2012年11月19日月曜日

2012.11.17 藤沢秀行 『野垂れ死に』


書名 野垂れ死に
著者 藤沢秀行
発行所 新潮新書
発行年月日 2005.04.20
価格(税別) 680円

● ぼくは碁を打たない。ルールも知らない。が,藤沢秀行という名前は知っている。
 碁界第一のタイトルである棋聖位を連続6期保持して名誉棋聖の称号を得ていること。
 競輪競馬で3億円もの借金を作り,しかもその筋の者から借りて,修羅場を味わったこと。しかし,その借金を完済したこと。
 酒浸りでほとんどアル中だったこと。禁断の四文字言葉を連呼し,警察のご厄介になったこと数知れず。
 家に帰らず,複数の愛人との間に子をもうけたこと。
 書をよくし,何度も個展をひらいたこと。
 門弟が列をなし,韓国,中国にも教えに出向き,かの国の囲碁水準を飛躍的に高めたこと。
 日本棋院の言うことをきかず,一時は棋院を脱退したこと。

● 要するに,奔放に生きた人。奥さんや家族はたまらなかったでしょうね。普通はそこでブレーキがきくものだと思うんだけど,それでは普通の人。奔放には生きられない人なのでしょうね。
 奥さんが彼を見捨てなかった。最大の不思議はここにある。ここまでの無軌道を受け容れたのはなぜか。もし,奥さんが見捨てていれば,秀行さんのここまでの鮮やかさはなかったはずだ。
 秀行さんは状況にも恵まれたんですな。あるいは,恵まれた状況を彼は引き寄せたのかもしれない。それだけの何かを持っていたのだと考えるしかないね。

● 奔放に生きれば,そのツケを払わなければならない。秀行さんは必死こいてそのツケを払ってきた。だから,彼の生涯は物語になる。
 くれぐれも彼の真似をしようとしちゃダメだよね。真似したいと思う人はいないだろうけど。

● 彼が無軌道路線に入ったのは30歳を過ぎてから。それまでは真面目の塊だった。しかも,ギャンブルや酒にのめりこんだ後も,中心は碁で,この軸がゆらぐことはなかった。彼の言葉を聞いてみる。
 強くなればなるほど,私には少しずつ碁の難しさ、奥行きの深さが見えてきて,以前にも増して碁のことで始終頭がいっぱいになった。(中略) 石を並べる,考える,わからない。それを繰り返し、頭がどうにかなりそうなくらい考えた。(p47)
 私の勉強の仕方は,とにかく自分の頭で考え抜く方法だった。定石を覚えたり,人に教わったりはほとんどしない。自分の棋譜はもとより,先輩方や仲間,果ては昔の名人の譜を片っ端から並べてみる。 なぜその石が打たれたのか,ほかに手はないのか,一手一手を吟味しながら,よりよい形,面白い形を考えていく。勝負どころを的確にとらえる努力をし,局面の動かし方を工夫する。(p89)
● つまり,根は真面目一方の人。真面目というか一途なのでしょう。
 世間の人はどう思っているのか知らないが,私は自分でも息が詰まるくらい,真面目な男なのである。(p45)
 私のように,自分の神経に参ってしまうような類の男には,どうしても酒が欠かせないものなのだ。 世間の人は,私を評して「豪放磊落」なんて言うけれども,それは過大評価で,一見そう思われるのは,神経が細かすぎて,それに自分で我慢しきれなくなって,暴走してしまうことが多かったせいと思う。 「豪放磊落」どころか「繊細暴走」なのである。 そういう私にとって,酒は,必要欠くべからざる“安定剤”だった。 酒さえ飲まなければもっと大きな仕事ができたのではないか---私の生き方を見てそう思われる方がいるとしたら,私はこう反論したい。 酒があったからこそ,われだけの碁が打てたのです,と。(p81)
● 秀行さんの人生哲学をいくつか。
  よく学びよく遊べ,という言葉は本当だと思う。人間というものは,人一倍勉強したり働いたりするためには,人一倍の精神の遊びが必要なようだ。集中の度合いが激しければ激しいほど,開放や発散も思い切ってしなければバランスが悪くなってしまう。 (中略)そこに,競輪や競馬という面白い博打があった。美味い酒があった。そういうことである。(p47)
 だいたい,たいしたことのないヤツに限って,わかったような顔をして,もっともらしいことを言う。(中略) 私は,そういう安易な不惑野郎に対しては,全力で完膚なきまでに負かしてやり,力量の違いを思い知らせることにしている。 わからない,ということがわかるためには,よほどの勉強が必要なのだ。(p87)
 穴があったら入りたいほど恥ずかしくなるのは,「勝ちたい」という自分のだらしなさが感じられるときだ。碁は正直だから,ある譜全体やある一手に,それは如実に表れる。隠すことができない。 碁打ちの多くは,「勝つことがすべて」と考えているようだが,私は違う。 勝ち負けは,後から自然についてくるものではないか。勝ち負けにこだわって縮こまっていてはいけない。 こだわるべきなのは,自分にしか打てない碁を打つことなのだ。 碁には,恐ろしいほど,人物が出る。個性,生き方,碁に対する姿勢など,その人のすべてが凝縮されて盤面に表れてしまう。それが譜となって後世に残るのだから,一局一局の勝った負けたで騒いでいる場合ではない。(p90)
 棋譜は私の作品なのである。 芸のレベルを高めるためには,碁の修行だけではダメだとも思った。人間自体のレベルやスケールをアップしなくては,芸は育たない。 もともと私は,中国や日本の歴史小説が大好きだが,それらの読書も,酒に呑まれて自分を解放することも,競輪でしびれる勝負に没頭することも,自分の生活のすべてがトータルに芸に関わってくる,と覚悟していた。(p92)
● にしても,秀行さんの人生にもし碁がなかったら。彼はどんな人生を歩んだのだろう。のめりこむ対象がなければ,バランスをとるために反対側にのめりこむこともない。普通の人生を送ったのだろうか。
 それとも,碁に代わる何物かを見つけて,はやり壮絶な人生を送ることになったのだろうか。

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