2012年9月30日日曜日

2012.09.29 蜷川幸雄 『演劇ほど面白いものはない』


書名 演劇ほど面白いものはない
著者 蜷川幸雄
発行所 PHP
発行年月日 2012.09.05
価格(税別) 1,100円

● 蜷川さんの舞台を観たことはない。っていうか,演劇を生で観たことがない。にもかかわらず,この本を読んだのは,演劇ではなく,蜷川さんへの興味から。
 とはいっても,1998年にNHK教育テレビの「人間大学」で「舞台・夢を紡ぐ磁場」と題する話をしているのを聴いたくらいで,蜷川さんについて知るところもさほど多くはない。

● 冒頭,渋谷とヨーロッパの比較都市論?を蜷川さんが披露する。
 昔は,日本の都市はゴチャゴチャしてて汚い,看板だらけで秩序がない,ヨーロッパに比べると都市計画などないに等しい,などと言われ,ぼくもそうなのかぁと思っていた。
 が,実際にヨーロッパに行って,ロンドンやパリやウィーンを自分の眼で見る機会を持った人が雲霞のごとく出てくると,ヨーロッパ礼賛一辺倒は下火になった。ま,今でもその手合いがいるにはいるけどね。

● 「猥雑で,色彩にあふれ,音もノイズもいっぱい入ってきて,いろんな人がいろんなところから集まり,それらが交差する」(p3)のが渋谷で,「この街には論理以前の,あふれんばかりの感情を孕んだ,アジアの混沌とエネルギーが,沸騰していると感じられる。風俗やファッション,流行りすたりがあって,それが激しいし,変化が速い」(p7)と蜷川さんは言う。

● 対して,「ヨーロッパの,洗練され統一された,整然とした都市で演劇の仕事をしていると,やたら自己主張ばかり強い,西欧の論理性というのがつまらなくなって」(p6)くる。
 このあたりの感じ方は,蜷川さんの演劇観の反映。「混沌」を演劇の生命線だと考える。「世俗から離れた修行僧のような人を,僕は尊敬しますけど,そんなふうに精神的にストイックになり過ぎると,演劇はどうなるか?」(p8)。

● 以下,蜷川さんの言葉をいくつか。
 いくら志があっても,慣れると,集団は腐っていく。(p49)
 その時の言葉が,戯曲の中に満ちあふれていて,現在をつかむ言葉であれば,それでいい。(p59)
 僕は2005年頃から5年くらい,演出ノートをいっさいつけていなくて,台本の書き込みもほとんどない。(中略)即興で,その場で思い浮かんだことを指示して,俳優の演技も身ながら直していく。(p85)
 演出というのは,文学を演劇にすることだ。(p89)
 僕らの演劇を,いまさら輸入文化のようにやるのは恥ずかしいと思います。(中略)髪の毛を赤く染めたり金髪にしたり,目の周りにシャドウを入れたりして外国人に扮するというのは,ひどく恥ずかしい。日本人のタイツ姿というのも,すごく恥ずかしいし,みっともない。(p90)
 劇場に入って劇の時間や空間へすっと入れない芝居は,創る側の職業的な怠慢だ。(p95)
 僕は,演出テーブルの上に箱馬という台を置いて,錠剤をポリポリ噛みながら,よく稽古をしていました。みんなビタミン剤と思うんですけど,胃薬なんです。稽古中に,目の前を虫が飛ぶんです。幻覚ですが,そうやって自分を追い込んで,何かを創ろうとしていた。(中略)
 ただ,そうして自分を追いつめて生まれたものは,いいものもあるけれども,いま考えると,ふくよかさに欠けるところがありますね。(p120)
 僕は決して,枯れたり,ストイックになるつもりはありません。日本的な,物わかりのいい,物静かな老人にはなりたくないですね。最後まで,創造的な仕事に対して冒険家であるような,過剰な老人でいたい。(p143)
● 蜷川さんの幼少時の環境もちょっとすごい。「芸術好きな母親に連れられて,映画やバレエ,オペラ,コンサート,歌舞伎などを,よく観に行ったりしていました」(p21)っていうからね。
 失礼ながら,蜷川さんの年齢でこういう幼少時代を過ごしたってのは,庶民の暮らしからは隔絶している。
 しかも,「高校生の頃から文学座の支持会員でした」(p29)っていうから,ませてたっていうか,超早熟というかね。そして,それを支える経済的な基盤が親によって整備されていたというわけだね。
 幼少時の環境だけがその人を決める要因ではないけれども,こういう事実を知ると,蜷川さんは演出家になるべくしてなったのだとも思えてくるねぇ。

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