足で逃げだすに違いない。
 一方,生活は破綻していても,見城さんをしてそう決意させるだけの力を尾崎豊は持っていた。

● 本書の「序章 異端者の祈り」はアジテーションとして出色。若者がこれを読むと,自分も異端者たらんとする人が出てくるかもしれない。もちろん,なろうとしてなれるものではない。やめておけ。
 坂本龍一や尾崎豊に象徴されるようにクリエティブな活動に関わる才能は,それを持とうとしてもてるものではない。真の表現者はつねに異端であり,石原慎太郎の言葉で言えば「ゲテモノ」でありフリークスなのだ。異端のDNA。マジョリティ=共同体からこぼれ落ちる悲しみと他人には通じない官能の回路を持って,暗闇に向かって跳躍を続ける表現者たち。(p13)
 自分は共同体の規範から外れた快楽原則に突き動かされてきた。どうにもならない本能で動いているから,どんな辛苦にでも耐えられる。(中略)表現に関わる仕事に寄る辺などない。まして社会的権威,政治的正義,道徳や良識などどこにもない。(p14)
● 本書は見城さん自身のエッセイ,見城さんが受けたインタビュー記事,対談によって構成される。
 対談の相手は,さだまさし,中上健次,石原慎太郎,藤田宜水,鈴木光司,内舘牧子,田島照久,杉山恒太郎,熊谷正寿。

● さらに,多すぎる引用。
 いい奴には大した作品はつくれないと思っている。作品さえよければ,相手が殺人者であろうと性的異常者であろうと,誰だってかまわないと思っている。俺を感動させてくれれば,どんな相手でも体を張って守ってやろうと思うわけです。(p26)
 ぼくの持論で,売れたりブレイクしたり感動させるものには,必ず四つの要素があります。 それは,「明快であること」「極端であること」「癒着があること」「オリジナリティがあること」。この四つを満たしていれば,本は必ず売れる,芝居もヒットする,テレビは視聴率を取る,と思っています。(p35)
 不可能だ,無理だ,無謀だと言われることを,圧倒的な努力で可能にしたときに,結果というのは出てくる。それが一番鮮やかなんです。それがその人や,その組織の伝説を作っていく。(p46)
 アルバムが100万枚売れていくミュージシャンっていうのは,みんな例外なくツアーをやってるんですよ。(中略)ツアーをやって,その人の声やその肌触りみたいなものがちゃんと伝わる。胸の鼓動や吐く息が。その上でアルバムを出すことを,音楽界ではとうの昔からやってる。それを出版界ではやってないんですよ。(p151)
 幻冬舎で売れている本を指して「こんな本が売れてもねぇ」と言われることがある。でも,それが売れてしまうのは,「こんな本」のなかに大衆が嗅ぎ分けた価値が潜んでいるからだと僕は思う。「大衆が欲していたものがそこにある」ということにほかならない。100万部売れたら,100万人が買ったという事実が,すべてを物語る。僕は,文学や文化は「こういうものだ」と大上段に言うつもりはまったくなくて,人々が望んでいるものを提供するのが僕にとっての「本当にいいことをやる」ことだし,そこに価値があると思っているんです。(p187)
 テレビというあの形態を,インターネットが凌駕するとか,包摂するということはあり得ないというふうに思っています。インターネットで何かやっても,本に関してはほとんど影響力はないですよね,今。僕の実感としては。(p197)
 その共同体から滑り落ちる羊の内面を照らし出すのが表現だというふうに思っているんですね。そのために表現はある。(中略)表現がある限りはすべてを奪われても,表現というものが残っている限りは,その人はすべてを失ったことにはならないというふうに思っているわけです。 (中略)だからものすごく抑圧されているものからしか,芸術というのはあまり出てこない。能でも歌舞伎でも狂言でも,華でもお茶や庭でも,全部それは差別があるところからしか出てきていない。(p199)
 すべては死ぬということから人は一回きりの人生を,短い生涯で体験して死ぬという,それがあるからあらゆる感動はあると思うんです。切なさも哀しみも恍惚も絶頂も,すべては死ぬということが定義づけられているからあると思っているんです。だから人が死ぬ運命にある限り表現というのは不滅なわけです。(p204)
 活字離れとか文芸の衰退なんて世間では言われているようですが,衰退しているのは文芸を編集する側ですよ。出版社側は,作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに絶えず耳を澄ましているべきなのに,それができていないだけなんです。(p257)
 そもそも編集者っていうのは,「人の精神」という目に見えないものから商品を作り出すという,じつにいかがわしいことをやっているわけです。それを誠実な営みとして成立させるためには,「これはお決まりのお仕事です」というような安全地帯に編集者がいるようでは話にならない。その生きざまが激しく問われることになるわけですよ。(p258)
● 見城さんのキーワードは,タイトルにもなっている「異端者」と「圧倒的努力」。こうして引用なんかしているようなやつには,無縁の世界だとわかっている。
 見城さんとぼくを分かつものは何なのだろう。結局,ぼくは共同体に馴染める体質だったってことか。だから自分の人生を徹底して見つめる必要に迫られなかった。安逸に生きることができるタチだった。
 でも,それだけじゃないよなぁ。

0 件のコメント:

コメントを投稿