2017年5月14日日曜日

2017.05.14 伊庭正康 『仕事が速い人の手帳・メモのキホン』

書名 仕事が速い人の手帳・メモのキホン
著者 伊庭正康
発行所 すばる舎
発行年月日 2016.11.29
価格(税別) 1,400円

● ぼくはもうビジネス書を読んでも仕方がない年齢になった。が,手帳だのメモだのノートだのというタイトルの本があると,つい手に取ってしまう。

● 本書もタイトルに惹かれて読んだんだけど,手帳術やメモ術を説くのが主眼ではなくて,仕事の心得を説いている本だ。
 日中の効率を最大限にあげて残業はするな,という。スキマ時間も1秒たりともムダにするな,と恐ろしいことを言う。

● 本書に書かれていることが間違っているかといえば,まったくそんなことはない。説得力もある。しかし,このとおりにできる人はそんなにいないだろう。
 基本,人間は怠惰に流れるものだ。何かというと,勤勉が日本人の代名詞のように言われるけれど,その日本人にしても怠惰が好きな人たちが大半だ。大衆とはそうしたものだろう。

● 大衆の一人でいることを潔しとしない人は,本書が説くところをひとつでもふたつでも実践してみるといいと思う。

● 以下にいくつか転載。
 多くの人の手帳は(中略)次の週あたりまでは埋まっているけれど,その先は空白だらけ,ということも少なくないのです。やってくる業務を「速くこなすこと」こそが,仕事を速くする方法だと考えているので,直近の予定しか埋まっていないのです。 やってくる業務をいくら速くこなしたところで,残業はなくなりませんし,ましてや生産性を上げることは無理です。(p4)
 私が変わったきっかけは,上司のひと言でした。「スケジューリングの基本は逆算だ。考え方を変えないと,いくら工夫しても仕事は速くならないぞ」と。(p5)
 記憶に頼るということは,脳のなかで何度も「繰り返し思い出す」作業をせざるを得ないわけです。こうなると,休日も頭がスッキリしないのは当然です。 だから,常に頭をスッキリさせたいなら,ちょっとした予定であっても,「記憶」に頼るのではなく,「記憶」に頼るべきなのです。(p24)
 この議論(デジタルかアナログか)にはすでに答えが出ています。共有する必要がないならアナログを,共有する必要があるならデジタルが正解だと。(p31)
 1日の予定が3件以上あるなら,毎週の予定を俯瞰できるウィークリータイプの手帳を使ってほしいのです。(中略)私はキチキチの手帳を使っていると,せっかくのチャンスを逃すことになる,と考えます。「もうこれ以上はムリ」と無意識に思い込んでしまうため,新しいことに挑戦しようと思わなくなるからです。(p35)
 もし,あなたがズルズルと仕事をしてしまうタイプなら,あえて申します。何をやるかを考える前に,何よりも「退社時間」を先に決めてみてください。短時間で成果を出す人は,常に「終わり」から逆算しています。(p49)
 やってみてわかったことがあります。一度退社時間を決めると,思った以上にその時間内に終えられる,ということです。(p52)
 それでも,その時間には帰りにくい,ということがあるかもしれません。あえてこう考えてみてはいかがでしょう。「帰りにくいから残るというのは,プロの発想ではない」と。(p53)
 労働時間を延ばすことはナンセンス。残業なんてしても30%の生産性アップはできません。夜は「財」を生みません。オンタイムの時間効率を徹底的に高めていくようにしましょう。(p93)
 締め切りを前倒しにし,負荷をかけることで,何よりもあなた自身も気づいていなかった自分のポテンシャルを引き出すことができるでしょう。(p93)
 仕事は必ず相手ありきで進むものです。(中略)最初に見せるのは70点の完成度でもかまいません。そこから相手とすり合わせて,100点に近づけていけばいいのです。一番良くないのが,相手にこちらの進捗が見えないままに,自分ひとりで黙々と100点を目指してしまうことです。(p104)
 体感速度を速くするいい方法があります。スケジュールの所要時間の単位を30分で考えるようにしてみてください。(中略)実は,多くの人は無意識に1時間を単位に予定を決めています。(p118)
 よく質問をいただきます。「あらあじめ,スキマ時間でやるべきことをリストアップすべきか?」と。答はノー。(中略)わざわざリストアップしなくても,その空いたスキマの数分で何が出来るかを考える癖を持っておけば十分。(p126)
 私が二次会に出るかどうかを決めるポイントは,「その場に私が必要なのかどうか」です。(p152)
 この一歩を踏み出すいわゆる“踏み出し力の強い人”が,生活のステージをアップさせ,「希望」を確実に実現させているのです。(p160)
 仕事ができる人に多いのが,切手を手帳に挟むことです。メールの時代なのに,なぜだと思いますか? メールを送ることがかえって失礼になることがあるからです。これをわかっている人は案外少ない。(p163)
 ビジネスの基本は,相手を思う気持ちです。あまりに自分の効率を追求しすぎて,相手の事情を忘れてはなりません。(p164)
 我々は手帳を使うことで田中角栄氏並の記憶を身につけることができます、「来月の中頃にメールしますね」と言えば,その場で翌月の中旬の予定に組み込む。「息子さんの誕生日が7月25日」と相手から聞けば,手帳にそのことを書きとめ,次に会った際に「明日は息子さんのお誕生日ですよね」などとひと声かける。相手以上にささいなことを覚えている。これが大人の信用を勝ち取る第一歩なのです。(p172)
 私もPCやタブレットにメモしながら打ち合わせをしていたこともあったのですが,ひとつのことに気づきました。切れ味のいい質問ができないのです。その理由はシンプル。意識が分散されてしまうからです。(中略)何割かは文字を打ち込むことに意識を奪われます。(p175)
 「アレ,いいじゃん」と思ったことは日常的に手帳に書き込む習慣をつけましょう。そして,アイデアがほしいときは「掛け合わせると何ができるか」という視点で,良さそうなものを検討する。(p185)
 「しんどいな」と思ったら,こうしてみてください。自分の感情を思いつくままに,手帳のフリーページに「今の気持ち」として書きまくる,と。(中略)愚痴を言う相手がいればいいのですが,実際はその瞬間にそんな相手が目の前にいない場合がほとんどです。だからと言って,無防備にSNSやブログで書くなんて愚の骨頂。必ず後悔することになります。(p191)
 よく,「紙に願いを書けば叶う」と聞きますが,本当なのでしょうか。(中略)私はスピリチュアルやおまじない,迷信などを敬遠するタイプなのですが,こればかりは,私の経験からしてもそうだと感じています。(p195)

2017年5月12日金曜日

2017.05.12 高野 登 『リッツ・カールトン 「型」から入る仕事術』

書名 リッツ・カールトン 「型」から入る仕事術
著者 高野 登
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2014.03.10
価格(税別) 760円

● 本書でいう「型」とは形に心をこめたものということらしい。イマイチよくわからないといえばわからない。
 タイトルは「仕事術」となっているけれども,内容はリーダー論。

● 著者は「リッツ・カールトン」の高野であって,「リッツ・カールトン」と一体になっている感がある。今は「リッツ・カールトン」を離れているわけだが。
 その「リッツ・カールトン」の話は終わりの方に出てくる。

● 以下にいくつか転載。
 リーダーが育っていない組織では,従業員があまり成長しない方がコントロールしやすいと考えます。つまりミッションなどを考えずに,言われたこと,指示されたことを,マニュアルに沿ってこなす従業員の方が使いやすいということですね。(p5)
 最近見かけなくなったものに,「床屋」「スナック」があります。(中略)「床屋」と「スナック」,ここに共通しているものは「談義」です。(p25)
 地域社会を活性化するために一番大事なことは,その地域によそ者,若者,ばか者がいることです。(p28)
 (呼びだしボタンが設置されると)ボタンが押される前にお客様のご要望に気づこうとしていたものが,だんだん「呼ばれたら行けばいい」,最後は「呼ばれるまで行かない」となってしまうのです。本来ならば,基礎体力をそろえるためのマニュアルが,結果としてサービスの質の低下につながってしまうという現象が起こります。(p43)
 呼びだしボタンを最初に導入したのはチェーンの居酒屋だったか。ファミレスの方が早かったのか。
 居酒屋は半個室が増えているから,スタッフはお客を見ることができない。お客さんも,呼びだしボタンを押さなければ店員は来ない,とハッキリわかっていた方がくつろげるだろう。ファミレスもこれに準ずる。
 「ボタンが押される前にお客様のご要望に気づこうと」するのがサービスになるのは,高級ホテルとかレストランとか,わりと一部に限られるのではないか。
 で,そういうところで呼びだしボタンを設置してあるのを,ぼくは見たことがない。
 あいさつは仏教の言葉の「一挨一拶」が語源となっています。(中略)あいさつの意味から考えたら,自分から先にあいさつをするということです。あいさつは位の高い人が低い人の様子を伺うということからきているものです。(p69)
 人は笑顔の人のまわりに集まってきます。笑顔は場を明るくし,そしてまわりを笑顔にしていきます。豊かな人間関係をつくることができるのです。これこそ人として生まれた醍醐味ではないでしょうか。(p75)
 たとえそれが言いがかりのようなクレームだったとしてもまずは聞く,それが最初のステップです。そして最終的にどうするかという着地点をイメージするのです。たとえば賠償が必要なのか,謝罪なのか,菓子折りなのか,それとも自分たちの言い分をきちんと伝えるのか,毅然とした態度をとるのか,それは相手の声に耳を傾けるなかで見えてくるものです。でも最初のステップである聞くことを軽視してしまうと,問題がさらに大きくなってしまうものです。(p88)
 勢いがあるから姿勢がいいのではなく,姿勢を正すことによって心の構えも正していく。それによって勢い,人間のパワーのようなものがみなぎってくるのだと思うのです。(p91)
 ワクワク感とうのは探しに行くものというより,来たものにワクワクするというのが正しいように思います。今あるものに感謝して,今ある状態に感謝して素直に受け入れてみる。(p122)
 今日という日は残りの人生の第一日目です。毎日を人生の一日目として,スタートできているかどうか。(P124)
 リッツ・カールトンでは,社員同士でもお互いが「顧客」と考えています。社員と業者さんは内部顧客なのです。(p134)
 謙虚さと素直さと兼ね備えている人は,入社当初は多少スキルや技術が劣っていたとしても,長期的に見たら間違いなく伸びます。反対に,スキルや知識が優れていても,謙虚さと素直さに欠ける人は,どこかで頭打ちになります。(p137)
 舞台役者と同じではないでしょうか。「一流の舞台役者は日常を引きずらない」。舞台に上がったときには私生活を忘れて役に入りきる。(p138)
 サービスにおいては,サービスを受ける側よりも提供する側のエネルギーが大きいことが必要です。サービスする側が元気がないのに,受け手がワクワクすることはありえないからです。(p140)
 仕事を途中で投げだしてしまう人や,落ち込みやすい人は,心の筋力を鍛えることを意識していないのかもしれません。(p142)
 想いというのはリーダーが300度の熱でそれを伝えても,組織の中間にそれが伝わるときには200度になってしまいます。(中略)自然の法則と同じで,お湯の温度は器と移すたびに少しずつ下がります。それと同じことが組織でも起きてしまうのです。(中略)リーダーがもつべき温度が高くなければならない理由はそこにあります。(p157)
 内定をもらえたらとりあえず社会に出る。でも「本気になることが運命を拓く」ということも教わっていない。自立や自律といった知恵も身につけていない人もたくさんいるようです。(p163)

2017年5月7日日曜日

2017.05.07 樫尾幸雄 『電卓四兄弟 カシオ「創造」の60年』

書名 電卓四兄弟 カシオ「創造」の60年
著者 樫尾幸雄
発行所 中央公論新社
発行年月日 2017.03.25
価格(税別) 1,300円

● 今では百円ショップにもある電卓。その電卓を切り開いてきたカシオの,これは創業者のひとりによる社史のようなものだ。

● 電卓って,その黎明期においては,自動車1台分の価格だったことも知った。自動車も個人で買える人はごく少なかった時代のことだから,電卓に入れ込んで新製品が出るたびに買いまくったという人は,おそらくいないだろうけども,もしいたとすると,今の電卓を価格を見て,車にしときゃよかったと地団駄を踏むことになるだろうね。

● 歴史は繰り返す。同じことがパソコンで起こった。かつてのMacなんか一式揃えると車が買えると言われたからね。Macじゃなくても百万円のノートパソコンってあったよね。軽自動車が買えた(今は軽も高くなってるけど)。その百万円のノートパソコン,今は使いものにならないスペック。
 こちらは比較的最近のことだけに,パソコンにつぎ込んだ人はかなりいるだろうねぇ。

● 以下にいくつか転載。
 当時の大学の授業は,戦時中の本が一切使えないため教科書や参考書はなく,先生が講義でしゃべる内容をメモするしかありません。逆に言えば,学校に行かなくても,ノートがあれば何とかなります。(p32)
 (当時の輸入物の計算機は)価格は三〇万~四〇万円と,自動車と同じぐらい高価でした。(p37)
 ある日,営業担当の和雄が,販売会社である内田洋行との生産計画の打ち合わせで,リレー式計算機の在庫が積み上がっていることを知らされます。(中略)原因は,シャープが発売した電卓でした。(p78)
 それでも,当時のカシオは,リレー式計算機にこだわり,最新型を出そうとしました。(中略)トランジスターを使った電子式の時代はまだ先だと考え,「まだまだリレーでいける」と思っていました。(p80)
 「技術は生鮮食品のようなもの」というのが私の持論です。放っておくと,すぐに腐って使い物にならなくなってしまいます。「鮮度」が大事で,メーカーは常に世界の技術革新の流れを読まなければいけません。少しでも遅れると大変なことになります。ところが,兄弟でゴルフに熱中するあまりおろそかになり,電卓で出遅れました。これ以降,平日に四人でゴルフに行ったことは一度もありません。(p87)
 カシオの電卓発売は,シャープより一年遅れましたが,もう一年遅れていたら,今,カシオの存在はなかったかもしれません。(p96)
 (大ヒット商品になったカシオ・ミニの発売にあたって)志村君の説明では,「開発部門は,常に機能を上げていくのが使命です。機能を下げた製品を作ることは,認められないでしょう」とのことでした。(中略)「いかがでしょう」と問われた私はすぐ,「やろう」と答え,志村君の提案を全面的に受け入れることにしました。内緒で進めれば,誰からも反対されません。商品さえ完成してしまえば発売まで一気に押し切れると考えました。(p109)
 時計業界への参入の難しさをあらかじめ知っていたら,二の足を踏んだかもしれません。あまり下調べをすることもなく,一気に進めたことが良かったのだと思います。(p134)
 デバイス事業と自分たちの製品を両立させることは難しいと思います。デバイスの場合,顧客から注文が来た時に自社向けを優先したりすると,顧客の信用を失ってしまうので,自社製品のことを度外視してやらなければいけない場合もあります。 個人的な見方ですが,液晶で一時は世界を席巻したシャープが,その後,苦境に陥ったのは,デバイスとしての液晶と製品としての液晶テレビの両方に力を入れたからではないでしょうか。(p155)
 コストの勝負になると,国内での生産では韓国や台湾などの海外企業にかないません。FA化による組み立てのコストダウンではとうてい追いつきません。(p157)
 今のものづくりで重要なのは,コスト勝負となる半導体や液晶といった単体の部品ではなく,複数の施術を組み合わせた技術なのではないでしょうか。例えば、ファナックという産業用ロボットメーカーは,数値制御(NC)による機械の加工方法であるNC技術と,ロボットなどを制御するサーボ技術を組みあわせた複合的な技術で強みを発揮しています。(p158)

2017年5月4日木曜日

2017.05.04 伊集院 静 『旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺』

書名 旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺
著者 伊集院 静
発行所 集英社
発行年月日 2017.03.29
価格(税別) 1,400円

● 伊集院さんの小説は一冊も読んだことがない。まず「いねむり先生」から読んでみたいと思っているんだけど,まだ果たしていない。
 が,エッセイ集はだいぶ読んでいる。本書もそのひとつ。

● 酒,ギャンブル・・・・・・,いずれも常人には想像できない深みに達して,しかもそれでいて,常軌から外れに外れて破綻に至る,ということにはならずにいる。
 競輪に狂っていた老人(今は故人)を知っている。奥さんはそれが原因で精神に異常を来し,元に戻らない病気になってしまった。こういう人はけっこういそうだ。
 弱い人間はギャンブルなどに手を出してはいけない。ましてやそこに淫してはならない。と,思っている。自分は弱い人間に属することもわかっているので,ギャンブルに手を出そうと思ったことはない。
 つまらない男はつまらないなりの生き方をしなきゃしょうがない。

● 伊集院さんのような人は,要するに稀な存在だ。ロールモデルにしてはいけないと思う。
 生命力の核が強靱な人なのだと思う。なぜ強靱なのかといえば,そういうふうに生まれたからだと言うしかない。努力でどうにかできる部分ではないように思う。

● 以下に少し多いかもしれない転載。
 私たちにはこの世に生まれてきて,やってみなくてはいけないことがいくつかあると,私は思っています。 それをせずに死ぬということは,生きることへの冒涜(いささかオーバーですが)ではないかとさえ,思います。(中略) 私にとって,この世に生まれてきて,これをしなくてはならないと思えるものは,断然,旅なのです。(p24)
 その土地に足を踏み入れたなら,目で見たもの,見えたもの,歩きながら身体に伝わってきたもの,酒でも食事でも口に流しこんだもの,耳から入ってきた音色,犬のように鼻を鳴らして嗅いだ匂い,肌で感じたもの・・・・・・それらすべてを実感だけで捉えるのが,私のやり方です。その体験の積み重ねだけが,旅人の身体のなかに,何かを泌みこませるのだと私は信じています。(p29)
 晩年に書かれた作品の一節だから,事の真偽はわからない。作家の大半は己の時間を美化し,平気で嘘をでっちあげる輩だから。(p32)
 なぜ軟弱なのか。それは連るむからである。一人で歩かないからである。“弧”となりえないからである。連るむとはなにか? 時間があれば携帯電話を見ることである。マスコミが,こうだと言えば,そうなのかと信じることである。全体が流れだすほうに身をまかせることである。(中略) 弧を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである。(p34)
 想定する生には限界がある。所詮,人が頭で考えるものには限界がある。想定を超えるものは,予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。(p43)
 国境が動いているのは今もかわらない。なぜなら人類は常に流動する生きものであるからだ。世界史は民の流動を記録したものでもある。国家はそこにあり続けるのではなく,そこに停泊しているに過ぎない。(p44)
 スコットランドにどうしてあれほどの数の酒造工場が点在しているのかを,ご存知か。それは,かつてウィスキーにとんでもない重税が課せられた時代に,酒好きの男たちが山のなかや海辺の小屋で酒の密造をしたからだ。(中略)元を辿ればひと癖もふた癖もあった連中があの味をこしらえたのだ。だから美味なのである。(p45)
 英雄は大衆のあやうい精神状態のなかから創造され,大衆と国家を津波のように動かしてしまう。(p57)
 どこで,どうやって,誰に,なぜ・・・・・・などという発想を捨てることだ。たださまよっていさえすれば,街はむこうから君を抱きにやってくる。何も考えずとも遭遇は隣の席に平然とあらわれる。(p66)
 旅人にとって大切なことのひとつに五感を磨いておくことがある。足を踏み入れた土地を,目で,耳で,鼻で,舌で,肌で,知覚することだ。鍛えられた五感は護身用のナイフより,脱出の際に見張り番に渡す袖の下の金より,旅人を生きながらえさせる。鋭い知覚は武器と言ってもいい。旅先で,旅人が思わぬ事故で死んでしまう原因は,ほとんどがこの五感の欠落による。(p74)
 百年前も,五百年前も,千年前も,そこだけずっと繁栄している場所がある。おそらく百年後も,五百年後も,千年後も栄え続けるだろう。 栄える場所と滅びる場所を決定するものは何か? それは場所の,力である。安堵と快楽を感じさせる力だ。土地にそんな力があるのか。間違いなくある。(p81)
 神を信じる土地に入ったら,神を否定しても仕方がない。(p82)
 厄介から逃げるのもひとつの術だが,生半可な逃亡は十中八九,背中から撃たれる。(中略)逃げるなら,大逃げを打つことだ。大逃げの難しいところは形振りかまわず逃走しなくてはならないことだ。(p88)
 旅に出て,その街を知りたければ酒場か娼家に行くことである。懐具合が気になれば酒場がよかろう。それもなるたけ場末の酒場がいい。(p116)
 娼婦を太陽の下に引っ張りだすな,と先達は言った。この言葉,やはり名言なのかもしれない。(p121)
 世界の名だたる都には見事な川が流れていると言ったが,それらの川には共通した風情がある。風情の正体は哀切である。哀切は都についてまわるものだ。 都に住む大半の人々は,都で生まれ育った人ではない。(中略)大半の人は疎外感をどこかに持っている。(p123)
 どんな人であれ生まれて死するまで順風な生を送れる者はいない。(中略)そんなことはこれまでなかったと言う人がいたとしてもいずれ厄介事,災いは訪れる。己一人ではどうしようもないことをかかえこむのが,生というものなのである。それゆえ,人は己以外の何かに依るのである。(p146)
 その神とて人が創造したものである。神が人のかたちをしていることがその証しだ。人間自体に欠落があるのだから,人が創造した神に欠落したものがあって当然である。そうであっても依るべきものがあれば人は安堵を持てる。(p147)
 多くの画家の作品のなかに置かれているとゴッホのあきらかな違いがわかる。かなり離れた場所からでも一目でゴッホとわかる。近代絵画の群れのなかでも彼の絵画は他のどの画家とも違うことが子供にでも理解できる。察知できるのだ。群れのなかでまぎれることがない。(p154)
 人が寄るべきものを探しあてられなければ他人,宗教,権力,名声,金・・・・・・に依って生きながらえようとするのだが,そえらのものに価値を見出せなければ(実際,価値などないのだが)探し続けるしか生きる術はない。 ゴッホはそれを実践した。実践の過程に創作活動はあった。(p156)
 いとおしい者へ惜しみない愛情を注ぐ。己のことよりも,いとおしき者へすべてを与える。そうせざるを得ない性癖。これこそが魔物なのである。惜しみない愛情は美徳という考えがある。私はそれを信じない。偽善とまでは言わないが,他人にやさしすぎることは,大人の男がなすことではない。(中略)他人に何かができると信じることに過ちがあるのだ。(p158)
 美術を学校で学んで何が生まれるというのだ。美術というものは欲望の具象化である。(p163)
 人は何を創造したかではない。何を残したかでもない。何とともに生きたかではなかろうか。(p171)
 文学の誕生するところは人の本能の善の領域からも発するが,その大半は善以外の領域を見る目から生まれる。それは人が善をなすより,それ以外の行為に走るからである。(p179)
 本当に魂というものは存在するのだろうか。私にはわからない。できることならそのようなものが存在しないほうがいいと願う。こうして文章を綴り,旅に出て彷徨した自分の時間が跡かたもなく失せることを望む。そう思っている大人の男は多いはずだ。 私の周囲でも,何人かの友がそんなふうに見事に立ち去った。彼等は生き残った者に名残りさえ与えない。それが大人の男の処し方のような気がする。(p188)
 よほど幸福な日々を送ってきた人でない限り,過去を追憶して充足感を抱く人はいないのではなかろうか。私にとって過ぎ去った時間は苦いものや忌まわしいものがほとんどだ。これから先も過去を懐かしんで気持ちが安らぐようなことはあるまい。(p192)
 若いということは肉体的にも精神的にもたぎるものがうちにあることで,その内包したものは常に自己中心に発散される。しかもその発散は大半が出すべきところを誤っており,他人に何らかの迷惑をかけている。(p192)
 賭博の基本を教わった。賭け事のベースにあるのは記憶力である。そのデータだけが,その人のギャンブルの腕を決める。打っている間の大半は,シノグことでしかない。記憶と流れが一致したとき,打って出る。いったん打って出たあとは,定石も加減もない。常軌をどれだけ逸脱できるかで,賭け事の高が決する。しかしそんなときは,半年に一度もない。(p219)

2017年5月2日火曜日

2017.05.02 佐藤愛子 『それでもこの世は悪くなかった』

書名 それでもこの世は悪くなかった
著者 佐藤愛子
発行所 文春新書
発行年月日 2017.01.20
価格(税別) 780円

● 故・吉行淳之介さんは,文壇一のモテ男だった。亡くなったあとも,何人かの女性が私が一番愛されていたという内容の本を出していて,その中のいくつかはぼくも読んだ。
 中村メイコさんも10代で出会った吉行さんについて,『メイコめい伝』の中で熱く語っていた。故・山口洋子さんも,吉行さんとの対談で自分の思いを隠さずに語っていたことがあった。
 それらを読んだのは若かりしときだけれども,世の中にこんな果報者がいるのかと思った。

● けれども,佐藤愛子さんは,その吉行さんにわりと辛口だ。
 (川上)宗薫が好きで,尊敬もしていた作家は,吉行(淳之介)さんでした。吉行さんは,誰が見てもハンサムだし,気働きの人でしたね。でも,カッコいいなんていうのは,私には向かないの。アホなところが全くないのがね。(p148)
 (色川武大さんは)みんなに好かれる人でした。自然体のところが魅力でした。吉行さんもみんなに好かれる人でしたが,どこか気働きが先に立っているように感じられて,私のような野人には少しうっとうしかったです。(p153)
 ということだ。辛口とまではいかないのかもしれないけれども,吉行さんをよく言わない女性を初めて知った。

● もちろん,そういうことがこの小さな本の主内容ではない。この本で著者が語っていることをひと言で言えば,どう生きようと一局の人生,ということだろうか。
 でもって,全体を覆っている色調は豪快さ。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 そんないちいちね,何かことがあるたびに感想を持つわけじゃないんですよ,人間は。何かする時だって,思わずする,ということがあるんです。 今の人は分析が好きなのか,なぜ,なぜ,と聞くんですね。なぜということを聞いたって,別にどうということはないんです。(p5)
 私は人生相談の回答者には向かない人間です。人は好きなように生きればいい,人生相談なんかするな,としか思っていないんです。第一相談したところで,結局人間は自分の好きなように生きているんですよ。(p5)
 人生の苦難に遭った時,誰かのためにそうさせられたと思う人は多いけれども,自分の人生を選んだのは自分だと思った方がいいんじゃないかと思います。何があろうと,自分の性質のお陰でこうなったと思えば誰も恨むことはないし,心平らかに反省の日々を送ることができます。(p6)
 私は人間に対する興味が人一倍強いんだと思います。小説というのは,人間の面白さを描けばいいのではないか,と考えたんですね。 ところが,売れる小説というものはたいてい人間の面白さではなくて,ストーリーの面白さを追求しているんです。最初にストーリーを付くって,そこに人間をはめ込んでいくという書き方ですね。でも私は,自分が面白いと思う人間がどう生きていくかに興味がある。(p29)
 ある時,(吉田一穂)先生がこう仰った。「女に小説は書けないよ。女はいつも自分を正しいと思っている。そしてその正しさはいつも感情から出ている。だからダメなんだ」(p36)
 苦しいことが来た時にそこから逃げようと思うと,もっと苦しくなる。逃げないで受け入れた方が楽ですよ(p42)
 やっぱり貧しくて,それで一所懸命に暮らしている人を見ると,お互いに助け合っていきましょう,とそんな気持ちになります。ところが,そんな気持ちになっているところを,相手の方はピシャリと裏切ってくる,なんてこともあります。だけど,それもまた人間の一部なのでね。そういう体験の積み重ねで,私は小説家になれたのだと思います。(p60)
 人生というのは,わからないですね。マイナスがあった時に,そのマイナスがあったからこそ後のプラスが生まれたんだ,ということが,長く生きているとわかることがあるんですよ。だから,いまマイナスが来ているからって,ちっとも悲観することはないの。(p60)
 ところが実際に貧乏になってみますとね,どうっていうことはないんですよ。朝になったらお日様は上がるし,夕方になったらお月様は出る,そのことに変わりはないわけで,まあ,こんなものか,というね。(p61)
 貧乏になると,何かこう陰気な顔をしなければいけないものなんですね。(中略)それが元気でいるもんだから,「あいつは金を隠しているに違いない」となる。 世間というのは本当にいい加減なものだなあ,(中略)人間の真実なんかわかるわけがない,ただのアホなんだ,とつくづく思いました。(p62)
 何でも失敗しっぱなし,ということはないですよ。その後の生き方によって,いくらでもそれをひっくり返すことができるんです。でも,そのためには楽天的でいることですね。(p73)
 今の人が言う繁栄は,経済の繁栄ですからね。金がなくても「しょがないもなあ」で済ませていられるその精神力というか,鈍感さというか,それもまた才能だと私は思います。(p80)
 外がうるさいから覗いたら裸の男がいる。「まあ,イヤねえ」というのは女であって,男はそういう時に何も言わずに笑って済ませるものなんですよ。それが男と女の本質的な違いであるはずなんです。だから,女が警察を呼んだのならまだ許せる。男たるものがねえ。(p92)
 満州,朝鮮からの引き揚げでは,母と子は生きているけどお父さんは途中で死んじゃった,ということが本当に多かった。(中略)女は強靱で,男はもともと弱いんですね。(p103)
 女は子どもを抱えて生き抜かなくちゃならない。生き抜く,それは現実そのものであって,男意識なんて役に立たない。(p103)
 女はリアリストですから,生活するための知恵と力がいくらでも浮かぶんですよ。(p104)
 お産に亭主が付いてきてフウフウハアハア一緒に言うなんてのはね,お産に対する冒涜だと私は思います。お産というものは一人で耐えて一人で産みだすことによって,女に力がつくものなんです。(p122)
 男の子は泣いていると言うんです。それでもお母さんががんばって,「切れ,切れ」と言うものだから,恐る恐るやってみるけれども,へその緒って硬くてなかなか切れないものなんですってね。それを泣きながら一所懸命に切ろうとする。 私はね,彼はおそらく一生インポになると思いますよ。トラウマになってね。どれだけ傷ついたかですよ。 そういうことも思わないで,命の誕生の・・・・・・何だかもう忘れましたけれど,そういうものを教えたいという母親の意図は物凄く強いものだった。そのお母さんは,観念の奴隷みたいになっていますね。そういうつまらないことを考えるなら,何も考えない方がマシなんですよ。(P124)
 長いこと生きるとわかってくるんです。人生というものはね,幸福だのなんだのと言ったって,どうっていうことはないんですよ。(中略)だから,苦労をするまいと思って頑張る必要はないんですよ。その方がいろいろなことがわかるんだから,苦労したってどうということはない。反対に,幸福になったからと言って,別にどうということはない。(p128)
 今は本当のことを言ってはいけない時代なのね。いつも傷つけた,傷ついたということばかり考えてものを言わなければならないとしたら,人間は萎縮してしまうんじゃないですか。政治家に信念がないなんて批判する人がいるけれど,八方に気を遣っていると信念なんか持ってこない。とにかく小うるさい,小さな世の中になりましたね。(p140)
 私は死後の世界はある,と思っている人間です。(中略)アイヌの人たちの怨念の場へ,私は家を建てたんです。そうしたら,いろいろな超常現象が起こりました。(p173)
 何も苦しいことがなければ,幸福は生まれないのですよ。幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは,苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。(p183)

2017年4月30日日曜日

2017.04.30 番外:AERA '17.5.1-8号

編者 井原圭子
発行所 朝日新聞出版社
発行年月日 2017.05.08
価格(税別) 380円

● この雑誌も表紙が木村(拓哉)君だったので手に取ってみた。「無限の住人」に関する木村君のインタビュー記事があって,そこだけを読んだ。

● 以下にいくつか転載。
 「無限の住人」に挑む木村は,主人公の万次という役を通して,自分の新しい可能性をつかみ取ろうと果敢に奮闘しているように見えた。(p9)
 役者として,どんなキャラクターを演じるかは「縁」でしかなく,その都度,与えられた役を全力で演じるしかありません。(p40)
 役者にとって映画は1カットずつの積み重ね。自分の「主観」で演じてきたものが,編集という作業を経て「映画」になる。試写で初めて,客観的に見ることができます。(p40)
 周囲のスタッフに万次に「してもらう」ことはできても,実際に魂を吹き込んで,自分が万次に「なる」ことはそう簡単ではない。 そのためには「感じる」しかないんです。まずは万次という役を「感じる」。彼は,過去の戦で片目を失っています。であるならば,まずは自分が片目で動いてみようと。撮影は,朝5時から深夜3時に及ぶのですが,その間,ずっと片方の目しか使いませんでした。(中略)僕は不器用なタチなので,そうやって自分を追い込み,体で感じるしかなかった。(p40)
 映画やドラマの前評判などでもいろいろ書かれることがありますが,これでいいやと中途半端な気持ちでやっている作品はひとつもない。そう思うなら思えばいいと,どこかで割り切ってします。テレビも同じです。視聴率というものだけでジャッジされてしまうことがあるけれども,そうしたいなら,そうしてもらっていいと思う。(p41)
 木村さんはビジュアルひとつとっても「気高い孤独」をまとっていて,余計な役作りをする必要がない。(三池崇史 p43)
 これまで出会ってきた役者の中で,木村拓哉ほど戦っている男はいない。断言できます。必要以上に人に媚びないし,全方位で真剣勝負を挑んでいる。監督って,役者を探すときに「真剣勝負をしていない人」には用はないんですよ。(三池崇史 p43)
 木村さんは,面倒くさい芝居から解放されたいんだと思う。本当は見えているのに,見えない芝居をするのが面倒くさいんじゃない?(三池崇史 p43)
 共演した福士蒼汰さんは,木村さんのそんな姿を見て変わりました。役者は,役者が育てるのだと,改めて思いましたね。(三池崇史 p43)

2017年4月29日土曜日

2017.04.29 柴田秋雄・瀧森古都 『日本でいちばん心温まるホテルであった奇跡の物語』

書名 日本でいちばん心温まるホテルであった奇跡の物語
著者 柴田秋雄・瀧森古都
発行所 SBクリエイティブ
発行年月日 2015.07.27
価格(税別) 1,300円

● 鎌田洋さんの『ディズニー ○○の神様が教えてくれたこと』シリーズを出している出版社から出ている,同様の寓話集。
 舞台は名古屋アソシア。今は名古屋マリオットアソシアになっている。名古屋を代表する高級ホテルなのじゃないか。
 この本に出てくる名古屋アソシアは,外資が入る前のホテルのことなのだと思うけど。

● 寓話集なんだけど,それでもホロッとしてしまう。これはいいことなのか幼稚で情けないことなのか。

● 以下にいくつか転載。
 「日本一お客様を幸せにする」ことが第一ではなく,「日本一幸せな従業員のいるホテル」をつくることが,ホテル再生への第一歩だ(p4)
 仲間を思う優しさ,仲間を許す優しさ,そしてお客様の心に寄り添う優しさ。僕は,この『優しさ』さえ持っていれば,人間として合格だと思うんだ。どんなに素晴らしい大学を出るよりも,人間的に優れていると思うよ(p80)
 正直になるということは,とても勇気のいることかもしれない。しかし,目の前のことと向き合う「覚悟」を持つことで,様々な奇跡を起こすことができる。(中略) もしかすると,今までホテルに起きた様々な試練は,神様からのプレゼントだったのかもしれない。(p199)