2017年6月1日木曜日

2017.06.01 石原壮一郎 『大人のホメ力』

書名 大人のホメ力
著者 石原壮一郎
発行所 世界文化社
発行年月日 2005.11.01
価格(税別) 1,200円

● 洒落た大人の読みもの。一休さんじゃないけれど,捻りが利いているというか。ホロッと思わせるところがあるし,時に反省のよすがになったりもする。
 が,この本を読んで反省するのはよろしくないだろう。主には,アハハ,わかる,わかる,と読み捨てればいいものだ。著者としてもそうしてもらうのが本望だろう。

● 明石家さんまのトークよろしく,その場で笑わせてあとに何も残さないというのは,かなり高度な芸だ。
 著者は頭のいい人なのだろう。それといわゆる人間通。けっこう,ストレスを溜めるタイプの人なのかもしれない。

● 「人をホメるとは,自分を慰めることでもある」(p195)というような,教訓めいたフレーズも登場する。実用書として使おうと思えば使えないこともない。
 ただし,そうした読み方はかなり野暮な読み方になるんでしょうね。

2017年5月31日水曜日

2017.05.31 伊集院 静 『無頼のススメ』

書名 無頼のススメ
著者 伊集院 静
発行所 新潮新書
発行年月日 2015.02.01
価格(税別) 700円

● 若い人に向けた人生案内。といって,年寄りが読んで悪いわけではない。
 巻頭に本書の肝が記されている。
 無頼とは読んで字のごとく,「頼るものなし」という覚悟のことです。何かの主義やイズムにせよ,他人の意見にせよ,自分の頭と身体を使って考えるのではなく,いつも何かに寄りかかって生きようとする人には,狭量さと不自由がついて回ります。(p3)
 自分はどうしようもない人間で,ひどい怠け者なんだ,と自分自身の弱さをとことん知っておくことが無頼の大前提です。(p6)
● 何を語るかではなく,誰が語っているか,どう語っているかが説得力を決める。本書は著者自身がペンをとって書いたのではなくて,たぶん口述筆記。ではあっても,著者の語りは損なわれていない。
 あらゆる分野の権威に屈しないという著者の面目は,本書でも存分に発揮されている。権威に屈しないというのは,真贋を判別する目が確かだということでもある。

● 以下に転載。
 正義について語るのは,「ありもしない話」をすることと同じだろうと思います。(p20)
 情報をかき集めるだけでは能がないし,もともとその種の「情報」というのは,流したい側と読みたい側が一致したところで得られる,全体としてみれば小さな枝葉にすぎないのです。(p26)
 ネットの中には気配がない,風が吹いていない,匂いもしない。幽霊だって気配ぐらいはあるというのに幽霊でさえない。無機質なデータと色があるばかりです。(p33)
 生涯ほとんど本を読まなくても,まっとうな仕事をして,素晴らしい人生を送るという人はいくらでもいる。(p35)
 「世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ」 それが私の理論で,昔も今も世の中では悪党のところに金は行く。(p40)
 戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったら,たかが黄色人種一人が死のうが生きようが,この世界にとっては何でもないんだな,と身にしみてわかるにちがいありません。それこそが「世界」を知るということで,どれだけネットで情報を集めても,決して世界のありようなど分からないのだと私は思います。(p44)
 辛酸と苦節続きでどうしようもなく苦しくて,とてもそうは(苦労は買ってでもしろ,とは)思えないときこそ,本当の「個」をつくるために必要な時期で実は恵まれているのだ。そう考えてもらいたいのです。(p49)
 いじめの根そのものを誰もが持っている以上,世の中に出てもなくなりはしない。だから,要は怒れるかどうか。怒れれば,乗り切れるはずです。(p55)
 人前での土下座,まして号泣するなんて話にもならない。言い換えれば,「目立つことはするな」ということです。自分は輪の中心にはいたくない,という発想ができるようになったら「個」として生きていける。(p65)
 平和主義がよくて軍国主義はダメだとか,そういう議論がしたいのではなく,自分の家族や仲間が蔑まれたり,殺されたりするなら,まず「怒る」ということが大前提だと言いたいのです。戦争は,泣き寝入りしていればいずれ嵐は過ぎ去る,という考え方では解決できるものではない。(p81)
 他人に自慢話をしたがる人は驕り者と考えた方がいいし,自慢話のほとんどは自分に都合のいいそらごとです。いくらか事実が含まれていたとしても,自慢したところで何の役にも立たない。単にその人が,他人の評価を気にしすぎているという証拠にすぎないのです。(p88)
 「セックスとは,果てるたびに小さな死と出会うこと」 ジョルジュ=バタイユのこの言葉は,それだけで人類史に残るものではないかな。(p94)
 人間というのは何をするか分からない生き物なんだ,ということを忘れてはならない。「えっ? なんでこんなことするの?」という場面に置かれたり,「こんなのアリ?」という状況に置かれたときに,「いや,人間なんだから,これぐらいやるだろうよ」と思えるかどうか。それは,世の中を生きていく上でとても重要なことです。(p106)
 私に言わせれば,そもそも人間というのは,自分の中にどうしようもない連中が何人も集まってできているようなもの。(中略)個人だといっても実は個ではない。いいものも悪いものもたくさん抱えながら,何とかかんとか生きていく。(p119)
 最近は大学入試を面接で決めるという話も聞きますが,(中略)たかだか十分程度の面接をする教師の器でしか生徒をはかれない。タカが知れている器で比較するための,別の条件をつくりだすだけではないのか。(p121)
 私は作詞の仕事でジャニーズ事務所に縁があって,あるとき事務所の車に乗せてもらったところ,運転手さんがいいました。「最近,立て続けに三回も追突されたもので,近いうちに川崎大師に厄落としに行こうと思ってるんですよ」 (すると)隣にいたメリー喜多川さんが身を乗りだしてこう言ったのです。「あなた,それは見当違いよ。今,向こうから運がパッと来てる。そう考えなさい」 なるほど,こういう考え方をするから巨万の富を得たんだろうな,と分かる気がしました。確かにメリーさんは,運がないというのか,何かを「持っていない」人を近寄らせないようなところがある。(p136)
 メリー喜多川さんは八割の悪党の中には入らないようだね。
 世間では,小説は才能が生み出すものと考える人は多いようです。けれど,わが身になぞらえて言うなら,ほとんどは気力と体力で,かつて吉行淳之介さんに言われたように,そこに宿る何ものかにすがって最後の一行まで書き上げることを繰り返してきたにすぎません。(p146)
 世間からエリートと呼ばれているような人には,自分はもともと「持っている」という大きな錯覚があって,東大なんか出ていると,社会に出ても自分は他人より優れているんだ,と頭から信じて疑わないところがあります。裏を返せば,どこまで行っても他人の評価が基準になっていて,自分の基準で「個」として考えることができない。(p151)
 「差し伸べている手の上にしかブドウは落ちてこない」ということです。(中略)無心で何かを見つけようとしている目,手を差し伸べて何かをつかもうとする姿勢が常になければ運は向いてこないのです。(p155)
 運や流れを引き寄せるのに必要な心構えを挙げてみよう。 うつむかない。 後退しない。前のほうへ行く。 それからウロウロする。(中略) そしてなるべく人のいるところへ行く。(p155)
 才能があり,素晴らしい作品をいくつもこしらえているのに,時代に合わず埋もれていった人はいくらでもいる。彼らには運がなかったのだ。そして歴史に名を残した芸術家は,みな時代とめぐりあっているのです。映画の世界でも,チャップリンがヒトラーと同時代を生きていなかったら,あれほどの名優として活躍していただろうか。(p161)
 いくら時代にマッチしたとしても,その作品に「核」となる何かがなければたちまち忘れ去られ,後世に残ることはありません。(中略)先が見えた「上手」より,先の見えない「下手」のほうがスケールが大きい(p162)
 スイスやオランダのように陸続きで国境があって,長いこと戦争や覇権主義にさらされてきた国のチームというのはどこもしぶとく,なかなか負けない。(中略)それに比べると残念ながら,日本の選手たちは弱々しく見えてしまった。(中略)私が感じたのは,顔つきが象徴する「球際」につきる,ということです。ここで取れるか取れないか。どちらがやるかやられるか。そういう場面で相手チームの選手とは顔つきが違う。すると一歩競り負ける。違いを突き詰めていくと,根源的な闘争心の有無かな,と思います。(p166)
 そうした偉大な科学的真実というのも,実はたったひと握りの天才のためにあるのではないか,ということです。(中略)何百年かに一度現れる人間とは思えないような天才がいて,世の中をパッと変えてしまう。(中略)中には何十年もかかって勉強と研究と発見を重ねる人もいるけれど,彼らには宇宙の成り立ちのような大きな発見は最終的にはできない。大発見の前段階までの基礎工事をする人たちです。(p171)
 技術とは,人間が信じるほどのものではなくて,実は曖昧で無責任なものではないか。(p174)
 年がら年中,飛行機に乗っていてつくづく感じたのは,「人間というのはカニみたいなもんだな」ということでした。陸地にへばりついてあっちに行ったりこっちに行ったり,時々,縄張りを争って戦争する。(中略)空の上からみた個人なんて,画面の中の砂粒みたいなもので,財産がいくらあるとか,名家の血筋だとか,非の打ちどころのないキャリアだとか言ってみても,人類全体として考えたら,どうでもいい,取るに足らないような差でしかありません。(p175)
 胃がんは,わりあい神経質で嘆き体質の人がなりやすいという。手術して切りとっても,「再発するんじゃないですか?」と医者に聞き続けるような患者ほど再発するという。わかる気がします。(p184)
 牧師さんや坊さんと話をするのも好きだし,ああ話をできてよかったなと思うことだってある。でもそれは案外少ないようです。何だか詐欺師みたいだと思うことも多い。前に,千日回峰行を成し遂げて大阿闍梨になられた方に会ったことがありますが,悟りを得た上人様というより,どこか常人にはないエネルギーを感じたものです。(中略)どこかアブナイ(p189)

2017年5月29日月曜日

2017.06.29 吉田友和 『思い立ったが絶景』

書名 思い立ったが絶景
著者 吉田友和
発行所 朝日新書
発行年月日 2016.03.30
価格(税別) 880円

● 絶景本を集めて人気スポットの集計表を作り,自身の体験からこれは絶景だと思ったものにランキングを付けて紹介し,最後は実際の絶景を見に行く。
 行ったのは中国の九寨溝。で,やはり実際に行って書いた部分が一番面白い。

● 平明な文章だからササッと読める。書く方はササッとは書いていないんだろうけどね。

● 以下にいくつか転載。
 バーベキューの火起こしをするのに,アメリカ人は着火剤のようなセコイものは使わない。ドバドバとオイルをかけて点火すると,漫画のようにボワッと大きな火が生まれた。アメリカ人のあの大胆さは,超絶スケールの自然に囲まれる中で育まれたものなのだろうと,僕は身をもって知らしめられたのだった。(p55)
 辺境の地になればなるほど,交通手段のオンリーワン現象が起きやすくなる。(中略)需要が供給を上回っており,なかなか思うように座席が取れない。結果,料金も高くなってしまう。(p130)
 僕にとって機内での時間は,漫画喫茶にいるような感覚に近い。本を読んだり,映画を観たり,ゲームをしたり。思う存分,自分の趣味の世界に浸れる。(p153)
 今回は行き先が行き先であるだけにある程度はネットで情報を集めてある。ガイドブックは情報ツールというよりは,旅気分を盛り上げる読み物としての役割が大きい。(p153)
 僕は意を決して人波の中に突入した。周囲の動きに倣い,近くに空きスペースができたら果敢に詰めていく。郷に入っては郷に従え,である。横入りなんて当たり前という価値観の人たちなのだ。のほほんと構えていたら,永遠に自分の番はやってこないだろう。(p161)
 冒険者と呼ばれるような人たちは,電気が通っておらず,水道もないような場所へ,ときには単独で足を踏み入れる。そういう話を聞くたびに,すごいなあと感心させられる。けれど,感心させられるだけだ。自分も真似してみたいとはまったく思わない。(p179)
 絶景とはパノラマである(中略)仮に同じレベルの美しさだとしても,こぢんまりとまとまった景色よりも,ガツンとした迫力のある景色の方が見る者の心に強く訴えかける。(p186)
 すさまじいまでの絶景を前にすると,一人で独占したい欲よりも,一緒に見る仲間を欲する気持ちが勝る(p188)
 アジアの旅はなんとかなる。多少の紆余曲折があったとしても,どういうわけか最終的には結果オーライとなるパターンが多いのだ。(p192)
 絶景とは,テーマパークの一種と言えるのかもしれない。(中略)世界に広く知られ,観光地化されているようなところでは,これはもはや避けられない運命なのだろう。(p206)
 被写体は美麗な九寨溝の湖-ではなく,それをバックに笑顔でポーズを決める自分自身だ。(中略)彼らのお目当ては,あくまでも自分入りの記念写真なのである。この点,我々とは意識がいささか異なるような気がしてならない。(中略)同じ絶景を前にしたときに,中国人にとっては主役は自分自身であるのに対し,日本人にとってはその絶景が主役なのだ。(p218)
 そもそも,(中国人は)他人に対する関心がなさそうな人たちだし。(p222)

2017年5月28日日曜日

2017.05.28 堀江貴文 『儲け方入門』

書名 儲け方入門
著者 堀江貴文
発行所 PHP
発行年月日 2005.03.25
価格(税別) 1,200円

● だいぶ前に出た本。このとき堀江さんは33歳か。もちろん,ライブドアの社長を務めていた頃。当時,彼は時の人で,毀誉褒貶相半ばしていたか(マスコミ報道に限れば,毀>誉,褒<貶,だったろう)。
 その後,裁判で有罪になり,投獄生活を味わうことになるのだが,それで自らの主張を変えることはなく,出所後は以前にも増して世の中に受け入れられている。

● 最近ではますます執筆活動(?)が盛んだけど,堀江さんの考えは基本的にブレていないとすれば,本書のような昔の本を読んでおけばいいのではないかと思ったり。

● 以下に転載。
 本というのは情報ソースとして効率が悪い。同じ紙メディアでも新聞や雑誌と比べると,圧縮率が低すぎるのだ。自分で文章を書くとよくわかるが,多くの枚数を要求されると,どうしても升目を埋めるために余計なことまで書いてしまう。(p1)
 稼げるビジネスマンはいつだって,時間の密度を極限まで高めようとしている。そうしないと世の中を流通している,膨大な情報を処理しきれないからだ。一方,時間の密度が薄い人は,明らかに情報量で差がつくから,これからどんどん置き去りにされるだろう。(p2)
 大学なんて時間の無駄ですよ。(中略)のんびり四年も大学なんか行っていたらものすごく損しますよ。僕も中退ですけど,もっと早く辞めておくべきだったと,いまもそれだけは後悔しています。(p12)
 学校では「読み・書き・そろばん」程度の基礎的なことだけおしえてくれればいいのに,なにか余計なことをやりすぎているような気がします。(p14)
 小学生のうちから論理的思考を養うべきだなんて意見には,ひとこと「アホ」って言えばいいんですよ。(中略)論理的思考ができる人なんて,実社会でもほとんどいませんよ。でもみんなそれなりに生きているじゃないですか。(p15)
 「いや,そうじゃなくて,雑巾がけは心を磨くんだ」なんてことを言う人もいますよね。はっきり言ってくだらないですよ。(中略)だいたい下積みの苦労が人間を鍛えるなんて,あんなの嘘に決まっています。(p16)
 僕も支払を踏み倒されたことがあります。そのときは頭にきましたよ,だけどいまはもう,怒りの感情ないですもん。人間は忘れる能力があるから素晴らしいんですよ。(p18)
 飛行機や船を選ぶとき,どれが危険かなんて情報はまず出てきません。ところが車なら,自分が運転を気をつければある程度事故は防げる。つまりリスクコントロールできるんです。僕は大きくても人の運転する乗り物より,自分の車のほうが安心できると思いますけどね。(p19)
 いまくらいですよ,乗り越える壁すら存在しないなんていう楽な時代は。行動を起こすのにたいした勇気もいらないし,チャンスはごろごろ転がっている。(p20)
 カネを稼ぐなんて自転車と同じで,やってみればたいしたことはないんです。壁を壊せばそこはフロンティアだらけなんだけどな。(p21)
 僕は昔から,半年以上先のことは考えたことありません。「ものごとは常ならず」って言葉,あるでしょ。明日なにが起こるかすら人間にはわからないのに,それより先のことを考えたってしょうがないじゃないですか。(p22)
 僕にとって大事なのは,日々楽しく生きることです。予定を立ててそのとおりになっても,きっと楽しくないと思いますよ。あしたのジョーみたいに,「明日のために」今日を犠牲にする生き方なんて,僕には考えられないですね。(p22)
 自分で起業すれば,普通は儲かるはずなんです。それなのにうまくいかないというのは,まず間違いなく基本的な原則を無視して商売を始めているからに違いありません。それでは原則とはなにか。元手がかからず利益率がたかい,これだけです。(p24)
 わざわざ外国に行ってMBAなんか取るより,マッサージ師の免許を取ったほうが,簡単に儲けられると思いますよ。(p25)
 嫌われていたと思いますよ,友だちからも,先生からも。でも世間の常識というひとつの価値観に染められるくらいなら,嫌われてもいいやって,小学生のことからほとんど開き直っていました。「正しいのは僕のほうだ」って。実際僕のほうでしたけどね。(p28)
 よく「すごい大発明だと思っても,世の中で三人は同じことを思いついている」という言い方をしますが,実際は三人どころじゃなくて,何百人,何千人も同じことを考えているんです。あなたのアイデアなんてそんなものだと思ってまず間違いないでしょう。(p32)
 アイデアだけでは付加価値にはなりません。それではこの時代に付加価値を生み出すものはなにかといえば,それは情報と時間のアビトラージ(サヤ取り)です。ほかの人よりも情報量が多く情報処理の速度が速いほとお金が儲かる,それがいまという時代なのです。(p33)
 アイデアだって,その源泉は情報じゃないですか。つまり情報をたくさん持っていれば,アイデアなんてそれこそ山のように浮かぶわけで,なにも思いつかないというのは,手持ちの情報量が少ないからなんです。(p33)
 情報をストックして整理や分類することはまったく意味がないので,そんなことは即刻やめたほうがいいでしょう。(中略)そんなのんびりしたことをしているようでは,とてもじゃないですが現在世の中を流れる情報量についていけません。いまや情報は取り込んだらその場で即処理するものなのです。(p34)
 どういう言い方をしても,結局辞めるまでの期間が変わるだけで,辞めたい人は辞めるんです。しかも辞める時期が一,二年伸びたところでその間のパフォーマンスは確実に下がる。ということは無理に引き止めてもしかたがない。(p36)
 だいたい会社ってネズミ講でしょ。下部組織は必死で働いて,いい思いができるのはピラミッドの頂点に近い人たちだけ。しかもそこまで行けるのはほんのひとにぎりしかいないし。(p38)
 結局「庭付き一戸建て」とか「一国一城の主」のようなマーケティングの言葉に,みんな騙されてきたんですよ。もっともそういう言葉をつくって,こういうシステムをプロデュースした人はすごいと思いますけどね。(p39)
 採用に関して本音を言えば,向こうから「入れてください」と来る人間には,あまり期待はしていません。優秀な人が来たらラッキーかなって感じです。(p41)
 面倒くさいことはやめたほうがいいですよ。よけいなことばかりやっているから,時間がなくなるんです。サラリーマンってなぜかみなさん忙しいって言いますよね。たいして稼いでもいないくせに。(p44)
 最大の無駄は年寄りの説教ですね。僕は旧世代の人と話をして役に立ったことはひとつもありません。あの人たちは長く生きているだけで,たいして情報持っていないんですよ。(p45)
 人脈というのは力ずくでつくるものではなくて,やっぱり流れのなかで自然にできあがっていくものなのではないでしょうか。それにそういうものでなければ,本当に自分の役には立たないような気がします。(p48)
 いい人脈というのは,人の流れのことなんです。いい人の周りにはやっぱりいい人が,自然と集まってくる。(中略)逆にあまり好ましくない人のルートに入ってしまうと,その種の人たちがワッと寄ってきますから,それは気をつけたほうがいいですよ。(p49)
 よく給料の三分の一は貯金しろなんてことを言う人がいますけど,たいして給料をもらっていないのに,そんなセコセコしたことをやってもしょうがないですよ。僕自身がそうでしたから。とにかくあるだけ使う。(中略)本当に食べたいものがあったら,お金を借りででも食べるくらいでなきゃ,人生を楽しめないじゃないですか。(p52)
 入ってきたお金は,投資でも消費でもいいから,とにかく自分のところで止めず循環させてやる。お金というのは使った分だけ,ちゃんと戻ってくるようにできているんです。(p54)
 現在日本でいちばんお金を持っているシニア世代は,若いころにお金を使う訓練をしてこなかったから,思い切った消費もできなければ,投資感覚もありません。そういう人たちにお金を握らしておいても,はっきり言ってあまり意味がないのです。(p56)
 「ここは年寄りにもいい顔をしておこう」などとよけいなことを考え始めると,ものごとは複雑になるだけで少しもいいことはありません。(p59)
 これ以上ボトムアップしようと,能力の低い人にさらに一生懸命投資をしても,効率が悪いだけです。じゃぁどうすればいいかといえば,義務教育では必要最低限のことだけ教えて,あとは有能な人に集中的に投資する,そういうことが可能なように教育制度を変えていくことです。(p74)
 だってできる奴とそうじゃない人って,平気で千倍くらい生産性で差がつくんですよ。(p75)
 できる人間に資本を集中的に投資すると言うと,すぐそれを社会や経済の二極化に結び付けて,ヒステリックに反論する人が必ずいます。いいじゃないですか,二極化で。それは止めようと思っても止められない。歴史の必然だと僕は思っています。むしろ妙な悪平等意識が社会の隅々にまで浸透して,子どもたちまでみんなと同じでなければいけないという圧力にさらされている。そのほうがよっぽど問題ですよ。(p78)
 吉本興業がつくっている吉本総合芸能学院(NSC)という学校があって,「見る人だけじゃなく演じるほうからもお金を取る」という画期的なビジネスモデルになっています。(p89)
 (お金の)使い方を間違えている人って,けっこういると思いますよ。お金が足りないと言いながら,無駄遣いを平気でしていたりね。(p94)
 僕のようにお金を稼いで,それを事業に再投資してというようなことに興味のない人が,何十億,何百億と資産を持っても,意味なんかないんですよ。ブランド物のバッグを買うとか,たまに家族で食事をするとか,そういうもので満足感を得られるのなら,それが可能なだけのお金があればいいわけでしょ。(p95)
 企業の経営だったら,無駄は極力省いていかなければなりませんが,普段暮らしていてなにが無駄かなんて,そう簡単にはわかりませんよ。(中略)目くじら立てて世の中から無駄を排除しようなどど考えないほうがいいと僕は思います。(p101)
 食事というのはからだの健康だけではなく,その人の心のあり方にも深く結びついているんです。食生活が貧しいと,心にまで栄養が行き渡らないから,そういう人は話の中身まで痩せている感じがするし,逆に食生活が充実している人と一緒にいると,こっちまでとても豊かな気分になれる。そういう経験ってありませんか。みなさん,もっと「食」にお金をかけてください。みんなエンゲル係数が低すぎるからしあわせになれないんですよ。(p103)
 わけのわからないものでも,なにかひとつ決めゼリフがあれば,そこで収拾がつくもんなんですよ。(水道橋博士 p118)
 中谷彰宏さんはいいですよ。いや,ビジネスモデルとしてですけど。つまり固定ファンをつくるというやり方。出せば必ず買う人がいる。そういう層をつくっておくことは大事です。そうすれば,あとは新しく起こったことを解説するだけで本が出せるわけで,新しいことは,どんどん起こるんですからね。(p136)
 タレントの資質としては反省はしないほうがテレビはいいんですよ。(水道橋博士 p142)
 渡邉恒雄元オーナーみたいな人は,いじりようがないんです。もう悪者にするしかないわけ。(水道橋博士 p146)
 さとう珠緒と一緒にベッドに入ってくれなんて言われても,普通みんな嫌がるんですよ。一般人ってテレが強いからね。でも堀江社長は珠緒ちゃんとベッドで「なかなかいい気持ちです」なんてやってくれる。あれを見て俺,マジで感心しましたもん。(水道橋博士 p147)
 お笑いというのは差別というか,差異があって初めて成立するってところがありますから(水道橋博士 p152)

2017年5月27日土曜日

2017.05.27 外山滋比古 『新聞大学』

書名 新聞大学
著者 外山滋比古
発行所 扶桑社
発行年月日 2016.11.01
価格(税別) 1,000円

● 自己学習や頭の体操をするための素材として,新聞は恰好のもの。その具体的な活用法を説く。
 しかし,それだけではなく,新聞批判や教育論にも及ぶ。

● かつては新聞を取ってないと奇異の目で見られたものだ。おたく,そこまで貧乏してるの,みたいな。新聞は取るのがあたりまえでしたね。
 今は,新聞を取らない家庭が増えているのではないだろうか。ニュースはネットで知ることができるせいでもあるだろうけど,そもそもニュースって知らなくても別に困らないんだよね。

● 新聞を取らなくなって,一番助かるのは,古紙が大幅に減ったことだ。古紙回収は月に1回だから,ひと月分の新聞を家の中に置いておかないといけない。実際にはそこに折り込みチラシが加わる。ひと月分だとけっこうな量になる。
 それをビニール紐で結わえて,ゴミステーションに持って行く手間がなくなった。これは大きいですよ。

● 新聞に載ってるのはニュースだけではない。書評や人生相談や読者投稿や識者の随筆や,その時々のトピックの特集記事もある。
 が,それらを含めて,知らないからといって,何か困るかといえば,さぁて,さほどには困らないのではないか。

● というような者が本書のような本を読むのもおかしなものだけど,外山さんが新聞について何を語っているのか,そこを知りたいと思った。

● 以下にいくつか転載。
 “自ら助くる”というのはヘルプ・ゼンセルブズ(help themselves)の訳であるが,“助ける”という日本語にしてしまうと,この言葉の趣旨が大きく失われる。“ヘルプ・ゼンセルブズ”は“自らを助ける”という意味ではなく,自分のことは自分でする,人の世話にならない,という意味である。(p2)
 われわれの社会では,いまだに知的散文は確立していない。そのことをはっきり認める知識人も少ないから,言論がおしなべて,情緒的に流れやすい。ウェットな文章が喜ばれ,ドライな文章には人気がない。(p60)
 もっともいけないのが,単行本である。薄くても二百ページを割ることは少ない。小さなテーマで,十万字の論文,原稿を書ける人は,そんなに,いるわけがない。どうしてもおもしろくない長文を読まされることになる。(p65)
 ことばは声が基本である。文字はそれを写した記号であって,声を失っている。文字だけを読んでいると,どこかおかしくなるおそれがあるが,いまの人たちは,そのことを考えない。そして文章のほうが話より高級であると決めこんでいるようであるが,近代の誤解のひとつである。(p68)
 署名のあるなしなど,ノンキな人は問題にしないようだが,大違いである。匿名のほうがいい書評ができる。身分を明かした原稿には,いろいろのシガラミがまつわりやすい。(p78)
 日本人は金銭への関心が高い。小金を貯めるのを生き甲斐にする人が多い。その割には,経済ということに関心が低いのである。(p84)
 日本人の経済的関心はゴシップの色彩が濃い。本当のところを突き留めるのではなくて人事に関心を持つ。企業の社長交代がいいニュースになる。(p87)
 外国から日本人は働きすぎると批判され,企業などが週休二日制を始めた。あれほど楽しみであった休みが,それを境に輝きを失いはじめる。(p98)
 その森(銑三)さんが,かつて,こっそり私に教えてくれたことがある。読んでおもしろいと思う新聞記事があったら,切り抜く。切り抜けないものなら,書写する。それを分類して袋に入れておく。だんだん,袋がふくれていく。ある程度,ふくらんだら,袋から取り出して整理する。うまく整理がついたら,それをもとにして,本を書く。そうすると,しっかり本が書ける,と森さんは教えてくれた。(p109)
 古き良き時代の話だろうね。今でも新聞の切り抜きだけで本を書く(書ける)人はいるんだろうか。
 人間にとって,おもしろいのは,動くものである。ニュースは一回きりだから,動きを感じさせない。株価は,毎日,動いているから,ニュースとしても,犯罪などと違って,知的興味を与えることができる。(p117)
 昔から,月曜日はいやな日である。学校へ行きたくない。しかし,火・水・木・金と学校へ行っていると,それなりの調子,リズムができ,それほど,いやでなくなるようである。調子の出たところで,週末,二日もぶっつづけて休めば調子の狂わないほうがおかしい。(p143)
 どうやら,教育はノロマを育てるらしい。俊敏でないのが多いのである。高等教育が普及して,ノロマ人間が増えたのではないかと思われる。(p151)
 モノマネするには,余計なことを考えたりしてはいけない。本に書いてあることを鵜呑みにして知識を増やせば進歩しているように錯覚した。幼い学習者がそう考えたのではなく,指導的な人たちが,知識は力なりという考えに支配された。(p159)
 文化における西高東低の傾向は,いまなお完全に消えてはいないようである。政治と文化の相性はあまりよくないのだろうか。少なくとも,歴史がないと,文化と相性は生じないことを暗示している。(p169)
 普通の大学は,専門によって小さく分かれている。(中略)日本史の学生でも西洋史の教養をもつことは例外的である。大学という文字が泣くようなのが一般大学である。 新聞大学は違う。政治も経済も,文化も社会もみな目が届く。八宗兼学である。(p175)
 学校教育の泣きどころは,知識が古いことである。教室で教える知識は常識的なものである。昔からのことをこと新しく伝える。(p176)
 講演会の記事には,たいてい“聴衆はせっせとメモを取っていた”などという文句があった。メモを取りながら講演を聴くのは熱心な聴き手であるという誤った観念にとらわれているわけで,すこし恥ずかしいことである。(p182)
 本は,読者の求めるものを与えなかった。古くさい知識をわけもなくありがたがって,博学多識を学問と取り違えている本があまりにも多い。若い燃えるような志をもった読者は,やがて,本から距離を置くようになった。書物文化は,それほど大したものではないと感じた読者はただの怠けものではなかった。(p183)
 小中高の教育がまがりなりにもうまく行っているのは,しっかりした,時間割に基づいて行われているからである。(中略)どういうわけか,大人は,宵っぱりの朝寝坊が好きである。ことに,早起きが苦手,朝食をそこそこにして出勤する。(中略)近代の泣きどころである。(p186)
 同世代人口の九十パーセント超が大学生になった。一般はそれを社会の進歩として歓迎した。学校教育は過ぎると人間を劣化させることがある,ということに気づく人は少なくて,高学歴化を喜んだ。(p201)
 日本だけのことではないが,近代文化の泣きどころは,知るを知って,考えることを知らないことである。いくらたくさん本を読んでも,博学多識にはなっても,みずから考える力はまるでない,ということが主知主義の泣きどころである。(p212)
 学校教育が努力の割りに成果が乏しいのは疑問を起こさせないからである。ことに日本の教育は丸呑み,丸暗記で,問題に答えることしか考えない。(p212)
 いまの人は,昔もそうだったが,読むということを誤解している。つまらぬことは読める。よく知っていることを書いた文章ならわかる。しかし,少し難しい内容の文章はわからない。おもしろくない,と言って放り出す。本当に,ものが読めていないのである。(p216)

2017.05.27 森 博嗣 『夢の叶え方を知っていますか?』

書名 夢の叶え方を知っていますか?
著者 森 博嗣
発行所 朝日新書
発行年月日 2017.01.30
価格(税別) 760円

● 夢の叶え方というよりは,目標管理の方法論といった方が,本書の内容を表す標題になるかもしれない。
 強く念じよ,すべは叶う,という内容ではもちろんない。夢が実現したシーンをありありと細部にわたるまで,できれば色つきでイメージできれば,それが潜在意識に到達するから,あとは潜在意識に任せておけばいい,と説くものではない。

● 本書で著者が口を酸っぱくして説くのは,自分の夢を見ろ,ということ。他人に見せるための夢ではなく。
 人に認められたいとか,周囲の評価を得たいという,そのための夢になりがちだということ。そんなものは無価値ではないか,と。

● 以下に,多すぎるかもしれない転載。
 特に助手の頃は,研究が面白いため没頭してしまう。趣味が不要なのだ。ここは,危ないといえば危ない。ついついのめり込んで,躰を壊す人間が周囲の同僚にも多かった。(p7)
 僕は大勢の人たちと一緒に遊びたいのではない。一人で遊びたいのだ。クラブに入るという選択はありえない。(p9)
 大事なことは二つある。(中略)一つは,自分の夢を知っていること。自分が何をしたいのか,明確なビジョンを持っていることである。(中略)そして,二つめには,それをなるべく早く実行することである。この実行が伴わないと,夢を思い描くことがライフワークになってしまう。(p16)
 「特になりたいものはない」「べつに決めていない」「そのときになってみなければわからない」という答は,どこか投げやりで,そんな台詞を吐く冷めた若者は,きっと社会から歓迎されない。年寄り受けしないからである。(p33)
 僕は「有名」になりたくない。有名が嫌いだ。人に注目されることを生理的に嫌っている。したがって,有名なものに価値を見出さない。必然的に,大勢が認めるものに,僕は見向きもしない。価値の判断に,不特定多数の意見をほとんど取り入れない。(p34)
 僕が言いたいのは,その「職業」に執着していない,という意味である。研究者の活動は面白い。作家も創作する時間はわりと楽しい。それは,職業でなくてもできるし,続けることが可能なのだ。ようするに,それで人に認められなくても良い,と僕は考えているのである。(p35)
 老人というのは,若者に「回り道」をさせたがる傾向にある。安易に目的を実現するのではなく,充分に修行して,時を待て,という教えだ。(p36)
 自分の夢の中に他者が介入している場合が多いことが理解できるだろう。(中略)他者に認められて初めて実現する夢を思い描く人が実に多い。(中略)つまり,自分の夢なのに実は他者との関係が入り込み,むしろそちらが主になっているのだ。(p41)
 おそらくは,子供の頃から,大人たちに「凄いね」「楽しいね」という満足を「もらって」成長してきたのだろう。満足を自分から発することができない。自分で満足するなんて,「自己満足」という醜いものなのだ,と信じているのである。(p44)
 「大自然の中で子供を自由に育てたい」という夢は,子供にとってはいい迷惑かもしれない。ペットではないのだ。小さいうちはまだ良いとしても,少し成長すれば,都会に憧れるだろう。あなたの夢が若者を縛ることになる。その想像をしているだろうか?(p50)
 「家族の理解」という言葉を使っているだけで既に道を誤っているようにも観測できる。何故,あなたの夢に家族の理解が必要なのか,と問いたくなる。(p51)
 もし,身近な大人が楽しさを作ることができる人だったら,子供はそれを見て,自分にもそれができる,いつかできるようになりたい,と考えるだろう。ところが,大人はただ働いて,その金で子供に楽しさを買い与えているだけなのだ。そのことが子供にもよくわかる。このような環境で育てば,自分も金を稼ぎ,その金で楽しさを買おうとする。(p54)
 どんな楽しいことでも,熱中したあとには厭きてしまうものだ,と思っている人は多いと思う。しかし,厭きる原因は,本当の楽しさではなかったから,ということに気づいているだろうか? 厭きてしまうということ自体が,まだ楽しさの本質を知らない証拠なのである。(中略)それを本当に楽しんでいる人は,けっして厭きることがない。楽しめば楽しむほど,もっと楽しいことが現れる。毎日が発見の連続で,つぎからつぎへと新しい楽しさが生まれてくるのだ(p55)
 他者(外部)から与えられる快楽というのは,慢性化していく。「厭きる」というのは,つまり慢性化のことなのである。(p57)
 最近は,「感動をもらう」「元気をもらった」などと言う人が増えた。明かな危険信号といえる。(p59)
 楽しさの本質は,個人の中から生まれる発想にある。自分が思いつき,自分で育て上げた結果初めて得られるものだ。(p59)
 大事なことは,「元気」「やる気」のような気持ちではない。この本を読んで,森博嗣の言葉に反応して出たやる気なんて大したものではない。その元気ややる気が今日一日で何を成したのか,ということが重要なのだ。元気もやる気もなくても何を成せるか,を考えた方がずっと良い。(p68)
 僕の印象として,想像力がなく,自分の楽しみを持っていない人ほど,夢として「旅行」を選びがちかな,と観察されるのだが,気のせいだろうか。(p84)
 その「諦め」の回答をした人も,まだ四十代か五十代が多い。僕は六十代でも,そんな境地に達するのにまだ早いのではないかと感じる。(中略)まだまだ一花も二花も咲かせられるのではないだろうか。(p97)
 多くの人が見ている夢は,ある一時のシーンを想定しているものが非常に多い,ということ。たとえば,「結婚」などが好例だ。これを夢見ている人は,結婚式や新婚生活が見えているだけか,せいぜい結婚後数年間の想像しかしていない。(p97)
 たとえば,「楽しいことをしたい」という「夢」があったとしよう。茫洋としていると感じられるだろう。まさに夢のようだ。しかし,まずはこのような「本質」をしっかりと掴むこと,意識することは馬鹿にならない。むしろ具体的なものを思い描くよりも大切なのではないか,と僕は感じている。(p102)
 拘るのは素晴らしいことだと思っている人が多いだろう。けれど,この言葉はそもそもその意味ではない。つまらないことに執着してしまい,大きな目標を見逃す,という意味に使う表現なのだ。(p103)
 何故か,「目標は高い方が良い」などと教える指導者も多い。僕はそうは思わない。目標なんて,「実現できてなんぼのもん」なのである。たとえ,高い目標を掲げたとしても,そこへ向かう道筋の一段一段は低く設定しておこう。(p105)
 人間は,古来自分の躰よりもずっと大きなものを作った。時間をかけて,想像を絶するような規模のものを構築し,後世に伝えてきた。(中略)また,工芸や美術の分野でも,技を極め,数々の手法を試し,またそれらを受け継いで,より高いものを目指してきた。そういったものを見て,これは特別な人たちだ,と思うか,それとも,自分もやってみたい,と思うか,そこに「夢の強さ」の差が生じるのではないだろうか。(p119)
 人間はつまり,夢を見るように作られている。進化論に従えば,夢を見て,それを実現するkとに楽しみを見出した種族が生き残ったのだ。(p126)
 いつか出口がある,と思って進めば,トンネルだって面白いものだ。子供はトンネルが好きだ。出口があることを知っているから,楽しめる。(p132)
 「自由」とは,自分が思ったとおりに行動することである。これは,「自在」とも表現される。ごろごろと寝転がってばかりで,怠けている状態は,「自由」ではない。(p137)
 スピードが半分ならば,倍の時間をかければ良いだけのことだ。この程度のことをハンディだと思ってはいけない。(p146)
 毎日駒を進めるために,僕が採用している一つの手法は,キリが悪いところで終わる,というものである。(中略)これは,翌日の自分のために,手掛かりを残しておくというのか,アイデアを譲るというのか,そんなサービスだといえる。(p150)
 日頃から,こつこつとコンスタントに進めることが,夢への道の歩き方だ。休み休みでも良い。メリハリをつけず,調子が良いときも,調子が悪いときも,同じように進めるのが,結局は合理的である。自分をできるかぎり忙しくしない,ということ。(p155)
 小説を書きたいと考えているような人は,もう小説をたくさん読んでいるはずだから,小説がどんなものかは知っている。それさえ知っていれば,ほかに知識は必要ない。とにかく書き始める。(中略)作品を仕上げてみて初めてわかることもある。とにかく,一作を最後まで書いてみること,これが小説を書くことに最も重要な経験となる。(p157)
 ちょっと書いたところで,自分の作品を読み直す人が多いようだが,これもおすすめしない。直したければ,全部書き上げてからの方が良い。それから,その書き始めたものをネットなどで公開しないこと。他者に見せるのは,まったく感心しない。必ず完成したものを発表すること。作品というのは,完成して初めて一作になるのである。(p159)
 僕は,とにかく悲観的に予定を立てることにしている。最低限これくらいはできるだろう,という数字を(パソコン上の)カレンダーに書き込む。(中略)自分に対してけっして楽観しない,というのは基本的な姿勢だ。(160)
 一つのことが続けられない。もっと面白いものがあれば,そちらを優先してしまう。いわゆる「浮気性」というやつである。これを克服するために,僕が採用した手法は,複数のことを同時に進める,というものである。(中略)別の作業をしている間,まえの作業のことは頭から消えている。考えたりしない。しかし,ぐるりと巡って,また小説の執筆に戻ると,すぐに頭が切り替わって,いきなり書き始めることができる。リフレッシュしているというか,この方が高効率なのである。(p162)
 道具も大事である。できるかぎり良い道具を使うことに心掛ける。安物を買わない。その方が長持ちするし,なによりも,それを使う自分の士気が高まる。(p163)
 夢を実現したい,という気持ちが基本にあって,そこへ近づいていく自分を意識している。そして,そのために,自分にノルマを課し,騙し騙しで進めているのである。それができるのは,「好きだから」ではなく,「やればやっただけの見返りが必ずある」ということを知っているからだ。(p165)
 一番知っているのは自分なのであり,その自分に褒めてもらいたい,と思う。評価はあくまでも自己評価が基本だ。(p166)
 多くの人たちは,(中略)不特定多数から褒められたい,できるだけ沢山の人に見てもらいたい,といった欲求を何故か持っていて,(中略)ちょっとした思いつき程度でもネットにアップし,みんなから「いいね!」がもらいたくなる。(中略)「小粒な自分」になっているのだ。この小粒さはあらゆるものに波及し,夢も人生も,きっと小粒になるだろう。(p167)
 その意味では,夢を追う過程において,周囲からの「支配」をいかに断ち切るのか,ということが重要になってくる。(中略)支配とは,一見面白そうなもの,周囲との関係をつなぎ止めるもの,そして少しずつ搾取をされるものだ。(p168)
 「大きな成功への最大の障害は,小さな成功である」という言葉がある。これは,僕が考えたものだ。(p174)
 ちょっとした失敗を気にして,消極的になってしまう人は多い。(中略)このような人は,「恙なく」勤めることを望み,「健康でありさえすれば良い」という謙虚さを語るかもしれない。(中略)それが本音だとしたら,「生きていれば良い」と同義であって,非常に本能的というか動物的な生き方になる。人間性を放棄しているように,僕には感じられる。(p174)
 スポーツ選手も芸能人も,「ファンに喜んでもらえることが一番」と口にする。(中略)それを真に受けてはいけない。ここを見誤っている人は,なれても二流止まりだろう。一流のスターは「人を喜ばす」程度の動機でなれるものではないのである。 では,何が目的なのか。それは,自分の価値を高めることである。(p181)
 こういった「摩擦」あるいは「抵抗」は,どこにでもある。自分の周囲から嫌なものをすべて排除すると,これまでそうでもなかったものが嫌なものになる。(中略)それを実現するには,自分の評価眼,価値観をコントロールするしかない。ようは見方の問題なのである。(p206)
 先生について教わる必要はない。むしろ,自分一人で楽しんだ方が良い。(p212)
 自分が作ったものを商品化したい,と考えている人が多い。(中略)このような夢を実現するために必要な要素が,やはりオリジナリティなのだ。案外,多くの人がそこに気づいていない。つまり,「上手であること」「完成度の高さ」といったものを求めがちなのだ。(中略) いくら技術的にプロ級でも,既にあるものに似ていると商品化の妨げになる。(中略)新しいものに挑戦すると,多少見栄えが悪くなったり,辻褄があわなくなったりする。それを見た人は,驚くかもしれないし,なんとなく敬遠するだろう。しかし,それが正しい。敬遠されるくらいの力がなければ,オリジナリティではない(p217)
 とにかく,普通の人がしているようなことに,ほとんど金を使わない。(中略)やりたいことがある,自分の楽しさを持っている,つまり目指す「夢」があるから,このようなことができる。(中略)だから,「夢」を持っていることは,非常に経済的だといえる。(p226)

2017.05.27 宇都宮一成・宇都宮トモ子 『88ヶ国ふたり乗り自転車旅』

書名 88ヶ国ふたり乗り自転車旅
著者 宇都宮一成・宇都宮トモ子
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2011.07.10(単行本 2010.05)
価格(税別) 724円

● タンデム自転車で世界一周の新婚旅行。その様子を綴ったもの。
 こんなことをしたら,旅行中に大喧嘩をして,最悪,離婚に至る可能性はないのかと,ぼくなんかはいらぬ心配をしてしまうのだけど,そういうことにはならずに,無事に帰国できたようだ。

● 以下にいくつか転載。
 ケチらず旅行保険に入っておいておかった。「お金がないから旅行保険に入らないんじゃなくて,お金がない人ほど加入しとくべきなんだ」という話を聞いたけど,まさにその通りの体験。(p38)
 さらに,バッグからチョコバー二本取り出して僕たちに渡そうとする。食料はこの先大切やろうと思って遠慮すると,「二本あるのは,お二人に食べてもらおうと思って買ったんです」。 どうして,こんな状況でそんな心遣いができるのだろう。(中略)厳しいことにチャレンジできる人ほど,人に親切にできるのかもしれない。(p75)
 あんな電気もない牢屋のような部屋で生活している人々がいる事実はショックだった。でも,「同情するなら金をくれ」ってことか。いい経験ではあったけれど,もう二度とゴメンだ。こちらに元気と余裕がないと「心のふれあい」なんてできない。(p117)
 へこたれてしまいそうな数々の出来事を,スズキ君は温厚な人柄で乗り越えていく。恨みごとを言わない彼のタフさが旅を続ける秘訣のようだ。(p125)
 私たちに向けてビデオカメラを回している人もいて,インディヘナが「パゴ(金払え)!」と言いたくなる気持ちがわかった。(p130)
 旅は,頑張りすぎてはいけない。身体が疲れると,やがて心も疲れる。すると旅に疲れてしまう。そして,旅を続けるか終えるかのターニングポイントがやって来る。(p183)
 物欲・食欲は刺激されやすく,おかげで旅行といえばお土産を買ったりおいしいものを食べたりするのが目的という人が多い。そんな「お金・物・美食」の世界から一歩離れてみると,ほんの少しの荷物でも人間らしい生活はできるし,楽しみ方もたくさん存在することに気づく。(p192)
 観光客がフィンランドには目もくれず,ノルウェーに集中するのもうなずける。フィンランドも森と湖が美しい国なのだが,こう,ハッと打たれるものがなかった。(p339)
 旅で訪れた国の数,走った距離,初制覇,といった記録的なものはいつか誰かが覆す。旅は競わなくていい。それよりも「こんなにも自分は旅を楽しんだ」「こんなものを得た」と嬉しそうにしている旅人ほど,僕は羨ましく思える。(p345)
 暑さは「若さ」「ガッツ」「根性」で乗り切れるかもしれないが,寒さは「装備」「技術」,そして「経験」がないとやはり難しい。(p375)