2017年11月16日木曜日

2017.11.16 番外:GOETHE 12月号-最上の生活必需品

編者 二本柳陵介
発行所 幻冬舎
発売年月日 2017.12.01
価格(税別) 741円

● 『GOETHE 12月号』では,メルセデス日本法人の社長やソニーの社長が,「最上の生活必需品」を紹介している。「自分の彼らが最上と認めるモノ,特に生活必需品ともなると,さらに愛用するモノに色濃く人生が映りこみ,無数の物語が生まれでる」と。なるほど。
 筆記具だとモンブランの149や,フランスのデュポンの製品が紹介されている。

● では,ぼくも同じように自分の生活品を紹介できるだろうか。
 ムリだね。たとえば,最も常用しているノートとペンは,ダイスキンとプラチナの千円万年筆。洋服はユニクロがメイン。いつも持ち歩いているバッグは,レスポのトート。これらを紹介できるだろうか。
 物語は高級品からしか生まれないかといえば,そんなことはないと思うんだよね。金額の多寡にかかわらないはずだ。

● でも,ダメだ。理由は2つ。ひとつは,そういうものを紹介するのは,この雑誌の主旨にはまるでそぐわない。
 もうひとつは,持ち主に魅力がないからだ。モノは物語を生みだすとしても,その物語の帰属者が平々凡々で,耳目を惹くような業績もなく,容姿もなく,お金もないのでは,物語自体が伝達性を持たない。

2017年10月6日金曜日

2017.10.06 内田 樹・釈徹宗 『聖地巡礼 コンティニュード』

書名 聖地巡礼 コンティニュード
著者 内田 樹・釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2017.09.01
価格(税別) 1,800円

● シリーズ,4冊目。今回は対馬。副題は「対馬へ日本の源流を求めて!」。
 本書で蒙を啓かれたところは2つある。ひとつは,日本神話は対馬発祥であるらしいこと。古き日本が対馬には残っていること。
 もうひとつは,対馬に朝鮮半島から受けた文化的影響の痕跡は皆無であること。地理的に近いから影響を受けるという単純なことではないらしい。

● 案内役の永留史彦さんが主役。情報の提供役。著者二人はそれに乗って勝手に喋っているだけ。もっとも,それが編集方針かもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 やっぱり旅の友は司馬遼太郎ですよ。『街道をゆく』です。頁折りすぎて,一体どこが大事なんだかわかんなくなっちゃいましたけど。(内田 p13)
 「じゃあ対馬では朝鮮の文化と日本の文化が融合しながら発達していったような形跡があるのか」と,よく聞かれるんですが,そういうものはほとんどありません。(中略)言葉なんかもですね,対馬の言葉,特に対馬の南端の豆酘という所には,対馬の中でもまたちょっと独特の方言が残っていたりします。(中略)対馬に残るそういう言葉は,中世以来の日本の古い言葉だということがわかりました。(中略)古い朝鮮語の影響というのはまったくない。(永留 p16)
 対州ソバは名物ですね。源流がわからないんですが,対馬では,縄文時代の貝塚から蕎麦の実が見つかっています。だから,それがそのまま続いていたとしたら,対馬の蕎麦はもっとも古代の蕎麦に近いんじゃないかと。(永留 p68)
 植生ですね,やっぱり,風土感というのは。(内田 p77)
 近代化があれほど早く可能になったのも,幕藩体制があったからだと思います。日本中に人材がいたわけだから。中央集権一極集中だったら,あんなことできませんよ。(内田 p93)
 体制が腐るときは頭から腐っていくわけだから,一極集中で頭が腐ったら手がつけられませんよ。(内田 p93)
 永留 南のほうも対馬海流は流れてはいるけど,幅が広い分,流れは穏やか,航海しやすいです。水道にホースをつないで,口を細くすると勢いが強くなる。あれと同じです。(中略) 内田 離れているほうが渡りやすくて,近いほうが渡りにくい。ここは流れが速いんですね。 釈 距離じゃないんだ。(p106)
 対馬に阿麻氐留(あまてる)神社というのがあります。この阿麻氐留神社というのも,天照大神を祀るようになって阿麻氐留神社になったんじゃなくて,その逆じゃないかというのが神話研究者の定説なんですね。(永留 p137)
 永留 海で生活する人たちにとってはね,遭難した人は助けるというのが,これがまず原則なんですね。 内田 そうか,海民の常識なんだ。海民というのはね,砂漠のノマドと同じだという話を,前にしていましたよね。(中略)砂漠でもね,荒野の彼方から到来して旅人は必ず幕屋を上げて歓待しなければならない。(p183)
 聖地は大体この世とあの世の境界線上にあるんです。海と陸の境界は「さき」と呼ばれるんだと中沢新一さんの『アースダイバー』に書いてありました。(中略)今は海岸線が遠ざかって,海なんか見えないような町中でも,古い岬の突端だった地には今も神社仏閣,病院,大学,墓場,そしてラブホテルがあるのです。(p241)
 釈 ここに来たら,日本神話をリアルに実感できますね。 内田 本で読むとリアリティーないけど,ここに来るとリアルですね。(p243)
 対馬を巡って,あらためて「日本の宗教は神道で,仏教は外来の宗教だ」などといった捉え方がいかに見識がせまいかっていうのがよくわかりました。神道もかなり外来ですから。(釈 p252)
 政治が絡むと聖地は力を失います。でも,延喜式から延々とやっているわけだよね。千年以上前から政治は宗教に介入している。(内田 p257)
 昔,天安門の前で行進するとき毛沢東がいたり朱徳がいたりして,後ろのほうにレーニンとかマルクスとかエンゲルスの写真も一緒に行進してたじゃないですか。あれは中国共産党の境内に,ご祭神としてマルクスやレーニンを勧請しているんですよ。(中略)毛沢東神社に合祀しちゃうの。毛沢東神社の神格を高めるために,いろいろと有名で霊験あらたかなご祭神を勧請してくる。(内田 p258)
 考えてみたら,パレスチナ地方の一民族の神話が,キリスト教の展開によって世界中で共有されることになったわけです。我々が日本人の神話として共有しているのも,いくつかある部族の一つの神話だったのでしょう。(釈 p263)
 全く国境を閉ざされてしまうと,ほんとうの日本の辺境になっちゃうんですよ。(中略)国境が開かれていると,外国への窓口になるんです。閉ざされると条件が一八〇度変わります。(永留 p274)
 「貧すれば鈍す」って,ほんとうに汎用性の高い教訓ですよ。経済的余裕がなくなると,人間は思考力が衰えるんです。(中略)「金がある人」というのは「金のことを考えない人」のことです。ですから,逆も同じで,実際はどれほど貧乏でも,「金のことを考えない人」は「金のある人」なんです。暇だから。(中略)自分は「貧乏だ」と思っている人は四六時中お金のことばかり考えて,お金さえあればすべてが解決するというシンプルな思考にはまり込んでしまう。(内田 p331)
 釈 何度も聖地巡礼をやっていて,体感的にわかったことなのですけど,「ある程度歩いて到達しないとダメ」な気がします。 内田 ダメです。いきなり,「はい,聖地に着きました」というのは。(p338)
 倍音声明で面白いのは,自分は声を出さないで,ただ他人の声を聴いているだけの人には,倍音がちゃんと聴こえてこないということです。超越的な音,誰のものでもないその音を聴き取るためには,自分のパーソナルな,自分に固有の声をその場に差し出さなければならない。(内田 p357)

2017年10月2日月曜日

2017.10.02 中川 裕 『図解! 頭のいい人のメモ・ノート』

書名 図解! 頭のいい人のメモ・ノート
著者 中川 裕
発行所 ぱる出版
発行年月日 2017.01.30
価格(税別) 1,300円

● 本書で役に立つのは次の一文。これさえ憶えておいて拳々服膺すれば,あとはすべて忘れてよい。
 「めんどうだから・・・・・・」とメモを取らない人は多いと思いますが,実はメモするほうがずっと楽なのです。(p19)
● 仕事はつねに「P(計画)」→「D(実行)」→「C(評価)」→「A(改善)」という「PDCA」サイクルを意識して取り組みましょう。(p56)
 これはダメだ。やりもしないうちから,どうして計画が立てられるのか。やりもしないうちに立てた計画に何の意味があるのか。
 まず「D(実行)」がある。「D(実行)」→「C(評価)=A(改善)=P(計画)」の2サイクルだ。これ以上,細かく分けない方がよい。
 とにかく,手始めは無手勝流で「D(実行)」。やってみることだ。

2017年10月1日日曜日

2017.10.01 和田秀樹 『上流に昇れる人,下流に落ちる人』

書名 上流に昇れる人,下流に落ちる人
著者 和田秀樹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2006.08.25
価格(税別) 1,300円

● この性癖は○(→上流),これは×(→下流)と,大括りする。たいていの人は,その両方を持っていると思う。自分はどっちが多いかと楽しみながら読めば良いのではないか。
 ちなみに,ぼくは×の方が多かった。下流に向かうタイプだ。何とはなしに納得している。

● 具体的にこれは自分が批判されているのではないかと思ったところも,何ヶ所かあった。ギクッとした。
 しかし,参考になるところも多いだろう。こういうのをバカにしてはいけないと思う。膝を打ちたくなる一文もあった。

● 茂木健一郎さんが書いているところと,かなりの部分は同じ結論になっている。生活の知恵・ノウハウとして信憑性の高いもの,と受けとめていいのじゃないか。

● 以下に,転載する。
 私のみるところ,上流力は,「自分の頭で考える力」と「人とうまくやっていく力」の掛け算になる。足し算ではなく,掛け算である。掛け算である以上,いずれかの数値が高くても,もう一方の数値が極端に低ければ,その「積」としての能力値はゼロに等しくなってしまう。(p5)
 人間は,何歳になっても変わることができる--これは,私の精神科医としての確信である。(p6)
 「オリジナリティがある」というのを最高の褒め言葉だと,いまだに信じている人。「自分らしく生きたいなどと,なんの疑問もなく思っている人-こういう人は,まず上流には昇れない。多くの場合,そういう人は「オリジナリティ」とか「自分らしさ」を,「自分だけが持っている他の人と違う美点」と解釈している。そもそも,それが間違いなのだ。(p16)
 「オリジナリティ」「自分らしさ」を見つけたければ,まず人の真似をすることだ。(中略)そっくりそのままなぞったつもりでも,まったく同じにはできないはずだ。(中略)そのちょっとした違い,それこそがあなたの“個性”なのだ。(p17)
 「見た目と中身が違う」っていう言い方するでしょ。だけども,それは嘘だと思うのね。っていうか,表面だけが本当だと思うのね。(p23)
 服装に無頓着な人は,どこかで社会とのつながりを拒否したいと考えている。(p24)
 持って生まれた気質はそう簡単に変わるものではないが,考え方にちょっとしたアクセントをつければ,よりよい方向に向けることはできるものだ。そのキーワードは「バカなことを考える」である。(p36)
 グッドアイデアというものの多くは,まだ誰も実行したことのないアイデアのこと。つまり,その時点では風変わりであって当たり前なのだ。それを「そんなもの聞いたこともない」と退けていては,いつまでたってもいいアイデアは生み出せない。(p37)
 完璧主義という言葉は真面目さの代名詞のようにも使われるが,現実のビジネスシーンでは,好結果をもたらさないことが少なくない。(p39)
 先にあいさつをするかどうかで,明るい人か暗い人か,好感を持たれるかどうかの印象は,まず分かれる。心理的に言ってあいさつは先手必勝なのである。(p46)
 自己愛型,あるいは境界型のパーソナリティの偏りを抱えている人に多いが,そういう人は,アドバイスの内容が何であれ,「ネガティブなことを言われた」ことを「否定された」「攻撃された」と受け止めるのである。(p50)
 忠告やアドバイスというのは,親しい間柄でもそうそうできるものではない。相手を怒らせたり,気まずくなるリスクを覚悟のうえで,相手はあえて指摘してくれているのだ。(p50)
 大人が子供に言って聞かせるような「みんな仲よく」という“方針”は,大人社会ではとても貫けるものではない。「嫌いな人は嫌い」,それでいいのだ。(p55)
 たとえ組織内にいたとしても,「デキる人」というのは,たぶんに一匹狼的な要素を持っているものである。それは,人づき合いが悪いとか,孤独を愛するなどという情緒的なものではなく,ひとりで考え,行動し,結果を出すことができるという意味だ。すなわち,組織の流儀ではなく,自分流の仕事の方法論を持っている人である。(p59)
 他人に甘えることを恥ずかしいと思い込むのは,かたくなすぎる生き方だ。実際問題,人に上手に甘えられる人は,他人の好意を引き出し,協力を仰ぐのが得意な人といえる。(p64)
 上手に甘えるには,相手の自尊心を思い切りくすぐることだ。具体的にいえば,「教えてください」「助けてください」という言葉を使うといい。(p65)
 大きな仕事をしようとすれば,決断を下す場面で,敵をつくる覚悟を必要とするものだ。「敵もつくれないヤツは仕事もできない」というのは,まんざら嘘ではない。(p66)
 自分自身の怠け心と戦うためにも,敵は必要なのだ。(p67)
 未処理の「to do list」をたくさん抱えるよりも,すぐに処理済みにしてしまって,さっさと次の段階に駒を進める。何事も即時処理がいちばん効率的なのだ。(p75)
 ニンジンは「手の届きそうなところ」に置くからこそ効果的で,はるか彼方にあっても馬は走ってくれない(p77)
 コピーライターの仲畑貴志氏は,キャッチコピーを書くときに,まず「早い話が○○○○」と書いてみるという。「早い話が・・・・・・」-心の中でいつもそうつぶやいていれば,必ずやコミュニケーションの達人になれるはずである。(p82)
 適度な自信を心中に抱いていれば,適度な「自己有能感」に満たされるはずである。「自分はできる」「自分ががんばれば,何事かを変えられる」という自信は,自然にやる気へとつながっていく。(p84)
 自分ひとりの力には限界があることをよく認識して,人の協力を上手に得られる人のほうが,はるかに“頭のいい人”といっていい。(p90)
 考え込んでいる間,あるいはそう装っている間は,実際に行動しなくてもすむ。その間,プレッシャーや不安,恐れから,身をかわすことができる。(中略)スポーツ選手がトレーニング方法について頭をめぐらせるばかりで,実際に体を動かして練習していないようなものだ。(p92)
 相手にいらぬ敵意を植えつければ,いつどんなしっぺ返しを食らわぬとも限らない。さらにそういう下手な勝ち方は,周りの人々の心まで冷え冷えとさせてしまう。(中略)仮に,それまでは非礼を受けた側への同情心があったとしても,怒りを爆発させる姿を見れば,たちまちその同情心は消えてしまう。(p98)
 チャーチルは,「人間から性的感情を取り除いたら,何も残らない」とまで言い切っている。口説いてみたり,わざとそ知らぬフリをしてみたり,騙し騙されの男と女の奇々怪々な関係。それを面倒くさがって避けるようでは,仕事での成功もおぼつかないといえるのだろう(p103)
 「これはおかしい」「あれもいかがなものか」と,いつまでもいまいましい気持ちを抱え込むのは,おおむね“笑い欠乏症”にかかっているときである。(中略)逆にいえば,成功を願うなら,よく笑い,よく人を笑わせる人になることだ。(p104)
 ユーモアの真骨頂は「自分自身を笑える能力」である。たとえば,失敗感に打ちのめされているときは,深刻になって,なかなか笑えないものだ。だが,それを乗り越えたあとになってみれば,「あんなバカなことをして」と笑えるようになるものだ。(p105)
 仕事でミスをしたときは,「仕事が立て込んでいて忙しかったから」-知らず知らずのうちに,自分の責任を回避し,他者や環境に理由を求めようとするのである。だが,自分を守ろうとして,人のせいにしたり,環境のせいにしても,失敗を乗り越えて成長することはできない。(p108)
 「不満」が現状打破のカギになると気づけば,たとえそれが上司や部下への小さな不満であっても,単なる酔っぱらいの愚痴で終わることはなくなるはずだ。具体的な対策がもし見つかれば,マネジメントのスペシャリストにだってなれるのだから。(p114)
 そんな無価値な禁欲生活を送るよりは,(中略)仕事(勉強)と遊びの両立を図ったほうがいい。(中略)「遊ぶ人ほど,仕事がよくできる」というのは,ビジネスをめぐる不変の法則といっていい。(p119)
 “常識”や“良識”は,社会生活を送るために必要なものだが,あまりにそれに縛られると,生産的な発想はできなくなってしまう。最初に気をつけたいのは,自分自身の言動に縛られることである。(中略)自分らしさというものは,意識しないでも自然に表れるものであり,むしろ,そのときに思ったとおりに素直に考えたほうが,「自分らしさ」は発揮されると,私は信じている。(p123)
 二兎を追うものは一兎をも得ずは,すでに昔の話。いまや,一石二鳥を狙うのが,成功への近道といえる。(p132)
 私たちは,当てにならない記憶力をどのようにカバーすればいいのか。私は,原始的ではあっても「頻繁にメモをとる」,それ以外の方法はないと思う。(p138)
 持って生まれた性格には,変わらない部分もある。たとえば「気が小さい」と言われる人は,子供のときから気が小さかった,というケースが多い。(p145)
 クエ博士は,自己暗示の効果を上げるコツとして,「マイナス言葉の省略」を挙げている。たとえば,「痛みは消える,痛みは消える,痛みは消える」と繰り返し唱えるより,「痛み」という言葉をなるべく使わずに,「痛みは消える,消える,消える・・・・・・」と唱えたほうが,効果が上がるというのだ。(p156)
 「男は黙ってサッポロビール」というコピーがあったように,かつては男は口数の少ないことが美徳とされたものだ。しかし,そんな時代でも,口数の少ない人はなにかと損をしていたものである。(p158)
 プラス情報は,相手に言うと喜ばれ,喜ぶ顔を見るとこちらもうれしいという心理が働くので,もともと伝わりやすい。(p175)
 たとえ論理的説明であっても,大勢の前で上司に赤恥をかかせるのは,情のない話である。情を欠いては,いくら論理的でも人を動かすことはできない。(p179)
 安定とマンネリは紙一重である。機械的な刺激に乏しい日常から,斬新なアイデアが生まれる確率はきわめて低い。(中略)人間というものは,だいたい保守的にできているから,ある「型」を見つけて,その方法が安全だと気づくと,そこで思考停止する傾向が強い。(中略)重要なことは,ときには「自分の型を壊す」こと(p183)
 デキるビジネスマンは,総じて読書家とみてまちがいない。(p194)
 自宅まで届けてくれる通販は便利ではあるが,“デキる”といわれている人物なら,おそらく時間をやりくりしてでも,書店へ足を運んでいるはずだ。書店は時代の空気を読むのに,最適の場所だからである。(p195)
 メニュー選びに限らず,“小さな決断”を棚上げし,人にまかせるような人には,重要場面でも決断を下せないタイプが多い。そして,その傾向は決断を避けるたびに深まっていく。(p198)
 何かの着想を得たいとき,一時間机に向かって何も浮かばないのであれば,二時間,三時間粘ったところで,結果はほぼ見えている。そんなときは,一五分でも外に出てみて,脳をリフレッシュさせたほうが,望外のアイデアに恵まれる確率はよほど高まるはずである。(p203)
 前向きになれないから落ち込んでいる人に,「前向きになれ」と言っても,それは何の解決策にもなっていない。むしろ,そんなときは“後ろ向き”というか,過去をふりかえったほうが,自信回復のきっかけになることがある。「過去の自分に自信をもらう」といってもいい。(p205)

2017年9月29日金曜日

2017.09.29 砂川しげひさ 『コテンコテン流 クラシック超入門』

書名 コテンコテン流 クラシック超入門
著者 砂川しげひさ
発行所 東京書籍
発行年月日 2000.07.19
価格(税別) 1,200円

● 砂川自在流の音楽エッセイ。読み方は自由。

● 以下にいくつか転載。
 クラシック・ファンは基本的に人が称賛する曲には異を唱える輩だと思ったほうがいい。(中略)音楽評論家の新聞評でも,ベタボメの文章なんか発表したら,クラシック・ファンから総スカンを食うのだ。(中略)世渡りのうまい評論家はどこかをホメれば,かならずどこかをケナスのを旨としている。(p12)
 ぼくは毎日のようにこの公園をウォーキングしている。ウォーキングの理由は,健康のためもあるけど,音楽を聴くためでもある。(中略)で,リスニング・ウォークに何を聴けばいいか。(中略)いちばん適しているのはバロック音楽。強弱もあまりなくまんべんなく聴こえるのがいい。(p42)
 ぼくは,なんでいまだにピアソラがこんなに持ち上げられているのかさっぱりわからないのだ。たかがアルゼンチンのダンス音楽ではないか。(p77)
 よくオーディオ雑誌などで,超高級スピーカーやアンプのある部屋を紹介したカラー写真を見るが,あれは,音楽ファンというより,オーディオ・ファンだろう。純粋の音楽ファンとは区別したほうがいい。(中略)ある有名な音楽評論家の重鎮などは,CDが出現する前まで,畳の間の片隅でモジュラー型の電蓄!で音楽を聴いていたという。ほんとうはそういうので音楽を十分に堪能できるのだ。(p82)
 フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」なんか,ずっと昔にビデオ・テープを買ったが,映像と音の悪さでうんざりしていた。それがDVD版になると,なんて鮮明な映像とクリアなサウンドになっていることか。(中略)とにかくオペラは高いチケットをはたいて行かなくても,十分タンノウできるという結論に達したのだ。(p136)
 さて,クラシック紳士淑女諸君。クラシックをずっと聴きつづけてきた君たち。こむずかしい音楽学者のご託や,ロバ耳評論家に惑わされることなく,ひたすら自己の感性にしたがって,クラシックを楽しんできたファン諸君。(p153)

2017年9月28日木曜日

2017.09.28 伊藤浩志・pha 『フルサトをつくる』

書名 フルサトをつくる
著者 伊藤浩志・pha
発行所 東京書籍
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,400円

● 「フルサト」とカタカナなのは,生まれ故郷という意味での故郷ではなく,今住んでる都会とは別の場所に人為的に住まいを作ろうよ,という提言だから。
 著者たちは東京に住んでいる。でもって,熊野の廃屋(?)を共同で購入して住めるように直して,地域共同体とも係わりながら,自分たちの「フルサト」を作っている。
 主には,その熊野での活動を例にしながら,なぜ「フルサト」なのかを諄々と説いていく。

● “地域共同体とも係わりながら”と言ったけれども,著者たちはそこに意味を見出しているようでもある。たんなる田舎暮らしの良さということではなくて。
 ある意味で,流行の先端なのかもしれない。現代社会病理学のテキストとしても読めるように思う。

● ぼく一個は,これが滔々たる流れになるとは思わないけれども,過疎に見舞われて,何とか地域振興を図る手立てはないかと悩んでいる,地方の人たちにも参考になるのじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 変化が大きい現代社会は,常識的に安定と思われることのほうがリスクが高いことが往々にしてある。安定しているとは,世の中が動いている時期に止まっていることであるから当然である。日々チャレンジいていったほうが,変化に適応できるから長期的に見たら安定していると言える。(伊藤 p11)
 何か変化を生み出すには小さな常識を超えることが不可欠だ。不安で思考が充満すると視野狭窄になって変化を生み出せなくなる。(伊藤 p11)
 大事なものの多くは感覚的なものだ。例えば,暖かさだ。人間は,寒いと後ろ向きな気分になりやすい。(伊藤 p11)
 並列に並んだ情報を比較していくうちに決められなくなる。こういうのは,勘と人との出会いで決めてしまうのがいい。(中略)理屈を超えた衝動が起きないと変化は起こせない。(伊藤 p18)
 コミューンみたいな移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。(伊藤 p19)
 イエス・キリストも自分の生まれた土地では奇跡を起こせなかったという。自分の子供の頃のことや自分の家族を知っている人たちがたくさんいる場所では思い切ったことがなかなかできないものだ。(pha p38)
 通常,建築物というのは,計画とコンセプトを最初にがっちり決めて作り上げる。これは西洋的な手法と言ってもよいだろう。この,企業では当然の手法はそれなりの教育を受けて経験をみっちり積んでいて感覚の優れた人でないと大したものはできない。(中略)だからこそ,素人は1日といわず住みながら考えるぐらいのことをすればよいと思う。(伊藤 p92)
 生活すること自体が価値になるのが21世紀だろうと思う。そこがおろそかだと,いくら時間をかけて働いても人生の質が上がりにくい。(伊藤 p94)
 世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは,集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。(伊藤 p95)
 同じ人間だけでずっと過ごしているとどうしてもいろいろ溜まったりよどんだりしてくるものがあるので,「人がある程度循環している」というのが居心地の良い場所を作るときに大事な点だ。(pha p126)
 どんな世界でも新規ユーザーに厳しいジャンルは衰退する。(pha p128)
 あまり先のことを決めすぎるのは不自然だと思うし,誰かが何十年もずっと継続しているようなことだって,結局は短期的な予定の積み重ねだったり偶然の成り行きだったり単なる惰性だったりすることが多い。(中略)人生なんて結局「ちょっと,とりあえず」の積み重ねに過ぎないんじゃないだろうか。(pha p129)
 フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一には面白いからであり,さらに他者との関係をつくるためであり,そのついでに生活の糧を得るという順番である。(伊藤 p143)
 遊びになるくらいの感覚で働くほうが集中力が出て質があがるだろうし,無理して働いているよりも人の能力が発揮されると思う。なにしろ個人のやるべき仕事は工夫と細やかさが勝負なので,やっている人の精神の余裕が鍵になってくる。(伊藤 p144)
 自給活動はマネーを稼ぐための活動よりも費用対効果がよいことが多く,狙い目の分野なのでいろいろ検証してみる価値がある。(中略)自給力をあげたほうが楽だし,コントロールできる生活の範囲が広がる,というのが私の意見である。(伊藤 p148)
 現代社会が何かとお金がかかるのは,サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが,直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。インターネットは基本的にこの中間をなくすように発展していくので,全体の傾向としてはこのような中間のコストは省かれていくだろう。(伊藤 p157)
 もしかしたら,交換するものは究極的には物資やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれれば,無料で気分よくなれるのだからかなりの儲けもんだ。(中略)しかし一方では,昨今の挨拶は「あいつは挨拶ができない」と減点評価するために使われている。とてもつまらない現象だ。(伊藤 p158)
 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない,とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている,これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金と交換してもらう」とか,そういう意識で捉えている人は,はっきり言ってズレている。(伊藤 p159)
 モノが飽和したこの時代においては,モノによる充足よりも自分の体を動かして普段できないことをする,ということにも価値がある。(伊藤 p169)
 徳島県上勝町の葉っぱビジネスは,発案者の横石知二氏が自ら料亭に通い詰めて,どういう葉っぱがつまものにふさわしいかを実感できるレベルまで探求した,ということから発展してきていた。(中略)使う側の生活実感をしるかが勝負どころだった。生活を探求するというのがいかに大事かというのが分かる。(伊藤 p174)
 バックパッカーが集まる都市には必ず安宿街がある。そして安宿街には,安く泊まれるゲストハウスと,気軽にごはんを食べられるレストランやカフェと,古本屋があるものなのだ。(pha p211)
 都会にはどんな文化でも同じジャンルに詳しい人がたくさんいるので,ちょっとやそっとのレベルではなかなかイベントを開いて人を集めにくかったりする。田舎だったら人が少ないので他に同じことをやっている人があまりいないから,趣味の延長として気軽に文化的なイベントを開催しやすい。(pha p215)
 ともすると経験値のある人ほど「めちゃくちゃ大変やぞ」と脅してくることがあると思う。それが正しいこともあるが,しかしどう大変なのかということを具体的に聞いてみないと,それが真実味があるのか分からない。(伊藤 p231)
 高齢化社会の問題の一部に,老害問題がある。私は,ごく一部の権力を持った高齢者が力を振り回して被害を起こすという老害は,メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大,高齢化による思考力の減退,さらには趣味文化の低下による暇の処理不能,この三点がセットになったときに発生すると考えている。(中略)もし追求したい趣味があれば隠居のタイミングを逃さずにすむのだが,無趣味だとやることがないから仕事に逃げる。(伊藤 p236)
 そこで大事なのは,書を書くなら書くこと自体を目的にすることである。うまく書いて褒めてもらおうとか,狭い業界で評判を得たいなどと考えていると本末転倒だし,来訪客に自分の作品を無理矢理見せたりして迷惑がられるのがオチなので,せめて老年期までにはつまらん承認欲求を軽々と無視して技芸趣味に没入できる枯れた境地を目指したい。そのためには若いうちからやれることをやっておく必要がある。(伊藤 p238)
 理論をレクチャーするタイプの授業は講師によって質にバラツキのある集団講義じゃなくて動画で開いてしまえばよい。人から直接教わるのも大事なので,それは別途集中的に実習や研究を現場で行う。動画配信と合宿の組み合わせの教育を行えば,これまでの教育機関の内容を超えられる可能性は十分ある。(伊藤 p247)
 人の活力が落ちれば企業の活力も落ちる。これまで地理的な高齢化や過疎化が問題視されてきたが,今後は企業の高齢化問題が顕在化してくる。過疎化する企業が出てくるだろう。(伊藤 p254)
 世の中を見渡してみると,様々なジャンキーが存在する。延々と転職情報を集め続けて行動しない,というのは転職情報ジャンキーであるし,使わない資格を取り続けるのも資格ジャンキーである。使わないのに一気に買い物してしまうというのも消費ジャンキーだし,他人の悪口を収拾して話すのがやめられない,というのも罵詈雑言ジャンキーであろう。これらの原因は共通している。「暇」である。(伊藤 p255)
 デジタルジャンキーが生まれやすいというのは個人的にはスマートフォンなどのデバイスやツールの問題だけではなく,他に刺激的なことが無いからだと思う。多くの人にとって一見刺激的なように見えて都市の風景は視覚聴覚どちらの面でも退屈である。(中略)直線的な建物が並ぶだけなので複雑性が圧倒的に足りない。(中略)だから自然の複雑な環境からの情報を得るための感知能力を持て余してしまう。(伊藤 p256)
 空き家が急増していて,しかも人口が増えない状況を考えると,家をもっていることよりも,住むことのほうが価値を生み出すといえる段階に来ていると思う。この際,逆家賃を発生させてもよいかもしれない。つまり,住むこと自体が仕事になるような状況である。(伊藤 p262)
 社会というのはおおむね保守的なものだから,追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。(pha p274)
 その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。(中略)だから,ときどきいる場所を変えるといろんな視点を持ったり考え方を柔軟にしたりしやすくなるので良いと思う。(pha p302)

2017年9月24日日曜日

2017.09.24 帯津良一 『不良養生訓』

書名 不良養生訓
著者 帯津良一
発行所 青萌堂
発行年月日 2011.01.27
価格(税別) 1,300円

● 副題は「まじめな人ほど病気になる」。本書のキーワードは「攻めの養生」。ストイックになりすぎるな,ということだろうか。
 健康診断の数値にあまりとらわれるのはバカバカしい。玄米食,菜食,マクロビオテックなどに凝り固まるのは,よろしからず。健康に悪いとされることに過度にビクビクするな。体にいいものより美味しいと思える食事がいい。
 つまり,ぼくのようなズボラな人間には,はなはだ都合のいいことが説かれている。

● 以下にいくつか転載。
 「養生」は,体を休ませる「守りの養生」ではなく,「攻めの養生」でいくべきで,小さくまとまらず,時にははみ出したり,狼藉を働いたり,あるいは死んだふり(?)をして体をかわしたりということも大事なのです。(p3)
 健康のための健康を目指すのではなく,楽しく充実した人生を送るために健康を目指すことです。そうすることで,このタイプは身も心も活発で,心のときめきを感じ,それによって命のエネルギーを高めています。(p21)
 ウォーキングには大きく手を振る,いつもより速く歩く,といった方法がありますが,私はただ楽しく歩くをモットーにしています。長続きさせるには,それくらいの気楽さが必要で,目尻を釣り上げて「健康のために鍛えなくては」と意気込む必要はありません。(p34)
 たとえば,「早寝早起き」がすべての人にとって善ではなく,時間が許すのなら「遅寝遅起き」でも一向にかまいません。他人から,ぐうたらと見られようと,自分の信念を貫き通す覚悟が必要なのです。(p54)
 症状が重くない限り,お酒の量に一喜一憂しないほうがいい,というのが私の考えです。一生懸命に働いて,その疲れやストレスを癒してくれる代償と考えれば「γ・GTP」の値なんぞに神経質になり過ぎるのはナンセンスの極みなのです。(p61)
 がん細胞などを攻撃し,体をウイルスなどから守ってくれるリンパ球は,副交感神経を高めることによって増えるそうです。(中略)それには体を温めることが最も効果的なのです。(中略)お酒もまた血液の循環をよくさせ,体を温める効果があるのです。(p61)
 世間一般でいう「健康にこだわった食事」は往々にして“主義”になりがちで,菜食主義や玄米主義など,あらゆる主義が横行しているように見えます。(中略)食物によって得られる栄養価の吸収は人それぞれでまったく異なり,排出のされ方にも個人差があります。(p70)
 ニジマスはエサの多い川の真ん中に集まる習性があるそうです。一方,一部にはエサの少ない川の岸辺を泳ぐニジマスもいます。魚の世界にも異端児がいるのでしょう。この二つの習性を持つニジマスを比べると,川の真ん中にいるニジマスのほうが大きいと思いがちですが,そうとは限らないのです。その理由は川の真ん中は流れが速く,体力を消耗してしまうからです。ひろさんは,日本人は川の真ん中に行きたがる傾向が強い,と話していますが,それは人生観や仕事観に限らず,健康観にも通じるところがあります。(p77)
 人体のなかにも物理量の総体が連続してあるわけですから,当然そこには「場」が存在するはずです。(中略)人体は「気」を物理量とする「場」によって構成しており,そこに臓器と臓器が浮かんでいるのです。その場こそが「生命場」であり,この「場」のエネルギーと自然治癒力を高めるために「攻めの養生」が不可欠になってくるのです、(p90)
 私の周りの医者で食事の前にせっせと手洗いをする人はまずいないと思います。さらに,それが原因で何らかの病気になったという話も聞いたことがありません。(p97)
 医や食に関する“常識”は不変ではなく,研究などによって新たな“常識”が出現する可能性は非常に高いのです。それなのに,今“常識”とされている医学情報や健康知識にかんじがらめになっているのはナンセンスの極みです。(p127)
 いくら栄養価の高い食品でも,おいしいと思って食べなければ身にならないのは当然のことで,食と心は深くつながっていると考えられます。(p133)
 人間の本性はかなしみにあり,人間は明るく前向きにはできていないということをここで強調したいと思います。(中略)「明るく前向き」と思われていた人ほど,じつは精神的に弱い面があることがわかってきました。病状の悪化を告げると「明るく前向き」な人ほど落ち込みが激しいのです。(p148)
 藤原(新也)さんによれば,かなしみを抱いた人は自分の胸に聖火のような炎を抱いていて,その聖火には他人をいやす力があるというのです。(p151)
 閑職に身を委ね,汗もかかず,同僚ともたいしてコミュニケーションを取らずに5時頃退社するような人生が幸せでしょうか。このような生活を続けていたら,交感神経は働かず,副交感神経ばかりが働いて体調は次第に悪化してきます。(中略)ストレスをなくそうとしたり,解消しようと悩まず「ストレス,どんと来い」くらいの気概を持てば,うまくつき合えるのではないでしょうか。(p156)
 私の知る限り玄米食やマクロビオテックを実践している人たちは,顔が青白く,声が小さくて滅多に笑わないことが多いのです。(p160)
 いわゆる,難病の会のような組織がありますが,そのごく一部では健康食品やサプリメントを法外な値段で売っているところがあります。(p166)
 欧米と比べ,日本人に比較的多いがんの一つに肝臓がんがありますが,アルコール摂取量がはるかに少ない日本人に肝臓がんが多いのは,薬と関係しているという説があります。たしかに,胃薬,風邪薬,鎮痛剤などのコマーシャルがこれほど,テレビ,雑誌などのメディアに登場している国はめずらしく,薬好きの国民といえます。(p168)
 受診勧奨判定値は国内の各臨床学会が認定した基準にのっとっているのですが,保健指導判定値には何の科学的根拠もないといわれています。それなのに数値ばかりが一人歩きをして,検診の結果,一喜一憂する人が増えているのは合点がいきません。(p179)
 高血圧の原因には塩分の摂りすぎ,肥満,分銅不足,喫煙,ストレスなどが指摘されています。しかしこれも気にしすぎるとろくなことはありません。(中略)塩分やおいしいものをガマンすることがストレスになり,血圧を上げてしまうことが多いのです。(p188)