2012年11月29日木曜日

2012.11.28 中川右介 『カラヤン帝国興亡史』


書名 カラヤン帝国興亡史
著者 中川右介
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2008.03.30
価格(税別) 820円

● 副題は「史上最高の指揮者の栄光と挫折」。カラヤンはベルリンフィル,ウィーン国立歌劇場,ザルツブルク音楽祭を押さえて,音楽界に君臨する。聴衆からも圧倒的な人気を獲得し,録音したレコードも出せば売れる状態。この人気において他の追随を許さない。したがって,レコードの制作・流通業界もまた,帝王カラヤンの意向を無視できない。
 が,諸行は常無しなのであって,栄誉栄華はいつかは消える。本書はその過程を描いたもの。

● 『カラヤンとフルトヴェングラー』同様,しごく面白い読みものに仕上がっている。もちろんノンフィクション。それでこれだけ面白くなるのは,第一に,カラヤンの人生が起伏に富み,エピソードに事欠かないからだ。
 第二は,その結末が滅びで終わること。諸行無常というぼくらが馴染んでいる展開にピッタリとはまるわけですよね。
 第三に,著者である中川さんの緻密な文献渉猟と筆力。

● 著者は「クラシックジャーナル」誌の編集長を務めているが,それだけではないらしい。他書(幻冬舎新書)の著者略歴によると,「クラシック音楽・歌舞伎を中心に,膨大な資料を収集し,比較対象作業から見逃されていた事実を再構築する独自のスタイルで精力的に執筆」「出版社「アルファベータ」代表取締役編集長として,音楽家の評伝,美術書,写真集,カメラ本,専門用語辞典,雑学本など約三百点を編集,出版している」とある。大量の仕事をしている人なんですな。
 活動力が旺盛なオタクというイメージを持つんだけど,その風貌と相まって,かの荒俣宏さんを連想させる。

● カラヤンとベルリンフィルの確執については,川口マーン惠美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書)も面白い。フルトヴェングラーとカラヤンの両方を知っている数人の元団員を訪ね,インタビューしたものだ。
 しかし,この本を読んでも,結局のところはよくわからない。わからないのだ。当然といえば当然だ。要するに,人によってカラヤンに対する見方は違うから。

● カラヤンは懸命に生きた。最後まで全力疾走をやめなかった。その功罪はわからない。カラヤンがいなければ,他の誰かがカラヤンをしのぐ名盤を残せたかもしれない。語り継がれる伝説のコンサートやオペラが多数生まれていたかもしれない。
 しかし,毀誉褒貶の振り幅がどれだけ大きいかを,その人物の傑出度を測るモノサシのひとつとして使用することが認められるならば,間違いなくカラヤンは傑出していた。

● 著者も次のように書いている。
 二十世紀は共産主義と国家社会主義という二つの理想がとんでもない災厄をまきちらし,そのあげくに自滅した世紀だった。理想を持った政治家ほど危ない者はいない-その「理想」がどんな卑小なものでも,当人が「理想」と思い込んでいる限りは危険である。 カラヤンはその時代に生き,ひとつの「理想」の狂気を身近に感じたはずだ。 それもあって,カラヤンは「理想」を持つことを自ら禁じたのではないか。だが,「理想」を持っていると見せかけたほうが仕事はやりやすい。「帝王」と呼ばれることを黙認し,自らの権力志向を隠さなかったのも,仕事をしやすくするためだったのではないか。 「理想」は「野望」と言い換えてもいい。カラヤンには「野望」などもともとなかった。「権力」などどうでもよかった。「帝王」など,仮面に過ぎないのである。死んでまで,その仮面を被る必要はなかったので,彼は密葬と質素な墓を望んだのではないだろうか。 (中略)「理想」すらも軽蔑するのが,本当の芸術家であるという精神風土に,カラヤンは生きた。(p297)
 ● しかし,そうではないのかもしれない。「理想」実現のためにしゃにむに「権力」を欲したのかもしれない。最晩年にいたって,ようやくその空しさを悟っただけなのかもしれない。
 つまり,これはわからない。わかりようがない。
 著者はさらに「この俗なる人が,なぜかくも美しい音楽を引き出せたのか。俗を極めた人であったからこそ,聖に転じることができた。そう思えてならないのだ」(p298)と書いて結んでいるんだけど,これは少しまとめすぎのようにも思える。俗と聖は両立可能なのかもしれないしね。

● 最後にもうひとつ引用。
 カラヤンの映像作品は,音だけのレコード同様にライヴではなく,セッション録画されたものが多く,完成度は高いのかもしれないが,臨場感がなく,つまらないというのが定評である。しかし,そのなかにあって,この《英雄》(1982年5月1日の演奏。ベルリンフィルとの対立が決定的になっていた時期)は完全なライヴ収録であり,迫力のある演奏で知られている。百周年という記念公演であることと,指揮者とオーケストラが対立していたことなどの理由で,緊迫した演奏になったのであろう。仲がよいだけでは名演にならないという見本としても,後世に伝えられるべき名演である。(p255)

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